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 いつものように、不可解な方法で転送は完了した。
「ひさしぶりだね」
「お久しぶりです、先生方
 彼が唐突な呼び出しを受けるのは、これが初めてのことではなかった。財団や連合の探知を避けるべく、彼らはよくこういった手を使う。
「細谷とはもう会ったかね」
 老人たちの一人──彼には誰がしゃべっているのか見当もつかない──が、口火を切った。まどろみのなかに割り込んでくる声は、干からびた男の声だ。自分の舌の根に意識を集中させて、彼は「いえ、まだ」と答える。
「われわれもまだだ。あの若造にも言うつもりだが」
 たぶんさっきとは違う男がしゃべり始めた。その調子には若干のいらだちが紛れ込んでいて、彼は予感の正しさを知る。やはり老人たちは怒っている。
「どうするのかね。きみは夜鷹の利益代表者であるはずだが」
「もちろん善処しますが、状況は厳しいようです。細谷は制裁を容認するつもりのようですし──」
「きみがそんな調子では困るよ。なんのためにきみをそのポストへつけたと」
「申し訳ございません」と型通りの謝罪をして、彼は老人たちの小言を待たずに続けた。「しかし、今回の案件で夜鷹の存続に決定的な疑義が持たれてしまったのは事実です」
「すでに連合の連中には使いを送ってある。連携して決議をつぶせ」
 これが今日一番伝えたかったことだろう。彼がうやうやしく返事をすると、老人たちは次第にがやがやとバラバラにしゃべり始めた。
「そもそも、なぜ財団が嗅ぎつけた。蔵部の差金か」
「連合へ提供する情報はこちらで決める。きみは忙しいようだからな」
「そうだ、今日あたりさっそく話せるだろう」
「はい。失礼いたします」
「頼むよ。この国の自主独立はきみの双肩にかかっているんだから」
 さきほどまでぼやけていた身体の感覚が急に戻ってくる。はっきりとした輪郭のない視界が、上方に引き伸ばされて薄く輝き始めた。引き揚げられていく意識が、やがて他者の存在を感じ取れなくなると、彼は目を開いた。
「自主独立か」
 空虚な響きだと彼は思っていた。

 
 

西暦 201█年 1月7日

職員各位

財団日本支部理事会 幕僚部
管理総局人事教育局第1部 発令課
課長 吹上 真

 
 

人事異動報知

 
 

人事異動について、下記の通り通知す。

 
 

 
 

1. 人事異動

 

西暦 201█年 1月7日付

 

海野 一三 サイト-8181諜報機関 ケース・オフィサー
西塔 道香 同上

 

上記二名、サイト-8100、財団日本支部理事会幕僚部 政治局行政監督部へ出向を命ずる。

 
 

以上

 

 


 

