アイテム番号: SCP-XXX-JP
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: 日本国内におけるSCP-XXX-JPの個体数をなるべく多く保つように努めてください。日本政府の協力のもと、日本国内の公営公園に少なくとも100,000本以上のSCP-XXX-JPを確保してください。SCP-XXX-JPはその来歴及び収容プロトコルの都合上収容はされていませんが、プロトコルを実行し続けている限り封じ込めは成功しているものと見做します。
オブジェクト保護の観点から、SCP-XXX-JPに触れることは推奨されません。SCP-XXX-JPを保護するため、SCP-XXX-JPが開花する時期に合わせて当該地域住民へSCP-XXX-JPを傷つけること、特に枝を折ることを禁止する内容を含む情報の流布を行ってください。
民間にはオブジェクトは既知の園芸用植物であるとの欺瞞情報を流すとともに、オブジェクトの鑑賞を奨励、その美的価値が高いものであるとの印象操作、及びオブジェクトの美的価値を称えるような日本国内への文化的干渉を継続してください。
説明: SCP-XXX-JPは日本国固有のバラ科サクラ亜科サクラ属に分類される園芸用樹木Cerasus ×yedoensis Matsumura ‘Somei-yoshino’(和名:ソメイヨシノ)として知られている樹木群です。SCP-XXX-JPは自家不和合性が強く同一種間での交配による繁殖が不可能である、すべてのSCP-XXX-JPは遺伝情報的に同一の個体であるなどといった生物学的特性から、特定の樹病に罹りやすく、プロトコルに定められた本オブジェクトの管理・維持に際しては特に注意を要します。
現時点においてSCP-XXX-JPは全ての個体の現実性強度が一律して基底ヒューム値よりもわずかに高く、ごく微弱ながらも現実改変能を備えていることが推測されます。SCP-XXX-JP実体群の各個体の現実性強度はSCP-XXX-JPの総数に反比例することが実験により確認されています(詳しくは後述する各種資料のコピーと共に別紙として添付した実験報告書を参照のこと)。SCP-XXX-JPは開花に際してヒューム値の上昇を見せること、また後述する性質や資料の記述からSCP-XXX-JPの開花が現実改変のトリガーではないかと考えられていますが、オブジェクトの性質上実験による検証は計画されていません。
開花している状態のSCP-XXX-JPを認識した人物はSCP-XXX-JPに対し強い魅力を感じ、“SCP-XXX-JP実体の枝を折りたい”という欲求を持ちます。この欲求は極めて弱く、本人の意志で抑制することが可能な程度に留まります。この性質の曝露者は多くの場合「観賞用として手元に保管しようと思った」などと言った旨の証言を行います。なおこの性質に被曝した一部の神道系宗教従事者が“イワナガ様のご意思である”などといった証言をしたことが確認されていますが、この証言と日本国内に伝わる神格存在との関連は不明です。この性質によりSCP-XXX-JPが傷つくことそれ自体に問題はありませんが、その際に折られた枝の断面から非異常性の腐食が進行するため、SCP-XXX-JPの個体を可能な限り多数に維持するという本オブジェクトの取り扱いの方針上、SCP-XXX-JPが傷つくことは望ましくありません。蒐集院から引き継がれたこのオブジェクトに関する資料によると、この性質は後述する蒐集院によるSCP-XXX-JPの封じ込め処置が行われた後から確認されるようになったものです。
SCP-XXX-JPは蒐集院から財団へ受け渡された異常存在のうちの一つです。蒐集院によりもたらされた史料・文献の調査及び日本国内におけるSCP-XXX-JPに関した民俗学的アプローチの成果により、SCP-XXX-JP実体群のオリジナルである個体(以下SCP-XXX-JP-1と呼称)は西暦18世紀後半に現在における日本国の東京都周辺で誕生したことが確実視されています(別紙に調査論文を添付)。またSCP-XXX-JP‐1は非常に強い現実改変能力を保持していたと考えられ、史料にはSCP-XXX-JP‐1が誕生してから初めて開花したその日に、SCP-XXX-JP-1の周囲で不自然に発火、さらにこの火そのもの及びこれが延焼した火の中から日本国内で神格存在として伝えられている存在と思しき実体(以下SCP-XXX-JP-2)が複数体出現したことが記録されています。その後蒐集院の構成員により当該実体群が終了され当時の行政による鎮火が行われるまでに、SCP-XXX-JP-1を中心とした██km四方の土地において火災及びSCP-XXX-JP-2実体群により、合計█████人の死傷者と行方不明者が発生したことが当時の歴史的文献によって示されています。また、この火災による被害はSCP-XXX-JP-1には及んでいませんが、これがSCP-XXX-JP-1の異常性や何らかの現実改変によるものなのかは判断材料となる資料がないため不明です。蒐集院はこの事態に対し、SCP-XXX-JP-1を枝分けして日本国全土に分散させることで当該オブジェクトのヒューム濃度の低下を図り、これに成功しました。さらに蒐集院は"神名剥奪"と称してSCP-XXX-JPに関する欺瞞情報を流し、これによりSCP-XXX-JPは“ソメイヨシノ”として日本国内で定着し、現在に至ります。これらの処置が実施されて以降SCP-XXX-JPによる類似現象の発生は確認されていません。現在の特別収容プロトコルはこれらの対処をベースとして制定されています。
