lockerのロッカーの奥
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蹲っていた茶色の巨体が力無げに立ち上がる。
気怠いような、諦めのような緩慢な動作は幾度となく繰り返されてきた現象の一部でしか無い。
喪失の痛みより78時間の後、巨体は己の本質のまま、トカゲのような口を開いた。再び、失うために。
 
巨体の喉が膨らみ、出産の喘ぎにも似た呻きとえづきが広々とした収容室に響き渡る。
巨体を振り回し、転げながら、僅かに喉の奥より顔を覗かせたのは、人間の子供。
生後数ヶ月といった所だろうか。まだおむつも取れない幼子は、なされるがままにいま再び産まれようとしていた。
 
そうして、産み落とされた子供は、巨体の腕に受け止められた。
あたかも我が子の如くに、優しく、愛おしく、繊細に。
親にとって、子とは全てが特別な生命である。しかしそれらの生殺与奪は全て親に委ねられている。
特別だからこそ、どう扱うのか? この光沢のある空色の皮膚を茶の長毛で覆った怪物は、泣き出した子供を抱えたまま、その泣き声に合わせるようにして細い吠え声を遠くに投げかけた。
 
繰り返されてきた、いつもの光景。
SCP-370-JP。子供攫いは、今日も無辜の命をその口に抱く。
誰もが、今やそれを特別視しなかった。非日常的な日常風景。数多の記録に埋もれる一つの観察記録と、将来に於いて確約されたボガート手順の実績記録。
この事象から生まれる結果は、誰にとっても、本来特筆に値しないことであった。
攫い、育て、奪い返す。ただそれだけの繰り返し。全ては繰り返し。
 
隣室より監視カメラにてこの様子を撮影し、観察していた研究員の一人が、子供の袖につけられたタグに気付いたのは2分後であった。
生まれて間もない赤子、しかももし未熟児であれば、一般の病院にてタグ付けされた子供であっても本来不思議はない。
だが、彼は幸いにも注意力に秀でていた。彼は気付いたのだ。タグに記されていた数字と文字の意味に。
 
 
SCP-476-JP-2
 個体番号: A-13』
 
 
赤子は泣いていた。
怪物は吠えていた。
収容壁が、立ち枯れた朽木の如く崩れた。
 
警報と共に、繰り返しの日々は終わりを告げる。
愛が、全てを繋ぐ時が来たのだ。
 
愛は、これより始まる。

「一体どうした!」
 
井戸技博士はサイト-8121の緊急司令室に駆け込みながら、何を確認する前にそう叫んだ。
会議室から急遽転用した緊急司令室は現在混乱にあり、機動隊員、エージェント、オペレーター、研究員が詰め込まれ、雑然とした室内で各々が作業と連絡に従事していた。
混乱の中にあり、それを収めようとする中枢に於いて井戸技博士の声にまともに応えられる者はいなかった。
ただ一人、部屋の中央にいた軍服姿の老齢の偉丈夫を除いて。
彼は井戸技博士に気づくと、床に置かれた機械類や張り巡らされた導線類を跨ぐように大股で近づき、右手を差し出した。
 
「機動部隊指揮官の黒堂だ。ボガート手順-SoCV責任者の井戸技 和直博士で間違いないか?」 
「ああ、井戸技だ」
 
差し出された右手を軽く握り返す。今は時間が惜しいのだ。
彼はすぐさま、己の言うべきことを並べ立てた。
 
「ボガート手順-SoCV緊急項目の承認権限により、事象収束まで本サイト戦力の指揮権はボガート手順-SoCV責任者に委任されるものとする。今より、貴方は私の麾下に入る。ひとまず報告を!」
 
やや早口気味にそう言い切ると、眼前の黒堂は簡易的ながらも恭しく礼を済ませ「ひとまずこちらへ」と司令室の中央へ井戸技博士を案内した。
そして、前方の壁際に置かれたモニターを指差して報告を始めた。
 
「ある程度は報告済みだろうが順を追って説明する。SCP-476-JP-2 A-13が出生したのは6ヶ月前の5月11日で、プラン:リサイズに基づく生育と教育と自動解放システムの中で生活していたが、昨日1638時に管理職員の目の前で消失。そして同時刻に於いてSCP-370-JPの喉頭内に出現した。状況から見て、SCP-370-JPの転移によって、SCP-476-JP-2がクロスしてしまったと判断された」
 