「政治局に……出向」
「なにしたのお前」
 ずいぶんのんきな調子でぼくを小突く西塔もまた、政治局への出向を命じられた人間だ。いつもより長い年末年始休暇を終えたぼくらを待っていたのは、オフィスに貼られた一枚の通知と片付けられたデスクだった。休暇前に必死になって片付けた書類の山が嘘のように、きれいさっぱりとその他の私物を含めて消えている。はじめはなにかの嫌がらせを疑ったぼくだったが、この書面を見てようやく合点がいった。
 これは組織からの嫌がらせだ。
「おうお前ら、残念だけど一足遅かったな。お前らの机の中身は政治局の奴らがあらかた持って行った。追ってサイト-8100預かりの配置転換の辞令もくだる」
 班長は鷹揚にぼくらの肩を叩いた。常日頃から面倒な案件を引っ張ってくるぼくらの異動に、一番喜んでいる人間はこの男だろう。非特定組織専従班はしばらくの間サイト-8181諜報機関の基幹業務ローテーションから外れ、広域司令部の直属組織として補助的任務に徹することになるらしい。つまり、お仕事がものすごく減ることになるということだ。その恩恵にぼくらは与れない。それがもたらされた原因は、ぼくらにあるというのに。
「すみません、政治局というのは……」
 ぼくはこの人相も底意地も悪い笑顔への対応をどうすべきか悩みつつ、とりあえず穏便に質問を飛ばしてみる。財団の詳細な組織階梯など、それこそ幹部教育を受けていなければ知りようのない機密事項の一丁目だ。
「知らないね。政治介入専門部署らしいけど」
 この前政治局の担当者と飲みに行ったときは、仕事の話は一切していなかったらしい。財団ではありがちなことだ。必要知の原則はコミュニケーションに優越する。
 ぼくはもう一度異動通知を見直した。サイト-8100といえば、日本支部理事会の本部施設が存在するとされるサイトだ。理事会直属の輔弼機関である幕僚部に所属するのだから当然といえばそうなのだが、そんな施設がまともなロケーションにあるとは思えない。なにより身柄がサイト-8100預かりになるというのは、なんとなく「業務上の死」の隠語のようで気味が悪かった。
「まあ、頑張りたまえよ。おれはきみたちが誇らしい」
 意地でも戻ってきてやろうと思わせる笑顔に送り出されたぼくらは、迎えが来たという連絡を受けてサイト地上施設の玄関口で待つことになった。ようやく明けた年は、いまのところ最悪の滑り出しだった。世の中には年末年始がない職業の方もいらっしゃる分、この仕打ちはまだ人道的かも──そう自らを慰めていると、
「ふざけんなよあのオヤジ絶対脛毛むしってやるからな」
 こう息巻いてらっしゃる方もいる。
 腕時計に目を落とすと、まだ午前10時だった。出勤して一時間後に任地を変えさせられるというのは、いかにも効率の良い財団組織ならではの現象である気がした。その結果わけのわからない僻地へいきなり飛ばされるという点では、むしろ未開的な組織だが。
 迎えは5分と経たずに現れた。ただの黒い乗用車──国産車のセダンは、公用車という趣がある。いよいよ理事のお膝下からのお迎えとあって、ぼくらはかぐや姫のごとく緊張した面持ちで、停車するのを見守った。自動的にドアが開き、中から「どうぞ」という女性の声がする。
「失礼します」
 西塔に先を譲り、バックミラー越しに運転手の顔を覗き込む。そこには、低い座高でなんとか車を運転している少女の姿があった。驚きのあまり声が出せないぼくの横で、西塔は「おいおいおい……」とあきれたような反応を見せている。せっかく締めたシートベルトを伸ばして、女エージェントは身を乗り出した。
「なんだお嬢ちゃん。免許取るのは高校卒業してからだろ」
「女子中学生ではありません。わたしはあなた方の同僚、お目付け役です」
 は、という返しでぼくの先輩が不機嫌になったことがわかる。振り返った女子中学生──来栖くるす 朔夜さくやを名乗るエージェントは、少なくとも西塔よりは運転が丁寧だった。今のところ、ぼくが彼女について知っていることはそのぐらいだ。それから、カーオーディオでディキシーランド・ジャズをかけ続けて、同乗者を眠りに落とすことができる。
 あれは実際、ミームでも混ぜてあったのかもしれない。
「着きました」
 そこは、ぼくの記憶ではこの国の中心だった。
