Agent Roro's Garage

図書館を出た後、僕はサイト-L7の外縁を歩いていた。
これから次の職員がいる研究所まで行かないといけないが、問題は時間。ここからF4サイトへは連絡トンネルで行くことができるが、基本的に車両用の道路だから、徒歩だと数時間はかかる。僕は職員1人いない歩道の上を放浪しながら、仕方無いから誰かに自動車で送ってもらおうかと考えていた。
その時、後ろから妙に高い響きの声が聞こえてきた。

『あ、波戸崎さーん?いたいたー』

誰だろうと思いながら背後の道を見ていると、1台の自動車が走ってきた。それは黒いスポーツカーだった。そのクルマはスピードを落として道の脇に寄ると、僕を少し通り越した辺りで停まった。
気のせいか、今運転手が乗ってなかったような……
傍に近寄ってクルマを見てみる。光沢を放つテールには、モデルの名が刻まれている。

P O R S C H E
911 Carrera 4S

「へぇ、このクルマ、ポルシェなんだ」
財団の中で生活をしていると、スポーツカーのような維持に手間が掛かる嗜好品を見る機会は滅多に無い。物珍しさから光沢の輝くボディをそっと指でなぞっていると、また声が聞こえた。
『ぐぅ……くすぐったいです』
「えっ!?」
驚いてもう一度運転席を覗いてみたが、車内には小物が散らばっているばかりで、どう見ても運転手は乗っていない。今の声の主が誰なのか戸惑っていると、またまたその声がした。
『あ、驚いちゃいました?ってことは、僕のこと知りません?』
「こ、この声……誰が喋って……」
『僕ですよ、僕。ええと……詰まるところ、アナタの目の前にあるポルシェが、"僕"です』
その言葉で、僕はようやくそれがクルマのスピーカーから出ている声だと気付いた。どうやらカーナビ音声らしいが、妙に抑揚が効いている。ヒトの声ではないが、"神州"のようなAIとも違う。
「自動車が、喋ってる?」
『そういうこと。僕は静神ロロって言います。こんな姿ですけど、一応エージェントです』
「エ、エージェント?これが……いや、その、貴方が?」

『……貴方も、僕をモノ扱いするんですか?折角こっちから来たのに』
「いや、モノというか、ひょっとしたらロボットなのかと思いまして……」
僕としては至極当然の反応をしただけなのだが、この反応によって、そのポルシェが放つ声は明らかに不愉快を示すものへと変化した。機械っぽい声なのに、そこには人間以上に感情が露骨に表れている。が、その声は次の瞬間、再び先ほどまでの呑気な高い声へと戻った。
『まぁ、いつものことだからいっか。それより、早く乗って下さい』
ポルシェがそう言うと、助手席側のドアがひとりでに開いた。
「乗る?どうしてですか?」
『竹内研究員の頼みで波戸崎さんを迎えに来たんですよ。挨拶回り、歩きじゃ来れないでしょ?』
「あ、あぁ……なるほど、そういうことなら、失礼します」
僕は状況を掴み切れなかったが、促されるがままポルシェに乗り込んだ。
『シートベルトを締めて下さい。では、F4サイトに出発!』

淡々としたトーンでポルシェがそう言うと、運転席側と助手席側のドアが開いた。僕は運転席の方に乗り込む。内装は流石ポルシェといったところで、本革のシートやインパネの装備も充実している。
それだけでなく車内に雑多に置かれた奇妙な品の数々。ダッシュボードの上に置かれたネコの置物、少女のセルロイド人形、ブリキのロボット。そしてシート裏とリアウィンドウの間に敷き詰められた、大量のクマやウサギなんかのぬいぐるみ……しかも総じてボロッボロだ。アンティーク集めが趣味なのだろうか……まともな物らしいのは、カップホルダーに挿された小さな花瓶だけ。
「そういえば、貴方の名前は……」
『挨拶が遅れてごめんなさい。僕は静神ロロ。こんな姿ですが、一応エージェントです』

つまり職員?でも、いくら何でもポルシェがエージェントなんて……
僕は反射的にそう呟きそうになったが、その時、ルーフから吊り下げられたある物に目が留まった。
それは勲章だった。やたら雑に引っ掛けられてはいるが、それは確かに優秀な功績を持つ職員に授与される勲章。最高位のものではないが、それでも中々貰える物ではない。

『……いくら何でもポルシェがエージェントなんて、変、ですよね』
「え!?いや、その……」
『いいんですよ、いつも言われることですから……運転は僕がしましょうか?』
「あ、はい、じゃあお願いします」
『ではシートベルトを』

……

ウィンドウに表示された人事ファイルを見たことで、僕の疑念は大方解けた。
ポルシェの姿をしたエージェント、静神ロロ。諜報員であると同時に、その手の職務上有用な機能を数多く備えた特殊車両でもある。だから彼は、"職員"であると同時に"備品"としても扱われる。ハッキングや解析を行う機能の他、なんと現実改変耐性さえ備えているらしい。
「インパネやハンドルに色々ボタンが付いてますよね。シフトレバーのギアも何か多いし……このテンキーとかは何に使うんですか?もしかしてタイムトラベルとか?」
『それができたら中々素敵ですが……まぁ、入力した番号に応じて色々と。例えば"9-1-1"と入れれば最寄のサイトに通報できます。後は"4-6-6"と入れてクラクションを鳴らすと……』
「鳴らすと?」
『あっという間に自爆します』
「えぇ!?今2桁目まで打ち込んでたんですけど……というか、何でそんな危険な機能が」
『竹内さんの上司の神橋博士です。いざという時は僕のストッパーとして使うとか』
「……それ、ロロさん的には大丈夫なんですか?」
『別に?その時は竹内さんも乗せて、博士のオフィスに突っ込むのみです』
「は、はあ……」

彼は声こそ女性の機械音声だが、中身は完全に男性……というか少年だ。自分より若いんじゃないのかと疑ってしまう言動すら取る。実際そうなのかもしれない。
今、彼が話す言葉はやたらそっけないばかりなのに、その言葉を聞いても何故か不愉快な気分にはなれない。彼の言動、そしてこの車内の空気に、やはりどこか懐かしさを感じてしまう。僕は多分、この"喋るポルシェ"に一度会っている。

『F4サイト群までもう少し時間が掛かります。お疲れでしょうから、少し休んで下さい』
「あ、ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えます」
シートはひとりでにゆっくりと傾いた。挨拶回りで僕は小さく溜息をして目を細めた。綿の様に寄り集まった白く小さな花が、花瓶の中で揺れている。

「この花……そうか」





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