アイテム番号: SCP-1415-JP
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-1415-JPは絵画系アイテム収容庫で不透明な通気性のカバーに収めた状態で保管してください。平時の保管方法は標準的な油彩画の取扱方法に準じますが、SCP-1415-JPの図面を視認することは避けてください。SCP-1415-JPの図面を視認した職員は拘束の後クラスB記憶処理を施し、衝動的な行動傾向が確認されなければ解放してください。そうでない場合は終了してください。
説明: SCP-1415-JPは1枚の絵画です。SCP-1415-JPは要注意団体"Are We Cool Yet?"の構成員の制作物であると推定されています。
SCP-1415-JPは濃紺を基調とした背景の中を流星のように見受けられるものが光を放ちながら尾を引いて飛んでいる場面を描かれたものであり、また、流星の中には小さく金属片や土くれなどが描き込まれています。
SCP-1415-JPの異常性はSCP-1415-JPを鑑賞する際に発現します。SCP-1415-JPの図面を視認した人物(以下"対象")は共通して特定の光景を幻視します。この幻覚は視覚的情報が主ですが、連動して温度や運動の感覚などを伴います。対象の見る幻覚はいくつかの場面が段階的に移ろう映像であり、内容は概ね以下の通りです。
- 暗い空間に自分が漂っている光景、及び感覚。
- その後次第に一方向(多くの場合対象に前方と認識される)へ動き出す。
- 徐々に速度が増していき、それに比例するように視界が赤みを帯びながら明るくなっていく。この段階から熱さを覚え始める。
- 加速が止まり("最高速に達した"と表現されることが多い)、視界もこの時点で最も明るく、眩しくなる。
- 数秒間上記の状態が続き、その後急速に視界が暗くなる。それと同時に移動している感覚も消える。
- 視点が変わり、夜空を見上げている光景。流星が光の尾を引いて夜空を流れていき、しばらくして燃え尽きる。流星が燃え尽きた段階で幻覚は終了する。
この幻覚を見た対象は、大抵の場合その後衝動的な活動を始めます。このとき対象は何かしらの物事をやりとげよう/やりとげなければならないといった衝動に駆られます。多くの場合対象者は創作・表現活動や学問、社会運動などの建設的手段によって前述の衝動を昇華させようと行動しますが、破壊的な活動や客観的に無意義な行動に走る例もあります。前述の影響は、対象が生産的・建設的活動に従事していない人物であるほど強くなる傾向にあります。この影響は記憶処理により上述の幻覚に関する記憶を忘却させることで高確率で無効化できます。この影響を受けた対象者は往々にして「身体が熱い」「何かを成し遂げたくてしかたない」「活動をしていないとおかしくなりそう」といった旨の証言を行います。
対象の拘束、あるいは能力・機会・道具・設備の不足などの理由により対象の活動が制限されており、対象が自身の衝動の昇華を為せなかった場合、SCP-1415-JPを目撃してから一定期間(対象ごとによって個人差があるが多くは半年以内)の後、対象の身体は不明な原理により不自然かつ突如として発火します(SCP-1415-JP-人体発火イベント)。このとき周囲への延焼は起こりませんが、対象は例外なく焼死します。SCP-1415-JP-人体発火イベントの前兆として対象の落ち着かない挙動、「もう爆発しそう/我慢できない/抑えられない」「燻って仕方がない」などといった旨の心情の吐露などが観測できることがあります。また対象が何らかの活動を行った場合、対象自身が達成感を得る、満足する結果に終わった際は対象はその時点での健康状態によらず不明な原因により生命活動を停止します。この生命活動の停止に苦痛は伴いません。反して、対象が自らの活動によって満足の行く結果を残せなかった場合、対象はSCP-1415-JP-人体発火イベントと同様にして焼死します。このケースにおいて対象が「あの流れ星のようにはなれなかった」と証言したことが認められています。
SCP-1415-JPは1枚のプレートと共に回収されており、その内容は以下の通りです。
燃えないゴミと燃えるゴミ、価値があるのはどちらだ。Are We Cool Yet?