 千代田区は紀尾井町のビルディングの中へ入った車は、立体駐車場のエレベーターへと呑み込まれていく。おそらく藩主屋敷の地下へ潜っているらしいと知れたが、ぼくらはいまだ目的地を知らされていないことを思い出す。どうやらサイト-8100に向かっているわけではないらしいことは、そろそろわかってきたが。
「ここは」
「既存日本超常組織平和友好条約機構、その本局所在地です──ここには、もぐらがいる」
 地下へ潜っていく途中、来栖はそう切り出した。ぼくらに一切視線を合わせることなく、フロントガラスの流れる壁面へ向いたまま。どうやら彼女の一挙手一投足が気に入らない西塔は、それもまた気に入らねえというように足を組んでいる。
「そりゃ地面の中だもんな」
「西塔さん」
「ロシア支部の情報を流した人間は、おそらくこの中にいます」
「なに」
 地下駐車場には、数台の黒塗りが止まっているだけだった。驚愕しているぼくらをよそに、来栖はカーナビに視線を集中させつつ二の句を継いだ。
「エージェント・イヴァノフの情報を始めに持ってきたのは渉外部門でした。正確な出所は秘匿──というより、有耶無耶にされていましたが……」キーを回してエンジンを止めたが、それでも来栖はこちらへ振り向かない。「ソースをたどって行った結果、PEJEOPAT代表部がその情報源であるとわたしたちは結論しました」
 おい、と痺れを切らした西塔の一声が入った。鋭い双眸が、フロントガラスに映った童顔を睨み付けている。来栖は少し肩を震わせると、しかし何も告げない。西塔は身を乗り出して、目を見て話せ、と凄む。
「お前、けっきょくどこの誰なんだ」
「わたしは──」意を決したように振り返る少女──の似姿をした職員──は、青ざめた顔でこちらを見ていた。「記録・情報セキュリティ管理局RAISAのエージェントです。あなたたちともにもぐらを狩るために派遣されました」
 彼女が名乗った記録・情報セキュリティ管理局1RAISAライサと呼称される組織は、機密管理を一元的に担う一方、その存在自体もまた機密でできている。財団内部である程度以上の機密に触れると、必ず名称を目にすることになる組織だが、その実態を知る者はごく限られていた。
 来栖はRAISAとしての職務もまた、一時的なものに過ぎないと付け加えた。専従の職員は、そもそもこのような場に出てくることは稀なのだろう。
「これから会うのは、管理総局の政治局長です」
「まずは上司にご挨拶ってことか」
 いくらか機嫌が直ってきた西塔は、先行く来栖を頭の上から押さえたりなどしている。勝手に妹分のような処遇を受けるRAISAのエージェントは、身長を尋ねられると「機密です」と言い放った。RAISAはガードがかてえな、と西塔は感銘を受けた様子でうなずいている。軽微とはいえ、対人恐怖症持ちの人間に対する悪手を連発する同僚は、やがて距離を露骨にとられるようになっていた。
「お待ちしておりました。こちらです」
 政治局長の秘書官を名乗る男が、玄関口で待っていた。木目調のドアを押し開くと、生暖かい風が顔に当たる。同時にやわらかい絨毯の感触が革靴越しにわかり、唐突な違和感に襲われた。足を踏み入れると、そこには地下空間という語感とは縁遠い光景が広がっている。10メートル以上はあろうかという天井にぶら下がるシャンデリアや、各所にみられる格調高い家具その他が、高級なホテルのフロントを思わせた。財団と世界オカルト連合、日本政府の三者協議の場として整備された以上、見た目以上にセキュリティは固いはずだ。
 秘書官の男の着ている背広も、ぼくらの仕事着とはだいぶお値段が違いそうな代物だった。政治家だか外交官だかの秘書である以上、それなりの装いというものが求められるのだろう。だが営業的な笑顔を張り付けたままの男は、年齢も──下手をすると国籍すらも──判別しがたい奇妙な不気味さがあった。財団日本支部の中枢で働く官僚とは、このような人間がなるものらしい。
「局長、三人が到着されました」
「入れ」
 財団PEJEOPAT代表部と印刻された表札のドアが開かれると、そこには30畳ほどの応接間がある。執務机に座っている銀髪の男が、ぼくらを見るなり立ち上がった。かなり小柄で、来栖ともいい勝負をしそうなほどだが、しかしそれ以上に目を引いたのは派手な色をした背広だった。
