底辺研究員の下書きレポート

2017エイプリルフール


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「チューリップに愛をこめて、永遠に祈る」

氏名: 草間 彌生(くさま やよい)

肩書: 画家、彫刻家、小説家、ファッションデザイナー、"前衛の女王"。

主な実績: 芸術文化勲章、旭日小綬章、文化勲章など。

来歴: 1929年3月22日、長野県松本市で種苗業を営む裕福な家庭に生まれました。1945年(昭和20年)、大戦下に疎開してきた画家らが立ち上げた「第一回全信州美術展覧会」で並み居る顔ぶれの中16歳で入選。松本高等女学校(現:長野県松本蟻ヶ崎高等学校)を卒業後、京都市立美術工芸学校(現:京都市立銅駝美術工芸高等学校)の4年生最終課程に編入して日本画を学び、翌年卒業。その後は松本の実家へ戻り、寝食も忘れての制作活動に没頭していたといいます。

幼少から統合失調症による幻覚や幻聴に悩まされ、それらから逃げるために幻覚・幻聴を絵の形に描き留める活動を始めました。草間女史は現在に至るまで、水玉をモチーフに多くの制作行っていますが、これは耳なし芳一が幽霊から身を守るために全身に経で埋め尽くした様に、彼女が恐怖する幻覚や幻聴から身を守るために、作品全体を水玉(ドット)で埋め尽くす儀式でもある、とされています。

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近藤研究員の作風の元ネタです

1957年(昭和32年)に渡米。活動の中心をニューヨークに置き、絵画のみならず男根状のオブジェを既製品にはりつけた立体作品やインスタレーション、さらにハプニングと称される過激なパフォーマンスなども実行。1966年にはヴェネツィア・ビエンナーレにもゲリラ参加し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとりました。1968年(昭和43年)、自作自演の映画『草間の自己消滅』が第4回ベルギー国際短編映画祭に入賞、第2回アン・アーバー映画祭で銀賞受賞。また、第2回メリーランド映画祭でも受賞。

1973年(昭和48年)、親友でパートナーであったジョゼフ・コーネルが死去した事により、草間女史は体調を崩し日本へ帰国、入院しました。その後1978年(昭和53年)に処女小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』を発表、1983年(昭和58年)には小説『クリストファー男娼窟』で第10回野性時代新人文学賞を受賞するなど、小説家としての活動も行うようになりました。小説もその芸術創作と主題がリンクしており、少女時代の幻視体験をモチーフにしたものもあると言われています。

草間女史の活動が再び活発になったのは1990年代初頭です。1993年(平成5年)、ヴェネツィア・ビエンナーレに日本代表として参加。世界的に再評価熱が高まりました。2009年には正方形の絵画群である「わが永遠の魂」シリーズの作成を開始。同年にauのiidaブランドの端末をプロデュース、2012年にはルイ・ヴィトンとの共同コレクション(マーク・ジェイコブスによるディレクション)を発表するなど、商業分野での活動も盛んに行なっています。


Photo By Samuel Mark Thompson - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=18417741

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