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1


 
 

 まぶたに大きな火花が散る。次に目を開くと、視界は白い天井だけになっていた。コルセットをつけられたと理解するまでには、数秒を要している。
「………………」
 長い眠りは確実に脳髄の働きを弱体化させ、特殊部隊員として培われていたはずの状況把握能力は、彼に何も伝えようとはしてくれなかった。けれど、彼は自分が何者であるかについて確かな感触を持っていた。今まさに醜態を晒している泥云暁──本人──は、まだ目を覚ましてはおらず、相変わらず識閾の水底で滞留し続けている。
 そうした思考を薄く引き伸ばされた意識で続けていると、不意に部屋のドアが開く音がした。
「泥云暁さん」
 パステルカラーの服に身を包んだ中年の女性──師長だろう──は、何度か泥云の名を呼び続けた。
「──聞こえているなら、何か合図をしてください」
 返事をするべく気道に酸素を取り込むと、徐々に周囲の状況が知覚されてくるようになる。周期的なモニターの音。消毒用アルコールの匂い。やわらかな蛍光灯の光の下で、赤色に塗装された腫れぼったい唇がまだ何か続けている。頭にある圧迫感の正体は、きっと幾重かに巻かれた包帯がそれだろう。
 ベテランらしい師長は彼が返事をしようとしていることを察知すると、すぐに黙って待つことを選んだ。頬に力を込めて、舌筋を複雑に動作させようとする。
「つき……ぐに」
 やっと絞り出された彼の言葉によって、師長の顔面は困惑と疑念に塗り替えられる。月国龍斗がその人格を外界へ表出させたのは、これが初めてのことだった。

 
 

2


 
 

「おはようございます。……今はどちらですか」
 心療内科医である諸知博士の対応は、慣れたもので淡々としている。月国だと答える彼は、露骨な反発心を持って彼女に対峙していた。彼女の書くカルテ次第で処遇が決定される"彼ら"の置かれている状況は、お世辞にも良いものとは言い難い。
 が、だからといってその相手に媚を売るような真似が、月国龍斗には出来なかった。何よりも、あの流し目がいけ好かないのだ。こちらを少しも余さず把握しているとでも言いたげな目が、眼鏡の奥で常に光り続けている。
「月国です。今日もお綺麗で」
「ご冗談を。眠る暇もありませんよ」
 そう言いつつ、化粧っ気が絶望的にない諸知博士の瞳には、一つの隈も見当たらない。謎めいた女医の態度は、軽薄と言う以上に希薄であった。掴みどころがなく、その上あとに残らない。
「昨日、泥云さんの方には管理隊本部から調査が来るという話をしたのですが、ご存知ですか」
「ああ、知ってるよ。あいつの記憶は俺も持ってる」
 それなら話は早い、と諸知博士は近侍の研修医に素早く耳打ちをした。緊張に強張った表情の研修医は、うやうやしくドアを開いた。
 その場の視線はその巨大な人影に注がれる。ドアの外には、180センチメートルはあろうかという偉丈夫が待ち構えていた。窮屈なスーツに身を包んではいたが、よく見るとそれは文民の出で立ちではない。胸に輝くバッヂは明らかに、機動部隊管理隊所属を表す赤と青のロゴマークをかたどっていた。「失礼します」
 肩幅に比して小さな白い頭には、頭髪の類が一切合切存在せず、黒いスーツと対照を成している。ただがそれ以上に注目を誘うのは、この大男が異様に大きな目と鼻と口を持っていることだった。狭い顔いっぱいに広がる各パーツは、人面と言うにはアンバランスな主張を繰り返している。
「こちらは、戸玉 運用評価調査官です」
 諸知による紹介は必要最低限、おざなりそのものといった風情だった。そのような口振りを全く気にする様子もなく、戸玉は律儀にもう一度月国へ頭を下げる。まさかこの男と一対一にさせられるのか──と月国が警戒したのもつかの間、「わたしは立会人です」と諸知が宣言する。読心術でも使ったのではあるまいかというタイミングに、病人の顔はいつものごとく曇った。
「わたくしは機動部隊管理隊本部 運用部運用評価課より派遣されました、運用評価調査官の戸玉と申します」
 改めて懇切丁寧な自己紹介をした戸玉の階級章は、よくよく見れば尉官のものだった。月国は慌てて敬礼を作ろうとしたが、張り巡らされた点滴と電極によって試みは阻止された。
「結構です。楽にしてください」
 機動部隊幹部らしい合理性を見せた戸玉は、懐から茶封筒を取り出した。太い指で器用に紙を展開し、すでに文面は暗記したとばかりに、表を彼に向けたまま内容を読み上げる。
「機動部隊隊規第13章██条の█に基づく運用評価調査です。ご協力願います」
 月国の表情は目に見えて、怪訝と納得のないまぜになったものへと変わっていた。戸玉はおよそ情緒に欠けた発音で、回収された記録装置から作成された戦闘詳報について基本事項を読み上げる。
「██月██日実行のSCP-███回収作戦において、貴官はアシマ分遣隊隊員として機動部隊も-9("都の狩人")の麾下に参加しましたね」
「はい」
「よろしい」と言うやいなや、戸玉は胸ポケットからICレコーダーを取り出してスイッチを入れた。「以降の発言は運用評価調査目的で記録されます。また、運用評価調査官はRAISAより一時的に権限を委託され、作戦に関する機密指定が一部解除となります」
 頭部への受傷と長期間に及ぶ昏睡を経て、月国の思考スピードは極端に低下していた。どうにか運用評価調査官の長広舌についていく彼にとって、自ら時系列を整理して証言しろというのは酷なことであった。
「──まず一点、お聞きしてもよろしいですか」
 発言を咀嚼すべく中空の一点を見つめていた月国は、不意に投げかけられた質問によって意識を引き戻された。眼前の圧迫感ある顔面は、それでも多少は和らげようと微笑みを形作っている。
「泥云暁、いえ月国龍斗さん、貴官は自分自身についてどのように説明されるのでしょうか」
「……え?」
 難しい質問ではありません、と慌てて戸玉は表現を変える。
「つまり、あなたと泥云暁上等兵の関係について聞きたいのです」
 なるほど、と一旦納得してみせた月国は、それでもまだ疑念が頭から取り払われていない様子でいた。機動部隊管理隊による運用評価調査と、月国自身のプロフィールについて有意な関連が認められるのか、一見してもわからない。
「わたしは泥云暁から分裂した別の自己です。解離性同一性障害と、諸知博士がおっしゃっていました」
「なるほど。その原因についても、あなたは証言していますね?」
 どうやら戸玉はすでにカルテを読み終えているらしく、この尋問は答え合わせに過ぎないようだった。月国は無意味に対する怒りを隠しながら、諸知にしたものと全く同じ説明を試みる。
「わたしの人格は泥云暁が分隊を失い、解離性同一性障害を発症した後にできたものです。ですが、わたしの記憶は彼がまともだった時からあります。彼は弱い。戦闘に対する恐怖感は分隊の仲間によって支えられていた所があったんだと思います。だから、仲間を失った時に耐えられなくなったのでしょう」
 戸玉は手に持っていた書類を一顧だにすることなく、なるほどね、とつぶやいた。背後の壁で待っている諸知は、戸玉から視線をもらうとうなずいた。非言語のコミュニケーションは、明らかに月国に対する隠蔽が目的のそれだった。
「……あくまでも、わたしの主観に基づくものですが」
 不意に芽生えた危機感によって、月国は弁解じみた言葉を付け加えた。戸玉はその言葉を聞いているのか怪しげに返事をし、「それでは」と二の句を継いだ。
「一時調査を中断とします。諸知博士、ご同行願えますか」
 白衣が背を浮かし、大男に連れられて部屋から出ていく。取り残された研修医は、月国の質問に晒された。
「どうなってるんだ、今日はまだやるのか?」
「ぼくも知りません。とにかく待っててください」
 カルテを更新して去っていく背中は、強烈な緊張を示す汗でぐっしょりと濡れていた。研修医という立場からしても、おそらく彼は本当にこの中断の意味するところを知らないと見える。だが、これがあまり良い意味を持ってはいなさそうなことは、なんとなく察しがつくというものだった。
「……どうなってんだよ」
 月国は急に訪れた疲労感によって、上体をベッドへあずけた。目覚めた日から変わらない白い天井は、ただただ日光に灼かれながら月国を見下ろしていた。
 
 
 

3


 
 

「諸知博士、先日お送りした文書には目を通されましたか」
「ええ一応。前のわたしがバックアップ領域に残していたものを読みました」
 差し出してきたコーヒーを手で制した戸玉は、諸知が残念そうに自分の分まで飲み干すのを待った。調子はひどく呑気だったが、二人とも笑顔には程遠い。
「では視聴をお願いします」
 机の上へ置かれたメモリーカードには、小さく[部外秘]の文字が刻印されている。そういった代物に慣れきった様子の諸知は、戸玉が持参した専用プレーヤーへ差し込んだ。その先につながるヘッドマウントディスプレーには、[倫理委員会]の備品たる証が刻まれている。
「これでいいですか?」
「はい。では、行きます」
 暗い視界に、いくつかのテストパターンが映る。輝点がぱっと展開したかと思うと、シマウマの毛並みのような模様が、虹を伴ってフェードインする。
「こちらで編集した映像です。約1時間を数十分に圧縮しています」
 イヤフォンを装着した諸知は、その言葉をかすかに聞き──そして、泥云の記憶の中へと降りていった。

