notyetDr、砂底に眠る

“お祭り”からの帰り路には、ある種独特の空気が漂っている。

目一杯に楽しんだ後の心地良い疲労感に、ああ終わったのだなという一抹の寂寞。(ある程度)無事に終われてよかったという安堵と、また次も来られますようにという小さな願い。それら全てが入り混じった空気が帰路の車内を満たし、静かな揺れと相まって瞼を重くしていた。

とはいえ、昔から散々語られるように、『拠点拠点』うちに帰るまでが納涼祭』である。だからこそ、エージェント・佐竹は再編された機動部隊”祝祭の裏方”の隊長としてどうにか起きていた。

もっとも、彼以外の隊員たちは後ろの席で眠りに落ちている訳だが。全く、どいつもこいつも安心しきっているらしい。バックミラー越しに隊員たちの様子をぼんやりと眺めていると、不意に一人と鏡越しに目が合った。一人起きていたらしい。隊員ではない、研究職の同乗者である。


別れの言葉というものが、どうにも苦手だ。愛らしきクソガキだった頃から今に至るまで、ずっと治らない。

塚原さんと最初に会ったのはおよそ二年前のことだった。自分が財団のエージェントになったごく初期、初めて出動した緊急事態の時に出会った人だ。財団での知り合いの中では最も付き合いが長い人の一人とも言える。とはいえ、これで記録の更新も停止になるのだ。別れを経験するのは今に始まったことではないし、お別れが言えるだけ恵まれていると言えよう。

「失礼します。桜庭です」
「どうぞ」

しかも、今回は返事が返ってくるのである。扉の向こうは荷造りの真っ最中だった。幾つものダンボール箱に私物が詰められていく。積み上げられた荷物の量を見るに、まだまだ先は長そうだ。明後日出立と聞いていた気もするが。彼の手際の良さを見るに、捗ってなおこの有様というわけだ。そうなる理由は簡単である。

「相変わらず物が多いですね」
「これでも大分減らしてるんですけどね。あなたも何か持って行きます?」

部屋の主、塚原上級研究員は几帳面に棚の上に並べられた品々を片手で示した。ちょっとした小物から実用的なものまで、細々と揃えられている。しかし、それらの私物に統一感というものはない。殆どが土産と貰い物だからだ。そして、塚原さんは比較的物を大事に取っておく人で、飾っておく人でもあった。曰く、多くのフィールドエージェントに懐かれる人間にはこういう物品の集合がよく発生するらしい。その結果がこのごった煮という訳だ。

「いや、これ塚原さんにって貰ったものじゃないんですか」
「その通りだし、全部持っていきたかったんですけどね。業務と関係しないものは控えろって釘を刺されちゃって」
「……まあ、塚原さんだったら移動先でも物増やしてそうですしね」
「否定は出来ませんけど。そういう訳なんで、大半は残念ながらここに残していく事になりそうです」

処分するのも忍びないから、形見分けを兼ねてこのサイトの職員たちに欲しいものを持っていってもらっている、とのことだった。道理で最近この部屋の前が賑やかなわけだ。別れを惜しむ職員が集まっているにしてはどうも表情が明るいと思った。それでいいんだろうか、と思いながらも促されるままに一本のボールペンを手に取る。裏返してみると、ノベルティの類だったらしく、見慣れたロゴが記されていた。財団内で見慣れた、という意味であり、つまりろくでもない企業だという意味でもある。

「ニッソのフロント企業じゃないですか」
「そうそう、日本生類創研に潜入した人が生還の記念にって。異常性はないですよ」
「そうでしょうけど。じゃ、これ貰っておきます」
「それだけでいいんだ? 松岡君とかはすごい量を抱えて行きましたけど」