「黄色かよ……」
「ようこそ、よく来た。さあ、座ってくれ──いや、悪かったね。年明け早々いきなり異動なんてさせて。まあ必要があったから呼んだんだが──ほら、座って座って」
 色に負けない声量と表情の強さで、ぼくらは早くも気圧されることになった。来栖はさきほどまでのエージェント然とした態度が一変、押しの強さに怯えている。西塔はその様子を面白がっており、眼前の政治局長の長広舌に全く耳を傾けていない。
「──そうそう、名乗り遅れた。わたしは菓子岡かしおか 仔鹿こじか。幕僚として、政治局の局長とPEJEOPAT代表部全権大使を兼務している」
 差し出された派手男の名刺を見るまで、ぼくは名前の漢字が全く思い浮かばなかった。第一印象のすべてが胡散臭すぎる幹部は、ぼくらの微妙な表情を察して付け加える。
芸名コードネームさ。政治局は外とのつながりが多い。きみらも持っているだろう」
 なるほど、と言っても、ぼくは財団内部向けの名刺をもっていないし、それは西塔も来栖も一緒だった。しばらくしてようやく菓子岡はそのことに気が付き、「失敬失敬」と頭を掻いた。「なにぶん、長いこと政治畑で仕事をしてきたから、名刺交換が当たり前なんだ」
 財団は巨大組織だ。ぼくらの知らない習慣にも、時に行き当たることがある。菓子岡はこまごまとした心配りができる男だった。冗談を飛ばしてぼくらの緊張をほぐそうとし、西塔の危なっかしいトークにも機敏に対応する。
 数分の間に、ぼくらはこの男の類まれなる話術の才能を存分に味わうこととなった。ただ一人来栖だけが警戒感を崩さず、言葉少なに菓子岡の話を聞き続けていた。四方山話が終わると、菓子岡は背もたれに預けていた背中を起こす。
「きみたちを呼んだのは他でもない、"夜鷹"に関する案件のためだ」
 来栖が目配せしてきたのに気づく。先ほどの話を事前にしていたのは、この男もまた容疑者であることを示している。西塔もそれには目ざとく気が付いていて、細く弧を描いた眼が菓子岡の行動を観察していた。夜鷹部隊と立ち回ったぼくらの仕事を褒めはじめた政治局長は、ここからが本番だと身を乗り出す。
「夜鷹部隊をPEJEOPATで提訴する。きみたちが押さえられなかったあの通信システム隊の幹部だ。あの事案を夜鷹部隊による条約違反で立件する」
「提訴、しかし原告は日本政府になるのでは」
「きみの言いたいことはわかる。PEJEOPATにおける代表権を持つのは日本政府自体だ。身内の夜鷹を提訴できるのかということだね」
 ええ、とぼくは首肯する。日本政府のPEJEOPAT代表部は国家安全保障局に置かれており、首相官邸によって握られている。もし提訴すれば、財団は日本政府に対して自罰を求めたに等しい。
「もちろん、政府とはすでに協議を詰めているよ。具体的には夜鷹の解体まで見込んでいる」
 来栖は驚いた様子で、背もたれに身を預けている。彼女の想像を超えて、政治局の動きは急激だったのだろう。日本政府と共同で裁判の手続きを進めている部署があるというのは、平の職員には想像しづらい世界だった。菓子岡は自信に満ち溢れた態度で、ぼくらに仕事を説明する。
「政治局員たちは彼らに注文を付けて操縦することにかけては一流だが、共同して地道に捜査活動をするにかけては、とんと素人だ」
「それでわたしたちが」
 地道な捜査活動のために呼ばれた西塔は、少し鼻に突く菓子岡の言種に機嫌を損ねたようだった。幕僚はその機微を察すると、気を悪くしないでくれ、と苦笑した。
「餅は餅屋だ。プロフェッショナルには敬意を払わせてもらう。理事会に、裁判の証拠集めに人員をくれと言ったんだが、期待以上の人材を寄越してくれた。諜報活動の専門家二人に、エージェント・来栖はRAISAから裁量権を与えられていると聞いている。わたしとしては申し分ないよ」
 両手を合わせて揉んでいる菓子岡は、親戚の伯父のような笑顔をつくる。それからもしばらく話が続いた。カナヘビの息災を聞いた幕僚は、微妙な態度を取った。かつてはともに仕事をしていたらしく、しぶとい爬虫類の生存は単に喜ばしいだけではないらしい。
「きみたちもさぞ、苦労しているんだろうな」
 立ち上がって握手を求められたぼくは、はあ、とあいまいな返事を寄越した。いったい昔どんな目に遭ったのかは、聞かないでおいた。