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作戦名称: 機動部隊管理隊████████号 "████████作戦"
発令者: 機動部隊管理隊運用部長 ████ ████ 機動部隊中将
実施日: 西暦████年█月██日
場所: 京浜工業地帯・イエローボックス倉庫
参加部隊: 東亜地域サブコマンド(サイト-8181広域司令部駐留)機動部隊も-9 ("都の狩人")第3中隊 第1小隊 "アシマ分遣隊"
所属人員: 芦間 曹長("キャップ" 死亡)、宇藤 軍曹("オーク" 戦死)、猪田 兵長("ワイルドボア" 戦死)、泥云 上等兵("ドロー" 生存)
作戦目標: SCP-███の奪還
作戦概要: "アシマ分遣隊"隊員4名による潜入および破壊工作。
付記: 泥云暁 機動部隊上等兵は本作戦に同部隊隊員として従事。

 
 カオス・インサージェンシーの分派組織を叩くにしても、これを殲滅することは初めから予定されていない。深夜に作戦を実施するとはいえ、ヴェール・プロトコルへの懸念は払拭できなかった"都の狩人"本部は、最小限の人員による小規模な作戦を立案していた。
 実働4名、バックアップが同数。
 作戦開始から約15分。泥云がボディーアーマーの内側にSCP-███を収めるまでは、作戦は完全にうまくいっていた。
「宇藤先輩……」
 無数の鉄球が、先輩隊員の頭部を粉々にするまでは。
 同時にEVE放射が観測され、外部との通信が遮断される。泥云たちは暗視スコープ越しに視線を交わし、自分たちがキル・ゾーンへ誘われたことを知った。

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「──すでに彼の報告と異なるようですね?」
 諸知は、戸玉に対していったん映像を止めるように求めていた。左手が独りでにサイドテーブルに伸び、患者から聴取した報告書を掴み取る。諸知にはこの部屋の構成が、頭蓋にすべて収まっているかのようだった。
「彼をかばって、ほかの隊員は亡くなったのでは」
「まあ事実としては、そうではなかったと。あなたが提出した報告書を契機に、わたしも派遣されたわけですから」
 戸玉の言葉の最後に、ずずず、という何かをすする音が続く。HMDを少しだけずらした諸知は、マグカップを持っている戸玉に「おかわりは?」と尋ねた。
「結構です。自分で淹れました」

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6


 
 

「総員、"キャップ"。"オーク"のことは残念だが忘れろ。状況把握に努めるように」
「"ドロー"了解」
「"ワイルドボア"了解」
 泥云は読唇デバイスで無線通信を続けつつ、視界右下の分隊戦術戦闘環境Squad Tactics-Combat Environmentに注目する。"オーク"──宇藤副分隊長を表す輝点が、まだ2つ隣の区画に取り残されている。ステータスはすでに死亡となり、緑色の三角は赤色に変わってしまった。
「ドロー、こちらキャップ。通信状況はどうか」
「こちらドロー。通信回復せず。強力な電磁妨害」
 通信装備を背負う泥云は、宇藤の頭が吹き飛んだ時点で中隊本部へ緊急通信を入れていた。それが無事に届いたかどうかは賭けだった。倉庫内には、敵性戦闘員と結界が事前に準備されていた。それを察知できなかったのは、諜報機関の責任だ。
「射撃は可能な限り控えろ。接敵の場合は可能な限り感知されずに撃退せよ」
 泥云は起動中の光学迷彩の様子を確かめた。電源はまだ数時間残余があり、少なくとも作戦行動中にこれが途切れる心配はなさそうだった。網膜スクリーンが映す輪郭によって、かろうじて同僚たちがナイフを抜いたことがわかる。
 COLLICULUSビューにしただけで、この場に仕掛けられた膨大なトラップが明らかになった。先ほどまでは、明らかに存在していなかった殺意の群れたち。SCP-███の強奪それ自体、このCI分派にとっては陽動に過ぎなかったのだろう。
「止まれ」
 光学迷彩対策にペイント弾を撒く兵士がいる。古典的だが、もっとも確実な方法の一つだった。蛍光色の毒々しい緑が、ダンボールや床に当たって弾け、周囲の地形を際立たせる。時間経過によって酸化し、色が変質するペイント弾は、地形追従型迷彩に対しても一定の有効性を持つ。
「ワイルドボア。排除する」
 ナイフが数度閃いた。頸部と左脇腹、それから大腿から血を噴き出して男が倒れる。静かに死体を寝かせた猪田は、男の持っていたペイント弾を死体に当てた。床と同化する緑色が、ほんの少しの間だけことの発覚を遅らせるだろう。
「ドロー、ワイルドボア。無線を拾った。傍受できるか」
 周波数帯が変更される前に、可能な限り情報を集めねばならない。無線から聞こえてくるのは、特定のミームを摂取しなければ解読できない暗号通信だった。泥云はしゃがみ、足元の死体の耳に無線のイヤフォンをつなげる。魔術コードが書かれた札を取り出すと、試験管から一滴血を垂らした。顎を抉じ開けて、舌に光り始めた札を押し当てる。
 疑似的な魔術によって、死体はミームを翻訳して通信内容を語り始めた。
「──────、──────。────」
「敵性戦闘員は10名ほどと推測される。敵はわれの現在位置を失探している模様」
「キャップ了解」
 周囲のいたるところから、ペイント弾が飛び散る音が聞こえてくる。このような百数十平米の小規模な倉庫であれば、たった10名弱のロードローラー作戦でも、準備さえあれば十分発見できる。泥云たちアシマ分遣隊が生き延びる道は、他部隊の来援までとにかく持ちこたえる以外にない。

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どうしようかこれ

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「西塔さあん……」
 管理部門から預かったマスターキーをドアに差し込み、今一度強くドアをノックする。出勤拒否の職員というのは時折発生するもので、部屋の監視カメラがことごとく塞がれてしまったことから、同僚のぼくが派遣される運びとなっていた。
「海野です、いませんか?」
 返事はない。
 ドアを人一人分開いたところで、ぼくはその手を止めざるを得なかった。外気を貪るようにして流れ出てくる異臭が、暗い部屋の中に立ち込めている。腐臭やかび、そしてなにか硫黄とも違う刺激的な匂いが嗅覚を攻撃してきた。
「さ、西塔さん? いるなら返事をしてください」
 そろそろぼくにもわかってくる。
 ドアの中に足を一歩踏み入れると、硬い靴底にガラスが割れる感触があった。電球が床に打ち捨てられているのを踏んだようで、ぼくは思わず天井を見上げた。右手で室内灯のスイッチを入れても、どのライトも点きそうにない。どういうわけか、西塔は天井からすべての電球を取り払っていたらしかった。
 だが、もしこの施設内で人に会いたくなくなった場合、ぼくでも同じことをしただろう。コンセントと電球、そして固定電話の三つに関しては全て点検しないと、きっと神経がびりびりに昂ぶってイカれてしまう。西塔は──こんな部屋の持ち主だが──心配りと観察眼には長けていたエージェントだ。
 監視カメラと盗聴器を余すことなく無力化した西塔は、果たしてその後何をしたのか。鼻の曲げる匂いに袖をあてがいつつ、ぼくはゴミ袋の間に出来た小径を転々と飛んでいく。なぜか廊下に出ている電子レンジは、黒く変色したグラタンとともに床に伏している。不意に西塔の飼っていた虫のことが気になった。
 あのムカデだったかヤスデだったかは、きちんと飼育されているのだろうか。もしこの部屋の惨状から逃げ出していたら、たぶん清掃員に殺されてしまっている。あいにく、ぼくにも虫を飼う趣味はなかったが、西塔のものとあれば外に逃がすぐらいのことはしてやれるはずだ。
 ぼくはリビングに入るために、薄い木製の板を蹴破らなくてはならなかった。ドアの両側までぎっしりと敷き詰められたキップルが、ドアをただの木板に変えていたのだ。リビングにも彼女の姿はなく、かわりに激臭だけが取り残されている。ダイニングと兼用なことも手伝ってか、ひときわきつい。
 シーリングライトも廊下と同様外されていたが、ぼくはそこに決定的な痕跡を発見した。ライトのあった穴から短いタイガーロープが吊るされて、環を結んでいる。まず間違いなく首吊りを図った痕と見てよく──ぼくは引き返そうか一瞬迷った。しかし、これは途中で自殺をやめたという線もありえる。
 取り残されたロープを見つめながら、ぼくはそこに西塔が吊るされている様子をイメージする。
「まさか……」
 どう見積もっても、ゴミでかさが増した床では首吊りに必要な高さにならない。西塔は、ここでの死を断念せざるを得なかったということだ。ということは、とぼくは部屋の奥に目をやる。
 寝室のドアもまた、ぼくは蹴破らねばならないかと考えていた。だが実際には、その部屋の周辺だけゴミ袋が置かれず、どころかゴミすらほとんど落ちていない。神聖な部屋のドアノブに手をかけると、不用心なことに鍵をかけていなかった。それはあるいは、部屋に入ったまま出てきていないという意味になる。
 冷たい感触に正気を吸い取られそうになり、ぼくは耐え難い感覚にとらわれながらノブを回した。
「西塔さん……」