同期の名前を出されて、桜庭は顔を顰めた。エージェントとしては尊敬しているし、人間としても決して嫌いではないが、ここで同列にされるには少し嫌な相手だ。共に不条理と戦うという時にあの不真面目さはいただけない。少々露骨に表情に出ていたのだろう、塚原さんは不思議そうにこちらを見た。「いいやつなんですけどね。ふざけたやつですが」と付け加えておく。

「業務中に平気で下ネタ飛ばしてきますからね、あいつ。仕方なしに乗ったらめちゃくちゃ蔑んだ目で見てくるし」
「一体何を言ったんです」
「やだぁ、まだ昼間ですよ塚原さん」

正直に言えば、男にゴミを見るような目で見られてもあまり嬉しくない。というか、女性であっても塚原さんのような人に軽蔑されるのは普通につらい。ありがたい事に、彼はそれ以上追及してこなかった。まあ、向こうも忙しいのだろう。そう思ったところで、彼が手を止めてじっと手元を見ている事に気付いた。ここまで会話していてもずっと手を止めずにいたから、少し興味が湧いて身を乗り出す。彼はこちらの様子にも気づいていないようだった。これも珍しいことだ。

「掘り出し物か何かです?」
「ん? ああ、個人的にね」

塚原さんは手にしていたものを机の上に置いた。小さな木箱で、蓋には小さく「SCP-932-JP 炭化した体組織の一部(異常性は確認されず)」と書かれていた。桜庭は932-JP、と小声で繰り返す。聞き覚えがあると強く思ったのだ。だが、番号だけで思い出せるほどまだ彼は修練を積んでいる訳ではない。

「藁で出来た小さいフクロウです。かなり賢くて、人にも懐く」
「……ああ。あの時の」

 赤い閃光が閃くように記憶が蘇った。エージェントとして初めて体験した緊急異常事態。サイト-81██で発生した要注意団体の潜入。鳴り響く警報と、燃え尽きた小さな煤の塊。思い出した。SCP-932-JP、同僚たちには簡単にワラフクロウ、と呼んでいたオブジェクトだ。そいつが身を挺して外敵に特攻したおかげで自分たちが間に合い、財団の機密と一人の担当職員が守られたのだ。その職員こそが塚原さんだった。そうか、あの時の煤を彼は持っていたのか。

「あれ、知ってるんですか?」
「はい。あの時駆けつけた中にいたんですよ、俺」
「あの時の! すみません、覚えてなかった。その時はお世話になりました」
「いえ、仕方ないですよ。ペーペーで全然役に立ってなかったし」

自分だって記憶は大分曖昧になっている。実際オブジェクトの詳細も番号だけでは思い出せなかった。試しに記憶を辿ってみて、欠落の多さに時の流れを改めて突きつけられる。財団での2年は長い。その間に多くのものを得て、多くのものを失った。あの時あの場所に居合わせた職員で今もこのサイトに残っているのは自分と塚原さんくらいだ。このサイトはそれなりに人の出入りが多い事を考えても、残酷な時の流れだと思う。

「そうか、あの時の新米さんが頼もしくなって」
「親ですかあんたは」
反射的な突っ込みを入れる。ああまた締まらない空気にしてしまうな、と思った。まあ向こうも一応は笑っているから及第点といった所か。ふと、この顔はあの時にも見たなと思い出した。安全が確認された直後、床に散らばった燃えかすを拾い集めているときだ。この日とはこういう笑い方をしていた。一体どういう別れの言葉を口にしていたのだろう。騒動の最中でそれどころではなく、新米には当然聞き取ることも出来なかったのだ。今になってその事が急に残念に思われた。
あの時の台詞がわかれば、今何を言うべきかもわかるだろう。「親かよ」だとか下ネタを振ってくる先輩の話しだとか、そういうのじゃない、ちゃんとした相応しい言葉が。それは確信に近い直感だった。
「……何か?」
「ああ、いえ。大した事でもないんですが」
 ただ、それをこの場で聞くことに躊躇するかどうかとは別問題だ。

形状記憶の天使 下書きディスカッション
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