発見: SCP-1415-JPは日本国内にて行われた絵画展に出品されていました。展示開始初日の11/20に当該展示のSCP-1415-JP展示スペース周辺及び展示会場周辺において傷害・建築物の破損などを伴う暴動、人命に関わる手段による芸術活動などが相次いだため現地の財団エージェントがSCP-1415-JP対象者の拘束、関係者への記憶処理、会場の閉鎖などの手段で事態を鎮静化し、その後SCP-1415-JPが発見・回収されました。SCP-1415-JP収容後に事後対処を兼ねて当該展示会にてSCP-1415-JPを鑑賞した人物に対する追跡、事情聴取及び経過観察が行われました。
補遺: 財団は発見されたプレートの内容から要注意団体"Are We Cool Yet?"との関連を疑い、SCP-1415-JPの出自に関する調査の一環としてSCP-1415-JPの出品者であった才成 走介氏の追跡調査を行いました。その結果として、氏のアトリエと思しき建物から、彼の作品と見られるアノマリーを含むいくつかの絵画及び才成氏の死体と氏の手記と見られる書類が発見されました。
発見された作品 |
説明 |
印象派、特にゴッホなどの古典的名作の模写、数点 |
非異常性のもの。多少技術不足の印象を受けること以外特筆する特徴はない。 |
星空を描いた風景画数点 |
異常性は無い。画家座がよくモチーフとして用いられている。先述の模写に比べて技術の向上が見受けられるが、芸術品として完成度は低いと鑑定された。 |
夜景や夕暮れを描いた風景画、数点 |
異常性は無し。芸術品としての価値も低いと鑑定された。 |
未完成らしき絵画、多数 |
風景画・静物画及び既存の絵画の模写が主。巧拙や作成時期はまちまちであるが、多くの場合彩色途中の段階で放棄されており、中には破壊されている物もあった。うち数点に異常性を確認、Anomalousアイテムとして回収。 |
夕暮れを背景とした女性の肖像画 |
非異常性のものかと思われたが分析により認識災害因子を内包することが判明。Anomalousアイテムとして回収。 |
"黄昏"と銘打たれた油彩画 |
切り裂かれていた。復元して調査したところ認識災害因子を有し、後述のメモでも言及されている。 |
SCP-1415-JPの習作と思われる夜空の油彩画 |
わずかながら幻覚誘発作用および認識災害因子を持つ。芸術品としては習作どまりとの鑑定結果。Anomalousアイテムとして回収。 |
流れ星を追いかけるように走る人物の絵 |
非異常性のもの。発見された作品の中で最新のものと推測され、後述するメモで言及されているのはこの絵画だと思われる。芸術的価値が認められた。 |
才成氏がいつの時期から芸術に興味を持っていたかは不明ですが、大学在学中学業の傍らで美術品の制作をしていたことが調査によって明らかになりました。彼の属していた芸術サークルのメンバーなどは彼の絵に対して「特に上手でもなかったし、情熱もいま一つ足りなかった」「あまりパッとしなかった。本気ではあったのだろうけれどいまいち『死ぬ気でやろう』という気概が感じられなかった」「所詮アマチュアという甘えがどこかにあったような気がする」などと評しており、発見された作品の鑑定に携わった財団の鑑定士も概ね同様の見解です。
才成氏はアマチュア芸術家としての活動を続ける中で、ある時期から不明なルートにより"Are We Cool Yet?"との関係を持ち、異常な芸術品の制作を行っていたようです。
才成氏のアトリエから、氏の手記と見られるノートと、同梱された書類が回収されています。手記の内容は主に彼の作品についてのメモと見受けられます。
前述した流れ星を追いかけるように走る人物の絵はイーゼルに立てかけられたままであり、完成直後の状態であったと考えられます。才成氏はアトリエの椅子に座ったまま、上記のメモを書き上げた直後と見られる姿勢で死亡していました。