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伊号第404潜水艦

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 帝都を離れてから三日。これほど長く東京にいたのは、特務機関員として活動を始めてからは恐らく一度もなかったことではないかと思う。窓を開いてみると、夏の熱気とともに、海辺の心地よい潮風が吹き込んでくる。七月の呉の風は思いのほか、私たちを涼ませていたのである。揺られているバスはもう間もなく、呉鎮守府へと到着する途上にあった。
 何人かは鉄道を使おうと考えていたようだが、呉駅は今月の上旬にあった夜間空襲で全焼していた。駅舎だけでなく、呉の中心部はその空襲でほぼ更地となるまでに破壊し尽くされ、未だ再建の目処も立っていない。
「少佐、少しよろしいでしょうか」
 副官である太田中尉が周囲を憚るようにして、私の席にやってきた。周囲と言っても、同乗しているのは皆三千機関の人間ばかりで、いわば身内なのだが。
「なんだ」
「作戦の後のことなのです」
 作戦の後のこと───太田だけではあるまい。機関員の誰もがそのことを知りたがっているだろう。太田のとても軍人とは思えぬ童顔には、言いようのない不安の翳が落ちていた。海軍の惨状が明らかになって数ヶ月、趨勢は最早決したかのような観がある。本土決戦を謳う大本営は御座所を帝都から遷すのではないかという、単なる憶測では片づけられない噂さえもあった。
「大陸には"負号部隊"の連中がいる。そこへ届けたら、あとは」耳を傾ける太田の表情は惨憺なものだった。「私にも分からん。活動の軸足を大陸へ移すのかもな」
「そうですか」
 予想の範囲を超えない受け答えに、年上の部下の顔には落胆の色が現れていた。太田は、予備士の衛生部でも優秀な成績を収める予備士官候補生だった。東部第33部隊の噂をかねがね聞きつけていた太田は、教官の薦めを断って中野学校へ入校し、そこでも優秀な生徒として頭角を現していた。
「母には、身寄りがありませんので。それだけが心配だったのです」
「そうか。呼ぶのは難しいだろうが」
 日本の周辺には、今や米軍の敷設した機雷が五万とあった。そう遠くない未来、本土は朝鮮との通航路すらも遮断される運命にあるのだ。特にここ、呉を中心とした瀬戸内は機雷による海上封鎖が最も激しい海域であった。殆どの大型艦船は擱座を恐れて瀬戸内を航行しようとはしない。そのためか、呉に係留されている海軍の残存艦艇は身動きが殆どとれない状況だという。
「みなさん、もうまもなく到着です」
 運転手の酒焼けした声が、静かな車内に響いた。窓外に視線を送れば、そこには赤茶けたレンガ造りの荘厳な庁舎が屹立している。度重なる空襲にもその威容を保っていた鎮守府庁舎であったが、空襲の猛威はその背後の海軍工廠を廃墟へと変えていた。
「お待ちしておりました。三川少佐。いえ、お久しぶりですと言うべきか」
 バスを降りるなり、海軍士官にしては色白な男たちの出迎えがあった。蘆原と名乗った少佐の男は、軍人とは思えぬほど細く白い腕を上げて小さな敬礼をした。その姿を陸軍の将兵が見たら、思わず眉をひそめるだろう。肘が脇に付いてしまいそうなほど閉められ、小さくまとまった挙手の敬礼だった。私は微笑みながらその真似をして返礼し、機関員たちもそれに倣った。
「海軍の敬礼にはもう慣れましたか」
「小官よりは、他の者たちの方が慣れているでしょう」
 数か月前、副官の太田を含めた数名の機関員たちは彼らとともにUボートに乗り、ドイツからある"積荷"を持ち帰っていた。
「実は、昨日艤装員長から艦長になったばかりなのです」
 中佐になったのも先日のことでして、と笑う男の背後には、過酷な作業を全うしてきた工員と乗組員らの姿がある。辛うじて生き残った設備を稼働させて、我々の乗る潜水艦・伊号第404潜水艦が竣工したのは数日前のことなのだという。伊404の扱いは書類上未だ艤装作業中ということになっており、そのドックには持ち帰られたUボートが浮かんでいる。
「会議の前に、一度御覧に入れましょう」
 昼下がりの海上に、鯨のような巨体が半身を見せていた。桟橋に並んだ機関員たちは一様に驚愕の表情を顔面に張り付け、その尋常ならざる雄大な姿にしばし我を忘れさせられた。帝国海軍最大、いや世界最大の潜水艦という触れ込みは以前から耳にしていたが、まさか、これほどのものを海軍がまだ隠し持っていたとは。
「すごい……俺たちの乗ってきたUボートの何倍あるんだ……」
「基準排水量だけで言えばほぼ二倍、水中なら三倍近い。それほどの巨艦です」
「居住性はどうなりましたか」
 秘密兵器に感動した太田が、乗組員の水兵の一人に聞いていた。そういえば、太田の語る日独往復作戦の思い出の殆ど半分は、「いかに潜水艦という代物が人の住むべき場所として不適当か」だったことを考えれば、到着前の暗い表情についても、少々考えを改めねばならない。
「まあ、Uボートよりは圧倒的に良いです。水洗便所も使えます」
「そんなことを聞きたいんじゃないんだ」
 太田は持っていたトランクを地面に落として、拳を握っている。居住性について、よほど大事なこだわりが彼にはあるらしかった。見たところ他の数名───いずれも往復作戦に参加していた者たち───も、太田の会話に聞き耳を立てており、潜水艦経験者たちにとって相当な関心事なのだと一目で知れた。
「"ホットバンク"は───"ホットバンク"は、伊号にはないと聞いたのですが」
「とんでもない。ありませんよ、この艦には」
「本当ですか!」
 こんなに喜々とした機関員たちの様子を見るのは、かなり久しぶりのことかもしれない。私を含め数名の機関員たちは何のことだか分からず、ただその感激する同僚を見守るしかない。だが、少なくとも出撃前の不安要素が一つ払われたのだということは分かった。

 征號作戰。
 このごく小規模な陸海軍共同任務は、実のところ参謀本部や連合G艦隊F、軍令部すらも殆ど関知していない、秘密作戦としての性格を有していた。作戦終了後には関連する全ての書類を破棄する手筈になっており、徹底した機密保全体制が敷かれている。海軍には三千機関のような蒐集組織や、負号部隊のような研究機関もなく、この手の任務には陸軍の協力を不可欠としていた。
 蒐集院、負号部隊、そしてドイツ政府から委託された特別資産の計121個は、ほとんどすべて三千機関が過去に収集してきた代物である。大東亜戦争開戦とともにアジア広域での活動を開始した三千機関は、負号部隊の忠実な下僕というよりは、ほとんど純粋な陸軍の組織として振る舞っていた。
「この作戦で重要なのは、とにかく機雷と空襲です。米軍機に発見されればその時点でこの艦は終わりです」
「航路や艦艇の技術的な問題に関しては、基本的にはそちらにお任せします。小官らも"積荷"なのですからな」
「その件ですが」
「なんです?」
「いえ、色々と艦内でも噂になっておりまして」
 機雷封鎖を破り、連合国軍の哨戒網を潜り抜けて大陸へ至らなければならない伊404には、あらゆる処置が施された。我々が着く前に運び込まれた異常存在のいくつかが、既に潜水艦の随所に配備されている。
「完全封鎖された晴嵐格納庫。乗組員の間でも気味悪がる者が多いもので」
「それは軍機に当たる事項です。我々だって詳しいことは分からない」
 姿勢のよい海軍士官は、ふう、とため息を吐いた。生白い顔が猜疑の色をごく薄く帯びて、電灯の下で死者のように浮かび上がる。Uボートにも同乗していた蘆原といえども、積荷について知られるわけにはいかない。
「老婆心とは思いますが、改めて水兵に格納庫へ近づかないよう厳命していただけると助かります」
「承りました。必ず」蘆原は瞑目して頷くと、机上の海図へ手を伸ばした。「では、再度航路の簡単な説明をさせていただきます」
 三千機関とその特別資産121個を載せた伊404潜は、明後日の7月24日深夜に呉を出港する。征號作戰の秘匿のため、海軍の"嵐作戦"が利用されたのだ。
「呉を出た当艦は瀬戸内海を抜け、関門海峡へと向かいます。……」
 関門海峡と言えば、機雷封鎖が最も激しい海域の一つであった。そこを操舵技術によってのみ抜けるというのは至難と言うよりほぼ不可能に近い。しかし、日程短縮のため、紀伊水道を通って日本列島を半周するという海軍の提案は押し切られた。
 蘆原は策定された航路を指でなぞりながら、説明を続ける。
「関門海峡を無事抜けた後は日本海を通り、永興に到着。当艦は別命あるまで待機。そちらはそのまま外地へ行かれると」
「はい。そこで作戦終了ということになります。蘆原艦長、我々の命はあなたに預ける。よろしく頼みます」
 私は席を立ち、握手を求める。蘆原もすっくと立ち上がり、細い腕で私の手を取った。
「私たちは運命共同体です。必ず大陸へお運びします」

