春も終わりを告げた頃、警視庁捜査一課のある一室では、俺こと杉上は仲間の刑事とゲームに興じていた。昼休みなので問題はないのだが、忙しい時ならば昼休みなどとっくに終えて資料を読み漁っていることを考えれば、今の俺たちはいつもと比べて暇そのものだった。余りに暇が続くので外食も飽きてしまい、しまいには警視庁の食堂でさっさと食事を済ませてから遊ぶのが最近の俺たちの様子だった。とはいえ、休み時間が終わればやる事はある。この勝負もさっさとケリをつけて次にいきたいものだが…
「なんでそう、長引かせるようなもん使うかなあ?もっと速く楽しくできるものをよぉ…」
「そういう杉上こそ、そんなにスピードを求めて楽しいの?生き急いでるのが出てるんじゃないの?」
「ばーかお前、俺がそんな風に見えるのかって、言ってるそばから来たぞ。そら!」
「うわ、ここで引くのは犯罪だろうがよ…もう一回!もう一回だけ!」
「別の奴とやる方が楽しいわ。よし、次お前」
こうして、仲間と盛り上がっていたら、清掃員のおばさんが入ってきて突如大声をあげた。それは明らかに俺たちを罵倒するものだった。
「何昼間から遊んでんのかしら、一課の刑事は。税金泥棒って後ろ指をさされるわよ」
「別にいいでしょ、昼休みなんだから。こういった仲間とのコミュニケーションも仕事のうーちーなーの」
「そんな小学生みたいな屁理屈、昔のうちの息子みたいだわね、全く」
こうしておばさんと言い合いをしていると、仲間の刑事が仲裁に入ってきた。
「いやあすいません、峰町さん。掃除の邪魔ならないよう移動しますよ。ほら、いくぞ」
「じゃ、いつもの通りお願いします」
彼女はベテランの清掃員の峰町さんで、うちの階の掃除を担当している人の一人だ。警察はとても情報漏洩にデリケートで、清掃員も長年勤め、信頼のおける人だけがこうした機密性の高いところに入ることが出来る。なので、刑事一同も暇なときは峰町さんと話すこともあるのだ。
このように、一課の刑事として過ごしているが、そんな俺には裏の顔がある。SCP財団のエージェントだ。杉上、という名前も偽名で、コードネーム・五丘山が今一番真に近い名前である。財団に勤める以上、名前というものは変えようと思えばいくらでも変えられるので、本名というものはない。SCP財団とは、通常の理解の範疇にないもの(俺らはSCPと呼ぶ)を見つけ、封じて抑え込むことで世界を裏から守っている組織だ。俺はその組織のエージェントとして、異常なものを発見する役割を持っている。
エージェントには、異常物品の回収のため各地を歩き回る奴らもいるにはいるが、大体の人間は様々な組織に潜入し、SCPの発見情報をいち早く捉えることを任務としている。俺も、こうして警視庁の捜査一課に潜入することで異常物品を使用した殺人がないかどうかを随時確認しているのだ。
だが、最近はSCPはおろか事件もなく、長い休憩を頂戴しているところだった。そもそも、所轄の強行犯係などにも潜入エージェントがいる場合が多く、俺自身が異常物品の回収に携わることなどほとんどないのが実情だ。このまま平穏が続けば何よりなのだが…
「中目黒署管内にて刺殺体が発見されました。初動捜査が終わり次第、出動命令が出ると思います。各員待機せよとのことです」
…と思った瞬間にこれだ。俺自身の捜査も仕事だが、下のエージェントをまとめるのも役目である。俺はカバンから私用ではない携帯を取り出した。仮に異常物品が関与していた場合、本部の捜査の前に回収を行わないととてもやっかいだからだ。中目黒署は確か、最近やけにAnomalousが回収されていたな、などと考えながら、所轄のエージェントに電話をかけた。
「潜入エージェント・五丘山のオブジェクト回収記録 ~血のついてない凶器の謎 事件の裏に潜むGOIの影~」
ひとまず電話がかかってきたフリをして、その場を離れた。そして留守電に「指定したメールの下書きにpdfを放り込め」と入れておいた。これは財団の符号のひとつで、サイトへの招集命令だ。指定したアドレスもダミーのものである。そして部屋に戻り、上司に先行調査を行う旨を申し出た。いつも行っていることなので、特に咎められることなく警視庁を脱出した。
集合場所は喫茶店に偽装されたセクター-81██の入口だ。中目黒署を含んだ三署の潜入員や、他に潜伏しているエージェントたちの情報交換の場である。東京には多数の要注意団体も居を構えているため、携帯等での通信を迂闊にすることは出来ない。なので、このような場所があちこちに存在しているのだ。外部には反ミームが施されていて、通常の人物はこの喫茶店に入ろうとは思わないようになっている。
「反ミームとはいいますけど、要するに外から中が見えなくて入りにくい喫茶店というだけでは?」
「本当に入りたいと思わないらしいぞ?俺たちは薬漬けにされてるから何も感じないだけで」
「なるほど、では報告をさせていただきながら現場へ向かおうと思います。えぇ、支払いはエージェント・森村の名義でつけておきますのでよろしくおねがいします」
上着を羽織りながら、所轄の刑事は話し出した。
「被害者はマンションで暮らす35歳女性、独身で身寄りは地方に両親がいるそうです。ナイフで胸から心臓を一突きされ、それがそのまま致命傷となり死亡しているのを、鍵が開いていた玄関から入り込んだ会社の同僚が発見しました。死後2日で、被害者が無断欠勤をしていたことを考えると、死亡推定時刻は2日前の出勤直前、朝6時から8時と考えられています」
「ところで肝心の凶器は?オブジェクトなのかそうじゃないのか…」
「そこが何とも話しにくい点なのですが…凶器は傷口の大きさ、深さからして果物ナイフだと考えられています。そして、部屋には凶器と全く同じ大きさの果物ナイフがあったんです。ですが…」
「ですが…なんだ?」
「血痕も、ふき取った形跡もありません。それどころか、被害者が殺される直前まで、現場の台所にあったリンゴを切るのに使っていたようなんです」
「さて、現場についた…が、部屋に入る前に、お隣さんへ突撃するか」
「先に現場を見るべきなのでは?」
「その、オブジェクト疑惑の包丁は回収済みなんだろ?異常性が不明とは言うけど、いずれ明らかになることだし、現場の状態は洗いざらい鑑識が検証済み。だったら、いつでもアクセスできるものより人間を優先すべきってことだ」
ためらいもなく隣人のチャイムを鳴らすと、派手な姿をした中年女性がそれに応じた。
「警視庁捜査一課の杉上です。お隣の…」
「またそれ?もう話したわよ?」
「管轄が違うので…少し、お話をお聞かせ願えませんか?」
「そうねぇ…前の刑事さんにも話したけど、隣の人のことはあまりよく知らないのよ。姿はみたことあるだけってところね。綺麗な人よね」
「そうですか…何か少しでも、思い出したことはありませんか?ほんの少しでも良いんです」
「しつこいわねえ。そんなものないわよ…いや、そういえば、つい最近男の人と喧嘩しているのを見たわ」
「」