「お、いたいた真北ちゃん」
「……ども」
サイト-81██、共用スペース。業務の隙の息抜きにと自販機で買った炭酸飲料を片手に休憩用の椅子に座っていた真北研究員は、サイト-81██名物のエージェント──人事部に所属し、人員調達と斡旋を請け負う調達屋──『変人フリーク』の亦好久が呼ぶ声に、呆けていた顔の眉根を寄せて応じた。
「何の用ですか?」
「用が無かったら話しかけちゃ駄目かい?」
「そういうのはいいんすよ……探してたんじゃないんすか、僕のこと」
「そうそう、仕事の話でね」
真北の隣に腰掛けながら、そしらぬような素振りで亦好が切り出す。
意図して作ってみせていたしかめ面が、今度は無意識のうちにより険しくなっていた。この人の持ってくる話はあまり二つ返事で受けない方がいい──というのは研究室の先輩の教えであり、また彼の経験則でもある。
「そういうのはボスに話通してくれますか」
「ああ、それはさっき話してきたところ」
「あんたはさぁ……」
妙に手が早いのは何なんだよ、と独りごちる。この変人フリークはこれだから面倒だ。いや、絡まれると素直に面倒くさいのも七割ほどあるが。
「まあまあ。どうせ最近は忙しくもないでしょ?」
「確かにそうですけど……」
薄ら笑いを浮かべながら、変人フリークは朗々とそう言ってのけた。
事実真北の所属する研究室は現在大きな仕事を抱えているわけではない──少し前に大きめの仕事を終えたばかりだ──わけで、マンパワーには幾分か余裕がある。真北に至っては若手であり要職についているわけでもなく、まあ、確かに忙しくはないのだが。
はぁ、とため息を一つ吐いて、しょうがないか、と思う。上司にまで話が行っているなら素直に受けた方が話が早いだろう。
「わかりましたよ……それ、どういう案件ですか」
「真北ちゃん、今田って人覚えてる?」
「いまだ……知ってるような、知らないような」
亦好に出し抜けに問われ、真北は慌てて記憶を攫う。口ぶりからするにどこかで会っているはずだ。畜生、僕は人の名前を覚えるの苦手なんだって──と逡巡し、一つの心当たりに行き着く。
「──祭りん時の」
「お、良かった。ちゃんと会ってたんだね」
「あれやっぱあんたの差し金かよ」
それなら確かに忘れられるはずもなく、記憶に残っている。何せ強烈なお祭り騒ぎだった──真北自身も、かなり大変な目に遭った。
その祭りの夜に短い時間ではあるが言葉を交わした、真北がかつて世話になった先輩の知り合いだという、マントの男。
そうか、あの人は今田さんといったっけ。今更ながらに思い出した。
「あの人のいるところからの依頼だぜ。セクター-8105っていうんだけど……保安設備の点検と、装置開発のアドバイザー。認識災害の専門家が要るってさ」
「それで僕かよ……いやまあ確かに僕は手空いてるしツテもあるんだけどさ……」
「というわけで軽く出張を頼むよ。明日の業務が終わり次第向こうに行って、一晩明かしてからまる一日お仕事だ」
「はぁ……わかりましたよ。今田さんにもよろしく言っといてください。『片道切符がお茶をいただきに参ります』と」
「委細承知。それじゃまあ、そういうことで」
「はいはい」
変人フリークはそう言って立ち去り、片道切符はボトルの中身を飲みほした。
後日。
「ん。ここらで流石に大丈夫でしょ、真北ちゃんでも」
「ああ、はい、ありがとうございます」
「いやいや、いいって」
『近くまで行く用があるから送るよ』と、セクターが位置する山の麓まで亦好の運転で運ばれていた。
山道の入り口でブレーキをかけ、車が止まる。
「8105の人たちと合言葉パス決めてあるから、気を付けて」
「いやそういうことは早く言えよ」
シートベルトを外して立ち上がろうとする真北に、亦好がそう告げた。