「あの陸軍のやつら、何者なんだろうな」
 伊形上等水兵は、同僚の宇城の背中に語りかける。水雷科の面々は兵装の最終点検を終え、それぞれの配置で待機となっていた。宇城は陸上での休暇がよほど名残惜しいのか、郵便で届いた絵葉書をずっと見つめている。
「おい、宇城?」
「ああ、なんだ」
 肩を叩かれてようやく気が付いた同僚は、慌てて絵葉書をズボンの中に突っ込んだ。大切なものを入れておくのにポケットとはあまり感心できないが、伊形はあえて気付かないふりをした。この男がやけにそわそわしだしたのは、ちょうどあの絵葉書を受け取ってからのことだった。
「陸軍の連中だよ。あいつら只者じゃないだろう」
「ああ、その話か。なんでも、参謀本部の部隊らしいが」
 水雷長の永長大尉のお気に入りである宇城は、艦内のちょっとした噂話などがすぐに手に入る位置にあった。潮っ気の少ない永長大尉は、とにかく部下に好かれようと自腹で饅頭を配るような人だった。部下たちも饅頭は欲しいから表面上は取り繕うものの、やはりあの先任士官の勇壮さに比べると、情けなさが先立つ。
「参謀本部? じゃあ軍事探偵とかか」
「さあな。本当にそうだとしたら教えてもらえんだろう」
 あの宇城でさえこの程度しか知らないというのなら、おそらく艦内の誰に聞いても同じようなものだ。伊形はそうか、と返すと伸びをする。主機もジャイロコンパスもそろそろ出航の準備を整える頃である。航海が始まれば、あの嗅覚を麻痺させる強烈な匂いと、そして猛烈な暑さが襲ってくるのだ。
「にしたって、晴嵐なしの潜特型なんてなあ」
「全くだ。俺たちも米英の空母にドカンと一発くれてやりたいのに」
 伊400型の上部構造体には、特殊攻撃機・晴嵐のために特設された格納筒がある。他の伊号潜にも小型水偵用の格納筒が据え付けられているが、伊400型のそれは艦体に見合った巨大なものとなっている。翼を折りたためば二機がそのまま、そして分解状態で三機目まで積むことができた。
 が、今回の作戦に当たって自慢の格納筒は閉鎖されたのだ。格納筒は優先的に整備が進められ、知らないうちに荷物が運び込まれると、あとは軍機ということで近づくことさえかなわない。今回の陸軍と格納筒の積荷には、何かのっぴきならない関係があるのだ、ともっぱらの噂であった。
「おい、また訓示があるそうだ。伝声管の前へ集まれ」
 掌水雷長の加原少尉の顔が、魚雷の後ろから現れた。はい、とすぐに返事をした二人は、そこで顔を見合わせる。
「訓示ですか。どちらの」
「例の陸軍の少佐だそうだ。───かなわねえよなあ」
 噂をすれば何とやら、だと伊形は思った。艦内の話題を持ちきりにしておきながら、いまだかつて誰も容貌を見たことがないという謎の客人。まるで江戸川乱歩か、海野十三ではなかろうか。伊形は、そう思ったことを目の前の宇城の背中に伝える気にはなれなかった。この歳で海野十三が好きなどと言ったら、どのような顔をされるか分かったものではない。
 伝声管の前には、既に残りの水雷科員たちが集まり終えている。掌長が姿を現すと、場の空気が少し張り詰めたように変わった。
『総員傾注。これより、本艦にご乗艦なさる大日本帝国陸軍、三川十七少佐より訓辞を賜る』
 伝声管のわんわん反響する声は、恐らくは艦長のものであろうと知れた。発射管近くは発令所から最も遠い場所にあり、その分声も歪曲されて届く。しかし蘆原艦長の、あの低く腹底に響いてくるような、それでいて繊細な声音は忘れがたいものであった。兵員たちは無言のまま、次に聞こえてくるであろう例の陸軍軍人の声を待つ。
『……ご紹介に与かりました、三川十七であります。伊404乗員の諸君、初めまして』
 数秒の間、兵員たちの間にざわめきが巻き起こった。まるで女子のような声音だ───口々にそういう密やかな声が漏れてくる。掌長にひと睨みされてすぐにその動揺は静まった。だが、その加原少尉とて、声を聴いた途端ぎょっとした表情を作っていた。少佐と言うからには、きっと口髭のたくましいさぞ精悍な軍人なんであろう───そういう偏見が、既に噂の段階ではびこっていたのだ。
『驚かせてしまって失礼。小官は、これでも三十手前なんだがね』
 向こうで起きたらしい笑声が、伝声管から聞こえてくる。柔らかな声質といい物言いと言い、およそ帝国軍人には似つかわしくない要素にあふれていた。軽く自己紹介をした三川は、いよいよ荘厳な訓示を述べようという段になって、不意に黙した。その場に再び先ほどのような緊張が訪れる。伊形は休めの姿勢を取りながら、なんとなく次の言葉が分かるような気がしていた。
『……格納筒の件を、ご存知の方も多いと思うが』誰かが唾を呑みこむ。その場の全員の意識が、これでもかというほど伝声管の方へ注がれた。一秒もない間隙が数瞬にも感じられ、そして再び言葉が継がれる。『一切の接近を禁ずる。どうかこの任務の間は、あの格納筒のことは忘れ、職務に奮励してもらいたい』
 皆表立って態度には出さないものの、脱力感がその場に漂う。退屈な潜水艦暮らしに現れた摩訶不思議は、そう易々と全容を明かしたりはしてくれない。伊形は何か知っているのではないかと掌長の横顔を見たが、特段変わるところもなく訓示を聞いているのみであった。
『───帝国の誇る大潜水艦の一員となって、本任務に当たることが出来るのはまことに幸甚である。陸軍を代表し、小官はこの場で謝意を示したい。───征號作戰は、今後の聖戦完遂に不可欠な任務である。残念ながら第六艦隊司令官閣下の訓示はいただけなかったようだが、これは本作戦が軽視されているからではない。秘密作戦だからである』
 緩んだ頬を突然叩かれたかのように、全員の意識が再び伝声管へ向く。秘密作戦という言葉の響きに驚いている暇もなく、参謀本部からの客人は訓示を結ぼうとする。
『大日本帝国海軍軍人たる諸君らの奮闘努力に、小官はより一層の期待を寄せるものである。これより二週間余りの航海の前途に、幸多からんことを祈る。以上』
『敬礼』
 伊404艦内の全員が、一様にこぢんまりとしたあの敬礼をとる。機関の稼働音だけが艦内で唯一の音となり、乗組員たちは出航が間もなくであることを悟った。
空白
 二四〇〇。伊404は誰にも見送られることなく呉を出た。
 そしてそれから五分と経たないうちに、機関室を中心に騒ぎは起こった。
 ───機関音がしない。代わりにクラシックの音が聞こえてくる。
 むろん艦内の全員が気付いている。機関音は艦の壁を伝って全体に行き渡る音だからだ。それがないままでは、まるで航走している実感もないというものであった。
「……なんだってんだよ」
 大半の人間が部屋で横になっていた水雷科を代表して、伊形は機関部へ様子を見に行くことになった。狭い通路には、所狭しというほどではないにせよ食料の袋が並べられている。余分な客人を乗せているせいで、普段以上に食料を積む空間が狭くなってしまっているのだ。心中舌打ちしつつ、艦体前部の兵員室から後部の主機室へと向かう途中、
「おう、お前もか。伊形」
 航海科の岸部水兵長が───おそらくは伊形と同じ使命を背負って───通路に出てきたところであった。階級は伊形と一つしか違わなかったが、何分年季がちがう。善行章も一本しか入っていない───という噂の───恐るべき古参兵であった。幸いなことには、まだ伊404に来てから何の面倒も起こしていない。
「は、はい。岸部水兵長も主機に?」
「おうよ。まさかこんなに早くこういうことが起きるとはな」
「こういうこと?」
 まるで主機の異常を予見していたかのような口振りに、伊形は思わず驚きを露わにした。艤装作業中、岸部は当然操舵関連の艤装を担当していたはずであるから、主機の事情など知りようはずがない。
「ああ。なんでも、あの陸軍の連中が乗り込んでくる前に色々艦内をいじくりまわしたらしいんだよ」
「そうだったんですか」
 来野───伊404の衛兵隊長───に見つからないうちに早く行こうぜ、という古参水兵の言葉に「はい!」と威勢よく答えた伊形は、
「でも」とふと湧き上がってきた疑問にぶつかる。「一体誰がそんな工事をやったんですか。陸軍が艤装に手を加えるなんて艦政が許さないんじゃ」
「知るかよ」
 自分の知らない部分を突かれて、岸部は少し機嫌を悪くしたようだった。首をひっこめて「すみません」と上等水兵は弱々しく言い、再び主機への前進が始まる。発令所を何食わぬ顔で通り過ぎていく岸部の度胸に舌を巻きつつ、米袋を踏み越えて行くと、ようやく問題の主機にたどり着く。
「……おいおい、本当かよこれ」
 いっそう狭い機関部では、既に上半身裸で計器を睨み、バルブを調節している機関科員たちでごった返していた。だが、そこにはあの馴染み深いタービンの騒音も、蒸気の音もない。
 その代わりに、どこかで聞いたことのある文化的な調べがむさい機関室に充満している。異様な光景を目にした伊形は、恐れるでもなくまず笑ってしまった。だが、あまりにも場違いな超常現象に一番辟易しているのはほかでもない機関科員たちだった。
「邪魔だ。見世物じゃねえ」
「まあいいじゃねえか。ずいぶん高尚な機関音が鳴るもんだな」
「───あれだよ」
 計器から目を離した機関長が、天井に掛けられた布を指差す。よくよく耳を澄ましてみれば、クラシック音楽の重厚な調べは天井から放たれているものだと知れる。難しい顔をして布袋の形を見定めていた岸部は、やがて正体が分かったのか、得意げな顔で「ありゃ蓄音機ですな」と機関長に向かって言った。
「そうだ。曲名、知ってるか」
「さあ……?」
「バッハの、G線上のアリアですよね」
 ほう、と機関長は言った。なんでも、伝声管を通じて発令所に聞いてみたところ、唯一来野大尉だけが曲名を覚えていたのだという。洋楽好きな父親を持っていたことは、意外なところで役に立っていた。
「中々教養のあるやつだな。水雷科か」
 岸部水兵長がにやつきながら肘で突いてくるのをかわしながら、伊形は「どうも」と帽子を取る。これが主計長ならな、と伊形が一瞬考えたその時、
「盛り上がっておられるようで」
 例の、女声が聞こえてきた。

