South-compass

South-compass(現Pear_QU)の覚書


SCP-QUとは?

SCP財団九州大学支部……通称「SCP-QU」の起源は、1900年に政友会時代の伊藤博文が政府に対し提出した「九州東北帝国大学設置建議案」に端を発する。これは当時の東北・九州地方に大規模な研究施設が作られていなかったことを表向きの理由としているが、その裏には日本全国に「科学の力で異常現象を解明する」施設を作ることを目的とした財団側の思惑があった。当初の予定では各帝国大学で分野別に特化した研究を行い、異常現象の解明に力を注ぐことを目的としていた(つまり、各帝国大学にSCP財団の支部を設ける予定であった)ため、工学、数学に秀でた人材の多かった九州地方では"SCP-QUadrivium"、略称"SCP-QU"が結成された。これが、SCP財団「九州大学支部」の前身、「九州帝国大学支部」である。

しかし、1940年代に巻き起こった太平洋戦争、その敗戦処理に際して、SCP-QUを取り巻く事態は急変する。
各帝国大学に在った財団管轄の研究施設は全て解体され、財団やそのフロント企業に吸収されることが決まった。一部の帝国大学支部ではこの決定に対する反対運動が巻き起こり、特にその論調が激しかったSCP-QUでは政府との武力衝突にまで発展した。九州帝国大学における猟奇的な研究が数カ月前に起こっていたこともあり、政府側も強硬な姿勢で鎮圧に徹していたが、結局は「ある二人の研究者」と日本政府代表との間で交渉が行われ、

・SCP-QUを「SCP財団日本支部に包含する組織」として認める事
・基本的にSCP-QUは日本支部からも比較的独立した組織形態をとるが、緊急時には無条件に緊密な連携を取る事

などを条件に、この争いは決着した。この破格ともいえる条件によりSCP-QUは解体の難を逃れ、今に至る。
この時に交渉を行った者が誰で、どの様な議論が展開されたのか。その情報はSCP-QUの中でも最高度の機密に指定されており、全容を知る者は殆ど居ない。しかし、当時を生きたSCP-QU所属の研究者が晩年にぽつりと漏らした言葉が、今でも一部の研究員に伝わっているとの事である。
「あの頃、色んな人が、もうこの世にいない筈の同僚を見た。」
風変わりな精神病研究者と、真面目で堅実な法医学の権威。二人は話しかける間もなく、何処かへ行ってしまった。」

九州帝国大学、そしてSCP財団九州帝国大学支部を創世期から主導し、多くの異常オブジェクトの収容にも優れた業績を残したともいわれるその二人の人物は、当時の財団職員の間でも畏敬の念を抱かれていた人物であったという。勿論その時はすでに故人であり、その出来事と何らかの関係があるというのは、有り得ない話ではあるのだが。その二人については様々な噂や憶測が飛び交っているのもまた事実である。この二人をモデルにして書かれた日本文学史に残る一大奇書は、今でも多くの論争を巻き起こしている。

(メタ的な)SCP-QUとは?

九大SCP同好会により創作されたSCPの名称、或いは九大SCP同好会の通称。
Pear_QUがSCP同好会を発足させるにあたって、「もし東大SCP同好会さんみたいに何か創作物を公に(収デンとかで)披露できる様になったら、大学からも非公式な同好会が九州大学の名を冠して有料で同人誌を頒布とかしたら色々めんどくさそうじゃない?」と考えた結果に作り出した、九州大学SCP同好会の別名
もし皆々様が今「収デン4に九大SCP同好会で何かやりたい!」と思っても、現在の状況では「九大SCP同好会」の名前は使えず、「SCP-QU」の名前を使う事になると思われますので悪しからず。


QUlogo.png

SCP-QUを示すロゴマーク

ロゴについて

SCP-QUでは、独立したロゴマークが策定されている。SCP財団ロゴマークと九州大学ロゴマークを合わせた様なデザインだが、製作者は判明していない。これはSCP-QU関連施設や、其処に属する研究者であることを占めるカードキーなどに用いられている。
図案化された”Q”の文字の中に描かれた意匠は、一見すると九州大学のシンボルマークにも用いられている「松の葉」のようにも見えるが、よく見ると実際には中央部に在る黒い円を起点に放射状に広がるような形をとっていることがわかる。
一説には、これは皆既日食を表しているとも、黒い丸と其処から延びる十八本の黒線は何かの暗示であるとも言われているが、詳細は不明である。