 

「おつかれさまです」
 紀尾井町に隣接する永田町には、国会議事堂や政党本部など立法の中枢が集中する地区がある。公用車を降りた細谷は、1期後輩の芦間に声をかけられた。今年経産省の政務官を拝命した後輩は、派閥領袖の息子として地盤を譲り受け、手厚い庇護をうけるホープの一人だった。
「ああ、どうも。昼はもう終わった?」
「いえ、まだです。細谷さんは」
 まだだけど、と細谷は上を指さした。これから部会・調査会の合同会議へ出席の予定があり、食堂へ行く余裕はない。聞いてみたのはちょっとした挨拶だったが、「なるほど」と芦間は残念そうに苦笑している。政務官である芦間が党本部に来ているということは、彼も何かしら党務の用事があるのだろう。
「部会のメンバーでお食事ですか」
「その時間があればいいけどなあ」
 エレベーターで別れると、内閣官房の担当官僚である遠藤が手帳を開いた。合同会議での議題についてもう一度軽いレクチャーがあり、フロアに着くとすでに代議士たちが廊下で雑談に興じていた。部会の開始時間はもうすぐだったが、まだ部会長は来ていないらしい。なんとなく理由の想像がついている細谷は、会議を早めに切り上げようと決心する。
「こんにちは。先生方、おつかれさまです」
 おお、と中年の男たちが振り向いた。電子加熱煙草を吸っているのは元防衛副大臣だった3期先輩の議員で、このほどは国防部会長代理に就任している。閣僚を経験すれば次は顧問だが、派閥間調整と上の先輩方が重しになって、まだお鉢は回ってきていない。
「今日はよろしく頼むよ」
 はい、と細谷はやや緊張した面持ちで応える。今日の彼は、この場にお上──総理の代理人として馳せ参じていた。遠藤は律儀に近くで待っていたが、先に入ってよいと合図すると、すぐに会議室へ消えた。今日の会議で一蓮托生となる若手官僚と細谷は、数日前から会議資料の作成に追われていた。
「それでは、定刻になりましたので開会と致します」
 山川やまかわ 犀治さいじ国防部会長が入ってきたのは開会間際のタイミングだった。安全保障調査会長と部会長の挨拶があり、すぐに防衛省の官僚たちと細谷の出番がやってくる。いくつかの安全保障政策について、防衛省と内閣官房が説明を行うというのが今回の会議の主要テーマだった。
「それでは、細谷首相補佐官よりご説明お願いいたします」
 内閣総理大臣補佐官(国家安全保障担当)という文字列が、彼の名刺でもっとも輝ける肩書だった。時の首相の信任を得た国会議員として、細谷は安全保障政策の中枢にいる。だがその分、部会メンバーからの質問は容赦がなかった。
「多額の予算が割かれる以上、部会では厳しく精査せざるを得ないのはご理解いただけると思いますが……」
 山川部会長の前に、遠藤と細谷の作り上げた想定問答集はほぼ無力だった。だが入念な資料作成が功を奏し、資料を参照しながら回答を作り上げ、一時間の会議を凌ぎ続けた。終盤には、神経を削られた遠藤が、メガネがずれたままどこか一点を見つめるようになっていた。
「では、以上で散会といたします。みなさん、おつかれさまでした」
 席を立つ議員たちに交じって、細谷も部屋を出ようとした。この後はまた官房に戻って、法案作成と決裁が待っている。ドアをくぐろうとした刹那、「おい」と低くよく通る声に呼び止められた。遠藤がびくりとし、振り返ると山川が手招きをしている。
 予想通りの誘いに、細谷は少しおかしさを覚えた。
「このあとはまた官邸に戻る?」
「はい」
 遠藤は山川と昼食を共にするという事態を想像していたらしく、ほんのわずかではあるものの顔を明るくしていた。細谷は気が付かない振りをしたが、国防部会長はそれに目ざとく気が付いている。
 鍛えがいのある若手だな、と山川は誰に告げたのかもわからない感想を述べた。40代半ばの細谷は、党内の代議士ではまだまだ若造の部類に入る。
「会合まではもうあと一週間ほどか」
「ええ、準備も大詰めです」
 よくやっているな、と型通りなねぎらいの言葉をかけて、山川は細谷の耳元に顔を寄せた。首相補佐官は少しもたじろぐことなく、油断なく視線を横へと滑らせる。
「老人たちは怒り心頭だ。せいぜい気を付けろ」
「ご忠告、痛み入ります。山川先生もどうぞお気を付けください」
 いくつかのニュアンスが混じった曖昧模糊な笑顔が、国防部会長の顔を覆い隠していた。遠藤はやり取りについて行けずに戸惑った様子だが、この話がそう簡単に首を突っ込んでよい類のものでないことはすぐに理解できた。
「それじゃあ、また近いうちに」
「はい。それじゃ、失礼します」
 軽く一礼して、細谷は会議室を後にする。その背中に山川の視線が矢のように突き立てられているのを、彼は本能的に理解していた。おそらくすでに彼の計画は一部が知れている。今のは親切心から出た忠告であると同時に、老人たちからの間接的な恫喝とみて間違いない。
「遠藤くん、飯を食いに行こう」
 後ろからついてくる官僚は、待ってましたとばかりに威勢よく返事する。細谷はかすかに苦笑すると、すぐにそれを打ち消してしまった。
 呑気にしていられるのも今のうちだ。数日後には、細谷か山川のどちらかが消えている。勝算は十二分にあったが、これは単なる政局ではない。ルール無用の生存競争。正常性維持機関とやり合うとは、そういう戦いに身を投じるということだ。
「かつ丼にしようか。おいしいところ、知ってるんだ」