 少々露骨すぎたのでは、とは太田の言である。
 蓄音機を潜水艦に載せるよう助言したのも、太田である。Uボートでの数ヶ月に及ぶ滞在で、潜水艦にとっての音の重要性を痛いほど学んできた男ならではの提案であったろう。多少の衝突はあったが、負号部隊の口添えで伊404の艤装に手を加えることができたのはまことに幸運だったと思う。
 蓄音機は、もともとマレー半島のイギリス軍から奪取したものだった。三千機関が大東亜戦争の緒戦、陸軍の電撃的な侵攻に随伴していた頃のものだ。向こうの異常存在ブローカーをスパイ容疑で逮捕すると、最も上等な商品だと言って差し出して来た。欧州の異常存在取引会社の末端構成員らしいイギリス人は、オランダ植民地軍やフランス植民地軍相手にも異常存在の類を売りつけていたらしい。
 一人を血祭りにあげると、芋づる式に東亜の異常存在販路が見えてくる。その中には、吐き気を催すような実態もあった。臓物の木のプランテーションを作る白人農園や、万病を直すという赤子の遺骸の山。呪われた多頭多脚の牛の一頭は、もともととある村の祭殿の神体であったらしい。その上にまたがった者をたちどころに感染症に罹らせるというから、懲罰のために利用されていた。
 血なまぐさいそれらの品と比べると、蓄音機と言うのはいかにも大人しく、そして文明的な代物に思える。
 レコード以外に針を落とすと、刺された物体から音を奪う。潜水艦の機関部に針を落とすのは、考え得る限り有用な使い方ではないか。もちろんそれが潜水艦の運用へ与える影響というものは考慮に値したが、しかし実行を取りやめるほどの事由にはならない。
「しかし、訓示は騒ぎになったようですよ。少佐」
「まあ、下手に興味をあおったかもしれんな」
「煽るも何も、僕らは目立ちますよ」
 私は眉をくいと上げて、寝台に横になる。全員軍装は既に脱いで、兵用襦袢姿でトランプやらなにやらに興じている。記録映画で見た潜水艦乗組員も、大体そんな感じで毎日を過ごしていたのだから、これが"正しい"どん亀暮らしというわけなのだろう。カーテンを無理やり付けたという急造の士官室は、元々は最後部に位置する兵員室であった。今でこそ壁一枚隔てた隣の兵員室は静かだが、ひょっとすると耳をつけてこちらの会話を窺っているかもしれない。
「衛兵を私たちから出すという提案、やっぱり却下されてしまいましたね」
「そりゃ、不興を買うだろうからな」
 枕の位置を調整しながら潜水艦での洗濯───士官であろうと自分でしなくてはならないらしい───に思いを馳せていると、突然ドアが開いた。艦内トイレを確かめてくると言って出て行った剣持曹長だった。
「どうも騒ぎになってるようですな、蓄音機も」
「評判かい?」
「まさか。幽霊船だと」
「進水からまだほんの少しなのにな」私は起き上がって、防暑服の上着を掴んだ。「どれ、私が見てきます」

「G線上のアリアは、もともとヴァイオリンとピアノによる独奏のものではないそうですよ」
「よせよせ、こんなところでクラシック談義なんて。───どうだい、前部兵員室に来ませんか」
 水兵長と見える古参兵の笑顔には、明らかに後ろ暗いものがあった。なるほど、後腐れのない陸軍の士官どのをちょいと小突いたぐらいなら、きっと問題にはなるまいという考えなのだろう。私は首を振って爽やかに笑顔を作る。
「航海でどうにも耐えられなくなったら、バッハのお話を聞かせに参りましょう。名前は?」
「航海科の岸部、水兵長です。じゃあ、楽しみにしてますよ」
 去っていく古参兵の後ろでは、最近上等水兵になったと思しき青年がいる。先ほども敬礼を最も遅く緩めたところを見るに、まだ日が浅いのは丸わかりであった。そちらにも誰何すると、「水雷科のい、伊形です」というぎこちない返事が返ってきた。
「あんまり知識をひけらかすと、君みたいな水兵に足元をすくわれそうだ」
「いえ、とんでもございません」
 失礼します、と敬礼とともに去って行った背中は、いやに湿っているように見て取れた。緊張を強いられる上官に囲まれれば、無理からぬことやもしれぬ。私は踵を巡らそうかと一度考えたが、結局近くの通路にとどまった。蓄音機の音に耳を傾けていると、艦内の蒸し暑さにも多少は風流さを覚えられる。冷房が本調子になれば、たぶんこの艦内温度も多少はマシになるのだ。第三番が終わると、私は再び歩き出した。
 潜水艦を二文字で表すなら、異臭、だろう。そのうち鼻が曲がって平気になるという話であったが、そのころにはきっと人間として大切なものを失っているのだ。風呂にも入れず、水上艦以上に貴重な真水は身体を洗うなんてとんでもない。垢をタオルでこそぎ落とすのがせいぜいだという。乗り込んだその日のうちに、内地とは思えぬ湿気と高温が艦内に充満しているのだから始末が悪い。
 潜水艦という名称ではあるが、実際に潜航している時間はかなり短い。発見の危険性が低い夜間には浮上し、昼間は可能な限り潜航を続ける。それでも半日続けて潜るような真似は出来ない。潜水艦にとって、潜るというのはかなり最終的な手段なのだ。航続距離が長大な潜特型と言えど、その点は変わらない。無論艦体の巨大化に伴って酸素量や設備の充実は図られたようだが───問題は機械的な部分ではない。乗っている人間が、耐えられないのだ。
「三川少佐。こんなところで何を」
「これは、児玉副長。ちょっとした散策です。お邪魔なようでしたらとっとと部屋に戻ります」
 潜水艦に似合わぬ日焼けした大きな体躯が、せまっくるしい艦内通路いっぱいに立っている。音に聞こえた伊404副長(児玉少佐は先任士官であると訂正しなかった)兼航海長の児玉少佐は、恐らくこの艦で最も"潮っ気"なるものを体現した人間だ。伊号乗組経験者をかき集めた伊404クルーの中でも、蘆原艦長と張り合えるほどの猛者は彼一人なのだ。
「いえいえ、これから長く暮らす我が家を、もっとよく知っておくべきです」本当にそう思っているのか、という硬い笑顔を向けてきた副長は、私の身なりを一瞥すると、「潜水艦乗りらしくなってきたじゃありませんか」と今度は本心からの言葉を述べる。
「日本の夏は暑い。日本海に出ればマシになりますか」
「そうでもないですね。潜水艦に乗っている限りは」
 思わず辟易した表情が出ると、副長は意外そうな顔をした。
「あなたがたもそんな顔をするんですね」
「人間なので」
 ひとしきり笑いあうと、児玉副長は道を空けた。また後で、と敬礼をしてその場を去る。潜水艦とは狭いものだな、とまたしても同じような感慨が湧いてきた。ハッチを開けるたびに人と出くわし、米袋は本当に所狭しと置かれている。発令所まで戻った私は蘆原艦長の死人顔に挨拶をして、甲板へ出ることが出来るかどうか問うた。
「構いませんよ。足元は何も見えませんから、注意してください」
「ありがとうございます」
 私に衛兵が一人ついて、出航前にぴかぴかに磨かれた梯子に手を掛ける。それなりに長い梯子を上っていくと、丸いハッチが頭上に現れる。衛兵は私よりもさっさと登って行ってしまって、その重そうなハッチをぐいと持ち上げた。途端に、馴染み深い波音と潮の匂いが強くなる。「気を付けてください」と言われて甲板に顔を出すと、頬を海風が叩いた。

