Seyleanne

昼間のうちに降り積もった吉原。
雪を踏みしめながら男はある店に入った。

真っ白な雪と紅玉のような紅梅の対比が美しい、季節感あふれる庭を眺めながら、長い縁側を渡って障子貼りの和室に入る。
梅の花の香りが鼻をくすぐる。

「ようこそ、おいでくんなまし。」

灯籠に照らされた部屋の中で、赤い和服を着た妖艶な女性がこちらを見て微笑んでいる。
紅をさした唇からゆっくりと吐き出される煙が、部屋の空気に馴染んで消えていく。
少し緊張しながら、男は和室へ入った。

「今回は随分といい女だな。」
「そう?それは嬉しいなぁ。」

男は腰を下ろし、胡坐をかいて紙煙草を取り出し、火をつけようとする。
「うちが火つけたげる。」
「おぉ、ありがとうな。」

ひと時の沈黙。不思議と気まずくはなかった。

「なぁ、この香りは庭の梅が香ってきているのか?」
「そう。ええ匂いやろ?」
「とてもいい香りだ。狂ってしまいそうなほどに。」
「…….お兄さん、意外にロマンチストなんやね。」
「そうかい?」

女は煙管の火種を落とし、優しく男の頬を撫でる。

「なんだ、随分と手が早いんだな。」
「うちとそういうことをしにここに来はったんやろ?」

帯を緩めながら女は言った。
男は少し照れくさそうな顔をして、女の透き通るような肌を眺めた。

「まぁそうだが、もう少しこの時間を楽しもうじゃないか。女と話すのは久しぶりでね。」

畳に敷いた布団に、月明かりが差し込む。

「良い月だ。」
「せやなぁ。うち、夜が好きなんよ。静かで、どこか寂しげで。」
「奇遇だな。俺もだ。」 

月に照らされた二人は静かに風の流れを感じた。
風に乗って、また梅の花が香ってくる。

「月影っていう品種なんよ。今にぴったりの名前やね。」

寂しげに女は言った。その表情が男にはひっかかった。
この職の女は大抵、憂いやどこかもの悲しげな、今にも闇に溶けて消えてしまいそうな儚さをもった者が多い。
それは重々承知していたはずなのだがどうしても無視できなかった。

「…寂しいのかい?」
「ん?…うん、そうかもなぁ。」
「俺でよければ話を聞くよ。」

身を裂くような冷たい夜風にあたりながら男は言った。

「…ならお言葉に甘えて。うちがここに入る前にな、幼い頃から片思いをしている男性がおってん。その人がとても花が好きでな。そんなあの人に魅かれて仕方がなくて。その人と沢山話をしたくて花の名前を覚えたの。特に梅の花が好きやったから、それを中心にね。」
「だけれど、一度愛し合っただけであの人は消えてしまったんよ。どこか行ってしまったんよ。生きているかどうか、うちのことを覚えているかも、もうわからん。忘れていたら、それはそれでええんやけど。」

話している間、女は一度も男のほうを向かなかった。ずっと月に語り掛けているような、独り言のような口調で淡々と話している。

「お兄さんが言う通り私が寂しげな顔してるんなら、きっとうちはどこかであの人の面影を追ってるんやろなぁ。」
「…そうだな。」

きっと、今夜のような美しい月に何度も想いを馳せ、泣いたのだろうと男は感じた。
聞いておきながら慰める言葉も、行為も知らない不器用な男はただただ自分に嫌気がさした。

「せやけど、気にせんといて。あくまでも昔の話。お兄さんには、何の関係もないことやから。」
「…聞いておいてすまないな。気の利く言葉もかけられなくて。」
「ううん、ええんよ。」

男は、女を『露に濡れた梅の花』のようだと思った。
心底、その女を魅力的だと思った。

「なぁ、その格好で寒くないか?そろそろ温まろうじゃないか」
「…この姿で待たせてたのはお兄さんやろ?」

うっすらと笑いながら、男を抱き寄せる。
男は女から帯をはぎ取り、服をはだけさせる。
淡雪のような、真っ白で柔らかく滑らかな肌。
少し高揚しているのか、熟した桃のような赤さもあった。

「…好きにしてええよ。」


「お兄さん。」

先に口を開いたのは女だった。
眠たそうに微睡みながら、男に語り掛ける。
優しげなたれ目が、月の光を帯びて美しく煌めいていた。

「また、うちの身の上話になるけど、うちな、父も母もおらんのよ。」
「……俺と一緒だな。」
「でもな、いつも一緒にいる猫がおったんよ。」
「そうか……。」
「その猫ちゃんがな、一緒にいるべき時間が無くなってしまってな。先にあっちの世界に行ってしまったんよ。」
「……。」
「うち、あまりにもさびしくてな、その子の目玉を梅と一緒に漬けて食べてみたんよ。」
「猫の目玉を食ったのか。狂っているんじゃないのか?」

多少驚いた様子を見せながらも淡々とした口調で男は言った。
さっきまで吸っていた、猫の目玉に触れた女の唇をじっと見つめる。

「もう、そんな見つめんといてください。生まれた時からうちはまともに生きていけるとはおもっておりません。」

そう言って女はまた煙管を吹かしだした。特別うまそうなわけでもなく、ただそこにあったから吹かしたというだけのような雰囲気だった。

「それで、どうしたんだ?」

半分諦めたように男が問いかける。

「どうもなにも、それだけどす。ただそれだけ。その味を、まだ求めているというのはあるけれど。もうその味を求めているのかその子を求めているのかがわからないけれど。」

花弁が綻んでいる、憂いを帯びた梅の花。この女はきっとこの先もこの憂いと妖艶さをもって生きていくのだろう。