 

「もぐらねえ、あんなに露骨だとは思わなかったが」
「菓子岡仔鹿、ふざけた名前ですが、彼はRAISAにとって重要参考人の一人です」
 まだ犯人と決まったわけではありませんが、と来栖は言った。紀尾井町を離れたぼくらは、その足で千葉県柏市──科学警察研究所へ向かっている。警察庁特事調査部の研究機関である科警研第五部には、昨年12月に殺害された通信システム隊の幹部、犬山等助の遺体が収容されていた。遺体の管轄権は完全に向こうにあることになるが、菓子岡の口添えでぼくらはその遺体との対面を許された。
「しかし、証拠をつかむのは困難でしょう。あの幕僚が政府とつながりを持つことはなにも不思議じゃありませんし、ましてやPEJEOPAT経由での情報提供とあれば罪に問うのは難しいのでは」
「情報は決して一方通行ではありません」
 なにか出て行った情報があるはず、来栖は確信を持った調子でそう言った。菓子岡という男に対する個人的な嫌悪も絡んでいそうだが、彼女の言うことにも一定の説得力がある。だが、PEJEOPATと言っても一枚岩ではない。機構が独自の諜報リソースを持っており、ロシア支部から情報を盗み出したなどというのはまずありえないのだ。
「警視庁管内での事件とはいえ、特事課をまず最初に動かしたということは、政府が相手なのか」
「それは早計でしょう。連合という線もあり得る」
 来栖はこちらと接触する前から調べを始めていたらしく、いくつかの可能性を考えていた。だが、それでも情報不足はいかんともしがたいものがある。
「特事課への電話も、結局誰からものなのか不明ですからね。あれがわかれば間違いないんですが」
 時刻はすでに午後5時を回っていた。都心から一時間足らずで着いた科学警察研究所は、曇天の暗色の中に煌々と明かりを灯している。再び来栖の安全運転に運ばれる最中、西塔はずっと寝ていた。
 研究所の地下施設には、法科学第五部のラボが収容されている。入るなり撮影機材を没収されたぼくらは、係員に食って掛かろうとする西塔を引き留めなければならなかった。
「霊安室に入った後にお返しします」
「中身をのぞこうなんて真似はやめておくんだな。無駄だぞ」
 こちらが三人なのに対して、特事調査部の関連人員とみられる警官は五人もついていた。
 やがてエレベーターが開くと、研究者らしい白衣に身を包んだ男が出迎える。
「お待ちしていました。さあ、こちらへ」
 あからさまな敵意に満ちた警官たちとは異なり、紳士的な対応だった。
 ここまでにいくつかの監視システムをくぐっているぼくらだったが、顔と指紋の記録を防ぐため常に記銘拒否のミームを身体に刻み込まれている。要注意団体施設を訪問する際の基本的な装備として、コロイド銀による呪詛パターンを全身に走らせるのだ。
 ぼくは、顔にそれを塗る必要がない。
「網膜内部に刻まれた認識災害の呪印を解読しているのですが、これは過去数件確認された正体不明の現実改変能力者殺害と類似したパターンであることがわかりました」
「夜鷹部隊が関与を疑われた事件ですか」
 そうです、と研究者はうなずいた。夜鷹部隊の活動には謎が多く、財団でさえもその捕捉に苦労を強いられていた。その活動の実態を掴むためにもっとも活用されるのが、PEJEOPATのデータベースである日本特異例報告だった。