「……で、いつやるんですか」
「あいつらが飽きてきた頃を狙おう。もう艦長から許可が出てる」
 前部兵員室に出来た臨時ガン・ルームには、数人の非番士官が集まっていた。中でも最先任の児玉は、先ほどから腕組みをしたまま黙している。左目だけで集まった顔ぶれを見回した児玉は、なんとまあ変わったメンツが揃ったものだと内心考えた。
「来野大尉、本当にいいんですか。こんなこと」
 かつては法学を志していたという衛兵大尉は眼鏡を拭いて「……艦内で警察権を持っているのは艦長ですから」と答えた。
「乗組員の安全確保と、航海における支障の排除は幹部の責務なんですよ。陸軍の連中がなにを隠しているかは知らないが、主機の異常といい───」
 と、白熱した永長大尉がそこまで言ったところで、児玉が腕を解いた。両手を振り回して舌をふるっていた永長は、最先任の動きにぎょっとした。児玉はもったいつけるように雑嚢からサイダーを取り出すと、それを一口あおった。
「……やるにしても、誰がやるんだ。航海科から出してもいいが、口の堅いやつを選ばんとな」
「うちの宇城なんかはどうです。優秀だし、頃合いを見て従兵かなにかとして発令所に置いておけば」
 永長の細い顔が得意げにゆがんだ。児玉は額に皺を寄せて、異論のある人間を探した。来野がなにか言いたそうにしているのを見て、「その時の衛兵からで、いいんじゃないか?」とつぶやいた。話を振られた衛兵大尉は、手帳を取り出した。
「甲板見張りにその宇城上等水兵が出ているときに、うちの運用科の衛兵も行かせましょうか」
「まあこんな航路じゃ、航海科は大変ですね」
 全くだ、と返した児玉はサイダーをまたあおる。陸軍の奴らめ、と続けた児玉は、先ほど行き会った三川の顔を思い出していた。永長とは比べ物にならない美しい細面で───間近で見るのは決して初めてではなかったが───思わずどぎまぎさせられた。ありゃあきっと、お偉いさんに色仕掛けでもしてるんだな……と勝手に脳内で決めつけた児玉は身震いする。また会ったときは、もう少し込み入った話をしてみよう。
「明後日には関門海峡ですか」
「ああ、運悪きゃ───いや、十中八九だが───機雷でボカチンだ」
 誰ともなく、ため息がもれた。誰も「死にたくない」などとは言い出さないが、この作戦の意義については誰もが共通の疑問を抱いていた。必死の作戦と言うからには、てっきり他の伊号に連なって敵機動部隊への最後の一矢を放つものだとばかり考えていた者ばかりであった。何も言わずに死ねというのなら、それなりの説明が伴って然るべきではないか。
「俺がそれとなくあの三川って奴を見張る。お前たちも何かあったらすぐ俺か蘆原艦長に知らせてくれ」
「そっちの岸部って奴、気を付けろよ」機関長の佐鹿少佐が、髭面からまだ白い歯をのぞかせる。「さっきも三川少佐を連れ込んでどうにかしようとしてたらしいからな」
「そうか。見張っておく」
 うなずいた児玉がもう一度サイダーを煽ろうとすると、からん、というビードロ玉の音がする。瓶はもう空になっていた。

 新居浜港へ到着した伊404は、食料の補給を済ませると一〇三〇から潜航を始めた。潜航前に乗組員全員で、一度外の空気を吸う機会が設けられた。そこから九時間半にわたる潜航をし、そして由利島の近海まで来ると再び浮上して、7月29日の昼頃徳山港へ到着した。伊404はそれを最後の寄港として、問題の関門海峡へと向かう。
 艦内にいまだ流れ続ける"G線上のアリア"は、蓄音機に布切れを押し込むという形で一応の解決が見られた。とはいえ、機関科員たちの表情が晴れることはなかった。まったくの無音のうちに動作する主機は気味悪いといって仕方なく、そして状態もわかり辛い。乗組員の四分の一が、潜水学校で圧縮教育を受けた人間たちだ。懸念は尽きない。
 いつも以上に静まり返った発令所に、一人の来客の姿があった。
「どうなさったんです? 三川少佐」
「いえ、お構いなく。ここで見ているだけですので」
 忘れがたいあの声に、従兵として来ていた兵士の顔が上がった。宇城上等水兵は、件の美青年の顔をまだ拝んでいない数多くの乗組員の一人であった。陸軍将校と結婚したという妹からの絵葉書を受け取って以来、何故だか三川少佐の存在が気にかかってしょうがなく、こうしてとうとうその機会を得た。
「気合いを入れろ、もうすぐ機雷原だ」
 航海長の児玉少佐が、決して大きくはない声量で檄を飛ばす。発令所の空気が引き絞った弦のごとく張り詰めて、宇城は潜望鏡のハンドルを握る手に汗がにじむ。これまでの航海を経て既に、艦内の各所が汗でぬめりを帯び始めている。それはこのハンドルも例外でなく、宇城はしきりに掌をこすり合わせていた。浮上前にはこうして必ず全周警戒をしなければならないが、実は搭載されている潜望鏡は仰角を取ることもできるのだ。内海を行く潜水艦にとって最も恐ろしいのは、敵航空機を置いて他にはない。
「敵影確認できません」
「よし、浮上用意。ベント閉め」
 蘆原艦長が、珍しく表に緊張の色を見せていた。普段以上に白い顔から血の気が引けているようにさえ思われ、宇城は多少不安に思った。関門海峡を抜けるという航路が示された時、幾人かの内航事情を知る者が口々に噂をしたのだ。"この艦は沈みに行くようなものだ"と。その噂に触れた児玉航海長が「心配するな」の一点張りであったことは、かえって乗組員たちの不安をあおっていた。
「ベントよし」
「メインタンク・ブロー」
 圧搾空気が、バラストに溜まった海水を猛烈な勢いで排出していく。船殻の内部に響き渡る気流の奏でるオーケストラが、この艦が今水圧の呪縛から解き放たれつつあることを証明する。
「上げ舵いっぱい」
 操舵長の号令が操舵員へ伝わって、山彦のように数度反復しながら、やがて艦体が傾き始める。陸軍からのお客の様子はどうだと、宇城が振り返ってみると、慣れたもので手近なものに捕まっていた。浮上までの秒読みを、哨戒員の一人が淡々と行う。すでにこの海域には、五万と機雷が遊弋しているのだ。この浮上の衝撃で一体どの型式の機雷が誘爆するか、分かったものではなかった。
 幸いなことに、伊404は無事に海面への帰還を果たした。浮上航走中の宇城の任務は甲板見張りであった。仲間たちとともに猛烈な勢いでラッタルを駆け上り、外界へと飛び出す。露天艦橋、艦首、艦尾とそれぞれ持ち場へ散開し、直ちに水平線と上空の監視配置についた。今司令塔では、艦長あたりが三川少佐を足止めしているはずだ。その間に、晴嵐格納庫を開いて───。
 その時であった。艦内に、猛獣のうなり声がごとき悲鳴が轟く。

 艦長とのしばしの相談を見事打ち切らせた悲鳴は、確かに艦体の後部から聞こえてきた。不意に厭な予感が心中を支配した。三千機関で貸し切っている兵科第二倉庫。あそこに何事かあったのではあるまいか。
「少佐」
 太田がやってきて、私の耳元に唇を寄せる。
「兵科第二倉庫か」
「はい」
 艦長に言って厳重な封鎖を図っていたはずだが、こうも早く問題になるとは思っても見なかったことだった。あるいは、艦長たちの手引きであるかもしれない。現場を訪れると、すでにほかの機関員と乗組員たちの間で押し問答が起きていた。
「止まれ。軍機違反で重営倉に行きたいのか」
「ここは俺たちの艦だ、そんなことに構ってられるか」
 倉庫を管轄していた機関士たちといがみ合う剣持曹長は、私の姿を認めると、はっとして敬礼した。周囲の乗組員たちも私の到来に気づき、ぶっきらぼうな小さい敬礼をする。階級章を見る限り、この中の最先任は私で間違いない。
 すると、分隊下士の一人が「陸軍さんよお」と野太い声を上げた。
「この部屋の中で、うちの岸部が悲鳴上げてぶっ倒れちまったんだ。いったいどうなってるんですかね」
「さあな。私たちも知りたいところだ。岸辺水兵長はどこだ?」
「今、前部兵員室の医務スペースにおります」
 剣持曹長が答え、脇の下をすり抜けて部屋に入ろうとする水兵を押しとどめる。私は太田にこの場を手伝うように伝え、岸部の同僚であったらしい分隊下士を連れて全部兵員室へ行くことにした。
「よろしいんですか、少佐」
「不信感を払拭する必要がある」
 岸部水兵長が、いったい"どこまで"見たのか、それを見定めなければならない。あの部屋には、比較的安全な代物を置いていた。悲鳴を上げて卒倒したとなると、例の棺を開けてしまったのだろう。これで正気に戻られては少々厄介だ。
 艦内の各部屋には、ほとんどの場合ドアは存在しない。医務スペースには二床だけ寝台があり、それ以上の患者は自分の寝台で眠ることになる。一応カーテンで区切られていたが、これでは防音効果は期待できない。
 軍医長は、私を待ち受けていた。部屋の入り口に姿を現した私を見て、開口一番「何をしたんだ、彼は」と言い放つ。首を傾げて見せた私は、彼の不興を買った。
「どういうことです」
「どういうことですだと? 明らかにイカれてるよこいつは」
 軍医長が顎でさした先には、寝台に縛り付けられている岸部水兵長の姿があった。鎮静剤で眠らされたらしいが、それまではうわごとを繰り返すばかりでとても平常ではない様子だったという。負号部隊から借りた呪符は、存分に効果を発揮していたと見える。このまま三日間は、頭の中に呪詛の声が繰り返されて正気に戻れないだろう。
「説明してもらおうじゃありませんか」
 後ろについてきた機関科分隊下士が、引きつった笑みで私に言った。椅子を引き出し、改まった様子で目の前の禿げ頭に問う。
「軍医長、彼はなんと言っていましたか」
「……まともじゃないから、本当かどうかもわからないが───"女"が、死んでいたと」
 私は無表情を崩さぬまま、脳裏に様々な可能性を想像していた。岸部水兵長は機密の一端を覗いてしまった。これがもし、伊404幹部たちの謀議によって成されたものであるとしたら。
「興味深いですね、それは」
 いよいよ幽霊船ということか、この艦は。
 軍医長の青ざめた顔に、わたしは微笑んで見せた。