何でそういう大事なことを先に言わないんだこの人はマジか信じらんねぇという動揺が滲んでか、つい口が悪くなる。
「言っても忘れるかなって──なんか意味わからない質問には『変人フリークの紹介だ』って答えとけば大丈夫だから。逆にそれ以外で答えると下手な場合は取り押さえられるから注意ね」
「……わかりました」
この人は本当に──と思いながら、今度こそ立ち上がって、ドアを開けた。
夜闇に閉ざされた街路に降り立つ。あの夏から数ヵ月経ち、もはや夜ともなればすっかり冷え込んだ空気が立ち込める。少し寒いな、と真北は思った。
上着の襟を直しながら、トランクから荷物を取り出す。
「それじゃあ」──と出立を伝えるべく運転席へ近づくと窓が開いて、亦好がいつもの呑気な面で真北に告げた。
「ああそうだ、真北ちゃん」
「何すか」
「今田ちゃんは博士号持ってないからね」
「……はあ、そうすか」
急に何だと思ったが、そういえば納涼祭で会った時は彼のことを博士と呼んでいたような気がする。誤解していたってことか──と考える真北を、「じゃ、そういうことで。ガンバ!」とエールを残して亦好の車が置き去りにした。
しばらく山道を行き、暗がりから見つけ出したゲートをIDカードで通過してまた暫く歩くと、施設の入口だろうドアが見え、そして、亦好から聞かされていた"案内人"であろう男が誘導灯の微弱な光を受けて立っていた。
「すみません、寒い中お待たせしました。サイト-81██から派遣されてきました、真北です」
「──どうやってここに来た」
「は……?」
どうやら歓迎されされているわけではないらしい。剣呑な声音と刺すような視線が、真北向を出迎えた。
「答えろ。どうやって、ここまで入ってきた。答えないなら撃つ」
ドスの利いた声で、急かされる。
どういうことだ、先方から招かれたのではなかったか?と、真北の頭がクエスチョンマークを吐き出しかけたが──
「えっと……変人フリークの紹介で」
こうだっけ、と先ほど言い渡された文言を必死に思い浮かべて、口にした。
「ふ、はは」
刺々しい雰囲気から一転、男は人懐っこそうな笑い声を上げ、目を細めて真北に向き直った。
「いやいや、失礼。決まりごとなんでご勘弁を。そのナリと変人フリークあの人からそれを聞いてるってことは確かに真北くんっすね。──俺はセクター-8105の道明寺。案内役ってことで、お出迎えに来ました」
「ああ……パスってそういうことなんですね」
そういうことか、と納得する。面倒な決まりもあったものだ──が、見た目にはトンチキでも財団施設の決まりだ。何か背景わけがあるのだろうとは、無神経な真北にも察せられた。
「では改めて──セクター-8105へようこそ。方向音痴の『片道切符』と聞いてるが、大丈夫だったか?」
「大丈夫でしたよ。 方位磁針これがあるのと、窓明かりが見えたので」
目張りされているのか、あるいは磨りガラスかは遠目にはわからないが、茫洋とした、しかし確かな灯りが、ゲートをくぐってからこっち、真北向の道行きを照らし導いていた。近づいてわかったが、この施設から漏れる窓明かりだったのだろう。目印にして正解だった、と思う。あの灯台がなければ妙なスポットに迷い込んで警備関係者の手を煩わせる羽目になっていたかもしれないという危惧は、彼の経験上そう突飛なものではない。
「そうっすか。……ちなみにその明かりの主は『常夜灯の主』と呼ばれてる。昼夜逆転なんだ、その人。今田博士ハカセってんだけど、後で会いに行くといい」
「僕の『片道切符』も大概ですけど随分なあだ名ですね……昼夜逆転なだけで……」
あれ? 今田って……いや、あの人は博士ではないのだっけ? それに、そんな大仰なあだ名の似合う人間では、なかったような気もする。
耳に飛び込んできた心当たりのある名前に、頭の中で亦好から聞かされたことや、あの祭騒ぎの喧騒を眺めながら話した男の姿を思い巡らしてみるが──