 政府超常関係機関の多くはここへ律儀に詳細を登録しているが、その中には、よく調べると出処が不明な脅威存在粛清に関わる案件が混じっていることがある。多くは現実改変能力者や妖術者の殺害だったが、その手法から世界オカルト連合の活動とは異なる組織によるものと断定されていた。
 つまり、あれらは夜鷹による作戦と見られている。だが今回の案件において、殺されたのは"ヒト型脅威存在カラーズ"ではなく、ただの人間だ。それは粛清などではなく、単なる殺人と呼ばれるのが正しい。
 菓子岡は、今回の提訴で、世界オカルト連合は夜鷹の弁護に回る可能性が高いと見立てていた。世界オカルト連合──その極東部門は、その成立経緯からして、財団日本支部に対するカウンターとしての色彩が強い。反財団的な態度を崩さずに、吸収されゆく蒐集院を去った人員の多くは、極東部門へと身を寄せていた。
 PEJEOPATで起きるもめごとの多くは、財団と世界オカルト連合、この二者による異常存在対策活動の方向性の違いによるものだ。二項的な対立が常態化する中、彼らはあらゆる場面で反目しあう。政治闘争とはつまり、あらゆる手段を用いて相手の権威を失墜させることだ。
「政府系機関が、現実改変能力者事案対処に用いる兵器とは異なる系統です。どちらかというと米国系の超常関係機関が用いているものに近いかも」
「しかしこれは、決定的証拠にはならない。財団のラボとほぼ同じ見解です」来栖はいくつかの資料をしまいながら、誰に告げるでもなくそう言った。「客観的な証拠とするには、夜鷹がこれを使っていると認めなければならないはずだ」
 戻りましょう、とRAISAの使者は続けた。はなから彼女は、この研究所での収穫を期待していなかったようだった。西塔は特事課の刑事たちとなにか話しているが、どうせまた脅迫まがいの絡みに違いなかった。
「なんだ、あんたもいたのか」
 部屋のすみで、先輩エージェントがいきなり大声を上げた。その場の視線が集まった先には、久しぶりの顔がある。
「大屋刑事、どうしてここに」
「あ? あんたは……だれだ」
 案の定ぼくの顔を覚えていなかった特事課のベテランは、まとわりついてくる西塔を振り払いながら老眼鏡をかけた。そんなことをしたところで、たぶんぼくの顔を思い出すことはできないのだが。しかし大屋は、わかったような表情をつくる。
「あ、ああ、この女の部下か」
「知らねえだろ、おまえ」
 どうしてこちらに、というぼくの問いに、老境の刑事は肩をすくめた。上からのお達しよ、とぼくらにクリアファイルを差し出す。中には、犬山殺害にかかわる捜査資料が束になっていた。
「電子データだとそちらさん受け取らないだろ。わざわざ印刷させやがって」
「気が利くな」
 流れるようにぼくの手からファイルを奪い去った西塔は、その中身に目を通すことなく鞄へしまう。読まねえのか、と聞かれると、首を振って応えた。
「素面では読まないことになってる」
 内部でしか通じない表現でもって、女は笑う。ミーム汚染の可能性がある文書はその場で閲覧できないという規則を指したものだが、刑事たちにはそれが理解できないようだった。来栖は西塔の軽薄さにあきれ顔で一礼すると、一足先に部屋を出て行こうとする。その存在にようやく気が付いた大屋は、目を丸くしていた。
「なんだ……」
「娘と同い年ぐらいか」
 大屋の肩を叩いて、西塔がまた笑っていた。ひどい顔で笑い返す刑事に、ぼくは同情を禁じ得なかった。