 艦長命令で、晴嵐格納筒への突入は中止された。原因は言うまでもなく、岸部水兵長であった。計画のことは、伊404幹部と、そして宇城たち一部の水兵たちの間で極秘とされる運びとなった。
 そうした事情を知らぬ伊形は、心なしか口数の減った同僚に、少しの違和感を覚えていた。例の岸部水兵長の発狂が、なにか関係しているのではないか。いくら聞こうと、宇城は否定も肯定もしない。
「最近、軍医長がおかしな噂を流してるんだ」
「そうなのか」
 興味なさげに壁のほうへ寝返りを打った同年兵は、これから四時間の休憩をすべて睡眠に使うと決めたようだった。近頃様子のおかしい親友を前に、伊形は気晴らしになるだろうと話を続ける。
「この艦の向かう先は、実は米帝の本土なんだとよ。海底のトンネルを通って、太平洋を一直線に突っ切って───」
「そんな阿呆な話があるもんか」
 小さくつぶやいた宇城は、背中を丸めていよいよ寝入ってしまう。興を削がれた伊形は、しかし負けじと話を続ける。
「伊404は俺たちが知らない間に改造されて、反撃の魁になったんだ。機関音はクラシックになっちまったし、魚雷はトビウオみてえに飛んでいくんだ」
「……トビウオなら、開いて食いたいもんだな」
 長期航海のきつさは、宇城と伊形もよく聞かされたものだった。乗り込んでいる乗員の中でも特に古参兵は、赤道を南下した経験を持っている。数ヶ月に及ぶ航海で新鮮な糧食が尽き、甲板に飛び込んできたトビウオを開いて食べたという話は、何度も聞かされたことがあった。
 もちろん、伊形自身軍医長の話す海野十三のような話を信じているわけではない。だが、今となってはそれが真実であってくれたほうが幾分ましというものだった。撃沈必死の作戦なれば、せめて空母のひとつでも沈めてから散りたいと願うのは自然なことであった。
 寝息を立てている同年兵を起こさないように、伊形は外へ出る。伊404は関門海峡を前に、前進を一時止めていた。海上には、そう長く居続けることはできない。すでに数度、米帝の哨戒機を頭上でやり過ごしている。それもこれも岸部水兵長の事件が原因であり、若い上等水兵はこの事件の背後にただならぬ気配を感じ取っていた。伊形はこれでも"帆村荘六"のファンであり、探偵は幼少のころの夢だったのだ。
 しかし、と伊形は寝静まった同僚を見下ろす。岸部水兵長の発狂は、この宇城上等水兵が艦橋見張員として出て行ったときに起こった。ということは、彼の関与を疑うのはまずあり得ない。だがこの狭い艦内で、人一人を発狂せしめる何かが隠れていられる場所は少ない。そしてその場所といえば、陸軍が貸しきった晴嵐格納筒と、そして兵科第二倉庫だ。もともとあそこには飛行用品などを積んでいたから、なるほど晴嵐がないとあればその部分は空きができる。
 艦橋配置がここのところ増えた宇城は、なにか知っているのではないのか───そう考えが到ったところで、伊形はため息をついた。乗組員の中でも下の下にあたる自分たちに、わかることは少ない。
 稚拙な探偵ごっこに興じている自分の姿に気がついた伊形は、急に気分が沈むのを自覚していた。前の非番に、牛殺しを連続して受けたときも、似たような気分になった。みんな、死の海と化した関門海峡を越えるにあたっておかしくなっている。急に始まった軍医長の法螺話も、自分たち若年兵を勇気付けるものなのか、はたまた軍医長もおかしくなっているのかわかったものではない。
 岸部水兵長が発狂したのも、それが原因ではないのかという噂がある。前途に絶望した岸辺水兵長が、佯狂を弄していち早く艦を降りようとしている、というのだ。ここならまだ、徳山の港にカッターで戻ることも可能かもしれない。
 だが古参の下士官たちはみな、それを否定していた。岸部は確かに善行章も一本しかないような乱暴者だが、逃げ出すようなやつではない。
 部屋を出た伊形は、医務室へ行こうかと考えた。足が艦体後方へ向けて歩み始め、やがて止まる。
「………………」
 それは、前方から件の岸部水兵長が歩いてきたからだった。

「お前の部下が見たのは、本当に死体なのか」
 紫外線を発する蛍光灯の下、手狭な艦長予備室の入り口には臨時で従兵が立っていた。伊404幹部を秘密裏に呼び集めた蘆原は「なにがどうなっている」と疲れた様子で続ける。半ば叱責のような問いを受けた児玉は、蘆原以上に消耗した様子で座っている。
「軍医長は、岸部は本当に死体を見たんだろう、と言っています。ですが確認しようにも、あの陸軍の連中を説得する必要があります」
「見ればいい! 艦長には艦内の治安を預かる義務がある」
 永長大尉は声を荒げたが、すぐに蘆原にひと睨みされて首をすくめた。冷徹な白皙は今までにないほど困惑と焦燥にゆがめられ、艦長職にある男は一枚の紙片を机の引き出しから取り出してきた。
「今朝方、GFから問い合わせの返答があった。征号作戦に関連する一切は、陸軍"負号部隊"に一任されている、と」
「それは統帥に対する反逆なのでは」
 来野の問いに、蘆原は無言でうなずいた。
「形式上は軍令部総長からの発令になる。だが、その内容については大本営から直々に軍機の判が押されているらしい」
「そんな馬鹿な。一体全体どこの部隊がそんな大権を振りかざせるというんです?」
「通称号は"負号"らしいが、陸軍省に問い合わせてもそんな名前の部隊は存在しないらしい。よっぽどな組織なんだろう」
「陸軍の中にオカルトにかぶれた連中がいるって話なら、聞いたことがあります」
「仏教とかあの辺の?」
「いや、もっとカルト的なものだろう。いずれにしろ、三川少佐たちがそういう連中と関係がないとはいえない」
「そんじゃあなんです?」佐鹿機関長が、だんだんと憶測の色を強めていく会話に割って入る。「三川少佐たちはそのオカルティックな何かをこの艦に積み込んでいて、その一環として女の死体もあった。で、それを運悪く岸部が見つけておかしくなっちまった」
「もし軍医長や岸部の言うとおり死体があったのなら、それは衛生上看過できない問題です。作戦の是非はともかく、その点だけでもわれわれは説明を受ける権利ぐらいはある」
 ずっと押し黙っていた児玉はそう言うと、立ち上がって一礼した。
「うちの岸部が大変な迷惑をおかけした。申し訳ない」
「筋が通っていないのは陸軍だ。児玉少佐が謝るようなことじゃないさ」
 ただ───と蘆原は一呼吸置いて、児玉を一瞥する。
「どうして岸部水兵長は、兵科第二倉庫なんかに入れたんだ? 鍵は連中が持っていたのではないのか?」
「分かりません。鍵は内部から開錠されていたとしか」
 永長大尉が気味悪そうに「うう」とうめき声を上げた。
「岸部は今でも、立ち上がってどこかに行こうとするのです。軍医長が見張っていますが、ひょっとするとあれは」
 しばし、その場に無言の時間があった。話はいよいよ強く伝奇の色彩を帯び、そしてその内容は切迫していた。
「……で、どうするんです?」佐鹿が仕切りなおそうと、話を戻す。「素直に向こうがはいどうぞ、って第二倉庫を見せてくれるとは思えんね。鍵を持っているのは連中だ」
 衛兵を立たせるしかありますまい、と来野が言った。一同は顔を見合わせる中、永長は「なんのために? まさか、陸軍の連中を───」
「それもありますが、第二倉庫の中を確認するための人材も必要です」
「どこが出す? 来野大尉の従兵は一人しかいないし───」
「小官と、もう一人気の強い者を寄越してください」
 児玉が手を挙げたが、蘆原は首を横に振った。
「先任士官にもしものことがあったら、この艦はどうなる? ただでさえ、今は関門海峡を前にしている」
「いずれにせよ、そこを越えたらでしょうなあ」
 佐鹿がそうまとめると、一同の間には確かに安堵の空気が流れた。だが、耳に遠く聞こえるG線上のアリアの音色は、無言の彼らの心中を確実に蝕んでいたのだった。