モニターに映っているのは、収容区画の廊下であった。
その廊下の奥から、SCP-370-JPがゆっくりと画面手前へと歩いてくる。
腕にしっかりと幼子を抱えたまま。
 
「転移後、1640時にSCP-370-JP収容壁の一部が崩壊。おそらくはSCP-476-JPによる何らかの改変の影響と思われる。現在は、SCP-370-JPとA-13は共に収容を違反している状態だ」
「鎮圧作戦は?」
「収容室より脱した時点で、ボガート手順-SoCV通常手順の達成は困難と見なさざるを得なかった。よって通常の鎮圧作戦を実行したが──」
 
黒堂が別のモニターにリモコンを向けて操作すると、画面が切り替わる。
そこに映っているのは、A-13を抱えたSCP-370-JPだった。
そこでは、怪物が廊下の十字路に差し掛かった瞬間に、三方より機動隊員が銃撃する様が展開されている。
怪物は大きく叫び、銃撃から赤子を庇うように背を向けてしっかりを抱え込むと、一瞬だけ銃撃が止んだ隙を突いて赤子を口の中に入れた。
まるで魚のように、子供を口の中に入れて守る。そうしながら、怪物は向き直り、走り出す。
そして、機動隊員の一人が紙くずのように軽々と跳ね飛ばされた所で映像は終了された。
 
「ボガート手順のような、最適化された戦略と施設と装備でなければそもそもSCP-370-JPには歯が立たない。それに加えて、今のあいつはSCP-476-JPによって守られている。そもそも殆ど弾がまともに当たらず、逸れるか弾かれるかだ。更に、銃撃が一瞬だけ止んだ部分では、全ての隊員の武装に同時に不備が発生している。戦力による制圧はあまりにも困難だ」
「370-JPは476-JPによる改変の影響下にあるってことか・・・」
 
顎に手を当てながら、井戸技博士は呟いた。
難題にぶつかり、それを解こうとしている時の彼の癖である。
ボガート手順-SoCVを作り上げた時も、何度もこの癖が表に出たものであった。
 
そう、ボガート手順である。特別な手順を以て対処が可能ということは、逆に言えばその手順以外での対処は至難であるということ。
SCP-370-JPはわかりやすいモンスターだ。力が強く、行動原理が単純で、頑健で、肉体的な痛みに耐性があり、執着が強い。
それが今、運命の赤い糸に結ばれた二人を出会わせるためならあらゆる手段を用いる樹によって、収容を違反している。
その目的は一つ。SCP-476-JPの目的は初めからたった一つなのだ。
 
「出会わせる気か。プラン:リサイズを待つまでもなく」
 
SCP-370-JPにA-13を連れ出させ、その片割れに出会わせる。
そのためにSCP-370-JPは利用されているのだと考えるのが妥当だろう。
もしかしたら、SCP-476-JP-2がSCP-370-JPの"標的"として転移されたのも、仕組まれたものであるのかもしれない。
 
で、あれば、このまま放置してしまえばとんでもない事態になる。
単なるプラン:リサイズの失敗にはとどまらない。財団の秘密が街中に歩き出て、当然のように彷徨えば、当然のように起こるべきことが起こってしまうのだ。
だが、どうやってそれを阻止するのか? ただでさえ厄介なSCP-370-JP。その行く道を阻むような行動にはSCP-476-JPによる確率改変が押し寄せる。
 
「それで、今はどういう対処をしてる?」
 
それでも立ち向かわなければならない。井戸技は黒堂に現状の方針を訊ねた。
 
「今は時間稼ぎに徹している。遠巻きに監視しながら、散発的に小規模な攻撃を加えて足止めと撤退の繰り返しだ。エレベーターも止めた。しかし隔壁は下ろしていない。隔壁を下ろして完全に閉じ込めてしまえば、確率の改変が激化すると判断したからだ。この司令室では、サイト-8144とも連絡を取っているが、プラン:リサイズの指揮系統や情報取得のための承認、機密事項が衝突して、この混乱だ。ただ、SCP-476-JPに何らかの異変が起これば、直ちに現場判断として連絡が来るようにはなっている。SCP-370-JPの現在位置はここだ」
 
黒堂が指したモニターにはサイト-8144の見取り図があり、線と線の間を光点が明滅しながら動いていた。
光点は現在地下2階の廊下を、非常階段に向かって進んでいるようであった。