 

 光の一切差すことのない暗闇というものを、彼女は肌で感じることができた。質量のない空間そのものが肌をまんべんなく押し潰しているのに、身体はかえって希釈されていくような感覚。セキュリティ上の必要という言葉は、この組織においては間違いなく悪弊をもたらす最大の要因である。第七接見室はまたの名を暗室と言い、出てきた者は口をそろえて「まぶしい」と言洩らす。それは部屋の内部を説明するものではなく、完全な暗闇から脱出してきた人間が発する感想だった。
 来栖 朔夜は入院患者の着るようなスモッグだけをまとって、この部屋に座り続けていた。暗器を警戒してか下着すら着用を許されず、しかもほとんど完全な暗闇の中で待機を強いられる。重営倉のような扱いだが、しかし彼女はそれに慣れていたし、どちらかと言えば好ましいとさえ感じていた。事前に受ける投薬で彼女の体性感覚はいくらか制限を受けており、ただ脳髄ばかりが冴えている。
 嗅覚が最初に、現れた他者の存在を感じ取った。かすかに香る白檀の匂いは、彼女にとって慣れ親しんだ主人の来訪を告げている。彼は鼻歌を歌っているが、曲名はわかりそうになかった。戦前の流行歌か、ともかく古臭いメロディーが耳につく。
「こんにちは、来栖監視官」
 彼が席に着くと、徐々に天井の照明が光量を増し始める。辛うじてお互いの顔を認識できる程度になってから、ようやく来栖は返礼をした。立つことは許されていないため、座ったまま、できる限り深々と一礼をする。いい、と手で制した男の顔には、白く滑らかなテクスチャがあるばかりであった。完全に顔を隠匿してしまうシンプルな白い仮面の中央には、やや小さいが『千鳥』という意匠があしらわれている。財団日本支部理事会 七号理事 "千鳥" は、この数ヶ月で来栖と五回以上接見を繰り返していた。
「すまない、待たせたね」
「とんでもございません。ここに来ては時間などあってないようなものかと」
「それは皮肉かね?」
「滅相もありません」
「まあいい。それで」
 なにか進展は、と聞く千鳥の声音には、隠しきれない疲労の色があった。すでに齢九〇を数えると言われるこの監督者にとって、一日の業務というのはどれほどの負担を強いるものか。来栖はしかし、そんな考えはおくびにも出すまいと決める。
「夜鷹の関与の立証は順調ですが、本丸の懸案はまったく」
「報告書から特に変わったことはなし、というわけか」