 明くる日も、私は艦橋───より正確には、露天艦橋───を訪問した。残存している駆潜艇の一隻が、伊404を先導して進んでいくのが艦首方向に見て取れる。あちらにも負号部隊の息がかかっていることは明白だが、三千機関の人間は乗り込んでいない。
「………………」
 関門海峡をいよいよ越えようという段になって、これまでになくぴりぴりとした空気の中、一人涼しい顔をしている陸軍軍人は歓迎されようもなかった。ましてや水兵の一人が、私たちのせいで発狂した後ときている。心なしか私を刺す視線には悪意が含まれていて、防暑服の隙間に刃物を差し込まれたかのような気分にさせられる。
「三川少佐。どうやらうちの岸部に粗相があったようだが───」上がってきて早々、蘆原艦長は私に向き直って言った。「今は後にさせてください。これから当艦は峠を越えようというところなのです」
「存じ上げております。それゆえ、小官もここまで上がってきた次第なのです。きっと上手くいきますよ」
「機関音が鳴らなくなってしまいましたからな」
「まこと不思議なこともあるものです」
 海上というだけあって、風が常に吹き付けてくる。関門海峡は世界でもまれに見る狭隘な水路であり、その沿岸には数人ではきかない人影が見える。その全員の記憶に検閲をかけるというのは、陛下の股肱たる皇軍の力をもってしても不可能だ。そして眼下の青い海底には、大量の機雷が爆裂するときを待っているのだ。本土決戦を控え、米帝のみならず帝国海軍も自ら近海へ大量の機雷を敷設し続けている。
「機雷原へ入りました。駆潜艇が航路から外れます」
「ご苦労だった、と伝えておけ」
 磁気式・音響式・水圧式と種々さまざまな機雷が、よもや日本の内海にまで浸透しつつある。彼らにとって、関門海峡ほど格好の餌場はなかった。日本海と太平洋を結ぶ狭い水道を往く伊404は、目には見えずとも今まさに危険な綱渡りを始めた。
 もちろん、私たちもまったく無策のままではない。120と1つの特別資産を無事に運びきるのがこの任務であり、近年の皇軍に見られる特攻精神を、私たちは持ち合わせていなかった。少なくとも磁気機雷と音響機雷に対する防護処置が、この艦には施されている。
 露天艦橋の雰囲気は、もはや"天佑を確信している"ように思われた。少なくともこの中に、ここを無事に切り抜けられると信じている人間は一人もいないだろう。思えば、岸部水兵長が発狂しだす前に、誰かしが先に発狂していてもおかしくない環境であったのだ。
 蘆原艦長と児玉航海長、そして数名の航海士や兵員が額をつき合わせて、海図を死にそうな顔で眺めている。着底しているであろう機雷が、なるべく"薄い"部分を探そうとしているのだ。
「このまま微速を維持し、6時間後に海峡を抜ける。それまでは各員休息を返上し、不測の事態に備えよ」
 伝声管の向こうから、緊張の絡みついた声音が返事をよこした。蘆原は海風を楽しんでいる私に振り返ると、深刻な面持ちを隠そうともしない。
「きっとわれわれは助からんでしょう。ダイバーズロックの場所は覚えておいでですか?」
「大丈夫ですよ。少なくとも南から蚊が飛んでくるようなことがなければ」
 私が見上げた晴れ空には、一羽の鳥の影もない。天候に負けじと晴れ晴れとしている私に比べて、蘆原艦長の表情は曇ったままであった。鋭敏な船乗りとしての勘は、私と違ってこれより来る災厄を見通しているのかもしれない。
「いい天気ですからね。来ないことを祈りましょう」
「天佑を確信し、と」
「ええ」
 蘆原艦長は、にこりともせずうなずいた。

 そこにあったのは、女性の遺体のようだった。いや、なぜ自分は死んでいると断じたのだろう。でもそれは、生きているというにはあまりに特異すぎた。棺桶に横たわる女性はまったく一糸まとわぬ姿で、しかしそのはだえは葉緑素を持つかのごとく緑変している。整った顔立ちは、死に化粧をとうに済ませたかのように、もう二度と開かぬ瞼をぴったりと閉じていた。
 そこはもう、僕たちを閉じ込める洋上の牢獄の形ではない。岸部水兵長は、彼女に自らの食事を供しに来ていた。ここは穢された祭壇であり、紫外線を発し続ける蛍光灯は罪を赦すことをよしとはしない。僕らは顔を見合わせ、そして許しを乞うた。彼女の柔肌を載せている棺は土で満たされており、そのところどころには十字架と髑髏を象った祭具が捨てられている。
 彼女が言うには、僕らはこのことを漏らしてはならず、ただ少しずつ伝道しなくてはならない。焼け焦げた呪符を岸部水兵長が踏みつけ、僕の胸倉を掴んで引き倒した。いつの間にか小さなナイフを手に持っている水兵長は、彼女に言われるがまま振り下ろす。僕の胸に突き立ったそれは血を吸い、傷もなく僕の身体から出て行く───。
 伊形は目を覚ました。
 艦内のどこか───倉庫であろうか。蛍光灯が切れているのか、それとも今が夜だからなのか───まずいことに伊形は時間感覚を失っていた───それは分からなかった。だが、間もなく伽藍洞に思われた部屋の中に、"なにか"が落ちていることに気づく。それは、真円の手鏡だった。持ち手らしい持ち手のないそれを拾い上げると、鏡が宿していた皮膚を焦がすほどの熱に驚く。思わず取り落とした鏡は、そのまま床に直立して転がりだした。真っ暗闇の廊下へ出て行く鏡を追って、伊形は何者かとぶつかった。
「もっ、申し訳ありません」
 艦内で誰にぶつかったとしても、たいていは自分の方が立場が下なのだから、とにかく平謝りするのが利口というものだ。しかしながら、その相手はなんの返答もよこさなかった。ずいぶん気の難しい相手と衝突事故を起こしてしまったようだと、伊形の額から血の気が引ける。
「あ、あの」
 乾いた白い球が、床に落ちた。
「誰だ、お前……」
「ひっ……」
 あってはならぬ空虚が眼窩に収まっていて、見えぬ見えぬとうわごとを繰り返す。その顔は水分をまるきり搾り取られていて、醜く収縮していた。
「あ……あなたは……」
「どけ。ったく、目の前が暗くてしょうがねえ……」
 しわがれた声がそのまま人をかたどったような、細く黒ずんだ腕が伊形を押しのけて行く。言葉を失った水兵は、上官の背中が暗闇へ消えていくのをただ待っていた。
「……まさか」
 不意に伊形は気づく。どこからかやってくる薄明以外には、通路に差し込んでくる明かりは全くない。潜航中ということならば納得も行くが、震動が全くないというこの状況では、とても航走状態にあるとは考えにくい。
 知覚されうる情報を総合して出てくる結論は、主電源喪失という最悪の事態であった。
 伊形は今頃になって、現在の潜水艦内部に立ち込める臭気が、普段のそれとは全く異なっていることに気が付いた。あの体液と食物と糞尿が混じった異臭に加えて、腐臭かあるいは屍臭とも言うべき臭いが漂流している。伊形は後ろを振り返った。今おのれが出てきたのは、おそらく兵科第二倉庫だ。後部兵員室とつながっている倉庫だが、今は陸軍の客人たちの部屋とのみ接続されている。
 つまりあの男が向かっていったのは、陸軍の客室だということになる。
 やめよう、と伊形は独りごちた。自分が今の今までどうなっていたのかも知れないのに、余計な詮索をしてはただ面倒を増やすのみだ。今はとにかく、自らの配置───魚雷発射管───を目指すべきであろう。掌長からの想像を絶するような制裁が待っているかもしれないが───唇が不意に緩み、ひび割れに血がにじむ。痛みに顔をしかめた伊形の脳裏には、放逐したはずの最悪の予感が舞い戻っていた。
 明らかにこの艦は、すでに戦闘能力を喪失している。今のところ浸水は見られないが、早晩船殻が圧壊してもおかしくはない。
 伊形は、ふらふらと薄明かりの方へと歩き出す。

「よろしいですか三川少佐。操舵に関しては操舵長がいますし、潜航に関しては潜航長がいます。そしてなにより、この艦の最終決定権は小官にあるんです」
 物分りの悪い陸軍将校に対して、半ば怒鳴るように蘆原は言った。米軍機を遠方に視認した見張り員からの通報によって、艦橋は直ちに潜航を決めた。とはいえ、この海峡の水深はたった12メートル足らずにすぎない。そうなると必然的に潜望鏡深度での潜航となる。
「小官が反対しているのは潜航そのものについてではありません。機関を停止することに対して異議がある」
「何度も申し上げているじゃありませんか。われわれの艦には自動懸吊装置が付いています。機関が止まっていても深度を固定できる」
 そんなことは知っている、と三川に脇侍している将校が言った。
「なぜ機関を停止する必要があるんです、別にこんな機雷原にとどまらなくなっていいでしょうに」
「不安は、よく分かります」
 児玉先任士官は、きわめて冷静を保ったまま言った。見かけによらずもっとも

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