「じゃ、行きますか。はぐれるなよ?」
「え、あ、はい」
先導する道明寺の警告によって、思考は打ち切られた。
ゲストルームに通されてから関係者への挨拶を兼ねて食事をとり、荷物の整理と上司への連絡を済ませた真北は、何をするでもなくベッドの上で暇を持て余していた。
「変人フリークめ……何が『移動中に寝ときなよ』だ……眠れねぇじゃねえか……」
山の中だからか、あるいは施設全体が広域に渡るからだろうか、それともエージェントたちが夜勤を主とするからだろうか、セクター-8105の夜は静かだ。
携帯の画面を睨み、十分と経たずに23時を回ることを知らせる時計を捉えた真北は、静けさに耐えきれなくなったかのように起き上がり、鞄の上に放っておいた上着を手にとった。
静かな施設内に、一歩一歩を刻む足音が小さく、しかし確かに響く。
ゲストルームをあとにした真北は、南棟を目指して歩いていた。
自分の足音を聞くのは嫌いではない。だから、間違えて足を踏み入れた北棟から南棟へ向かうのだって、特に大した面倒ではなかった。
「昼夜逆転ってんなら、この時間も起きてるだろ」
暗がりの中『南棟』と告げる表示を、目を凝らして確認した。
爪先が向くは最上階。
非常階段を登って、先客の存在を知らせる光が漏れる扉を叩く。
「『常夜灯の主に会いに行け』と言われたんですが……休憩室ってここであってます?」
ここを目指した理由はただ一つ──常夜灯の主に、会いに来た。
「あってますよ。ここのこと誰に聞きました?」
「……変人フリークの紹介で」
「なるほど。寒いでしょう、どうぞ中へ」
促す言葉とともに、中から扉が開かれる。
「お世話になります、今田博士。僕はサイト-81██の──」
「僕は修士ですよ、真北さん」
「……今田さん?」
「はい。お久しぶりです」
は?と言わんばかりに目を丸くする真北に、今田研究員が「お元気でしたか?」と問いかける。
あの祭りから数ヶ月。『変人フリーク』亦好久の奸計によって、片道切符と常夜灯の主はいま再び相会うた。
「約束のお茶を淹れましょう。コーヒー……は眠れなくなるのでやめましょうか。お茶の好みとかありますか?」
「特に無いっすね。緑茶と紅茶なら……いや、別にそれもどっちでもいいな……」
「ではハーブティーにしましょうか。せっかく外から来たお客さんにただの紅茶じゃつまりませんしね」
室内のソファに座る真北に今田が給湯器周りに置かれたものを何やらいじりながらそう問いかけた。こなれているな、とその所作を眺めながら真北はぼんやりとそう思う。
「それは紅茶と何が違うんですか?」
「いろいろと違いますよ。例えばハーブの香りに安らぎを感じるって人は多いですね」
「へぇ……お茶なんて全部同じ嗜好品だと思ってましたよ」
受け答えしているうちに、室内に湯気とともにハーブの芳香が立ち込めた。
祭りの夜の別れ際にかけられた『お茶か何か、お出ししますよ』との誘い文句は、社交辞令でもなんでもなくこの人の習慣の一つだったのかもしれないなと得心する。
「初めてが僕なんかの淹れたもので申し訳ありませんが、まあどうぞ。茶葉自体はそこそこいいものなはずですから」
「はは、気にしないでください。違いがわかるほど上等な舌では多分ないので」
コト、とローテーブルにカップが置かれる。
確かにどこか落ち着く匂いのする液体の湯気の向こうにもう一つカップが置かれて、今田が腰掛けた。
「今田さん、修士だったんですね。誤解してました。初対面のときはすみません」
「まあ、あえて訂正しなかったのはこちらですから。その辺りは置いておきましょう」
「でも──確認しときたいんですが、あなたが『常夜灯の主』で『今田博士』なんですよね」
「前者は置いておくとして──後者はここの連中が使うジョークですよ」
「なるほど……」
使う、か。