odss 超常近代史

第六次オカルト大戦とヴェールの確立

1875年から1882年まで続いた第六次オカルト大戦は、ヨーロッパや中東が主戦場となり、その戦火が最も拡大した1881年に、ドイツのオカルティストの徒党による古代セム族の神格の殺害を招きました。この事の反動により、北海で大規模な高潮が発生し、ヨーロッパの西海岸で数千人が死亡しました。1882年、ついに国家政府が第六次オカルト大戦を終わらせるために介入します。

その結果、英国オカルトサービスのような現代的な国家超常機関が出現し、ヴェールが正式に体系化されました。ヴェールによって、それまで特に専門分野において公然の秘密であった異常(Anomalous)は、通常(Mundane)から切り離され、一般社会から隔離されました。

財団の成立と国家政府

第六次オカルト大戦は、国家政府の介入によって終了し、正常性合意が確立されましたが、そのことは国家が異常を独占し、国家間での競争、特に戦争で利用するという懸念を生み出しました。米西戦争では、スペイン側によって実際にミーム兵器が使用され、この懸念が現実のものであることが示されました。このことをきっかけとして国家にとらわれない国際的な正常性維持機関求める動きが強まり、全米確保収容イニシアチブ、超常現象の確保収容に関する王立財団など、13の正常性維持機関が合併する形で財団が形成されました。

前述のように、財団が形成される直前に行われた米西戦争では、効果的ではなかったもののスペイン側によってミーム兵器が使用されており、そのため財団はより大規模にオカルト、超常技術が使用され、ヴェールが弱体化することを恐れました。息吹きをあげたばかりの財団は、近代戦としての側面を持つ日露戦争に向き合わざるを得なくなりました。

一方、各国の国家超常機関もおおっぴらにオカルトが使用される可能性を危惧していましたが、英国オカルトサービス — その他のイギリスの諜報機関と同様に日英同盟に基づき、その活動によって得た情報を日本側に流していた — のように基本的には国家の思惑に沿うように活動していました。

国家超常機関、および財団の懸念にも関わらず、前線でのオカルトの使用は、結果としては散発的なものに終わり、むしろ銃後、特にロシア国内の政情不安を画策する日本側の諜報活動において使用されました。

超常ルネッサンスの始まり

神格の死は、第六次オカルト大戦の後も数十年にわたってサイオニックそしてオカルト的な反響を作り出し、世界中で多くの人々の超常的な能力を開花させました。超常人口の急激な増加によって、超常科学の発展がもたらされ、奇跡論、サイオニクス、形而上学などで新たな分野が登場しました。

超常ルネッサンスでは、国家による異常の独占という懸念をよそに、プロメテウス・ラボを始めとする超常技術供給者が誕生しました。正常性維持機関は、当初これらの動きに反対したものの、ヴェールの維持に超常技術を応用することを意図して最終的には受け入れました。一方の超常技術供給者も、公然とパラテックを販売することで正常性維持機関の怒りを買うことは避けました。以降、ヴェールをより強化したい正常性維持機関と、制限の抜け穴を見つけようとする超常技術供給者は、時に対立を起こしつつも、ヴェール下で共存していきます。

第七次オカルト大戦

第七次オカルト大戦は、第二次世界大戦をソロモンの儀式によって有利にしようとしたオブスクラ軍団が、儀式を完遂するために必要な文化遺物を取得しようとし、次第に他のオカルト団体と衝突し始めたことから誘発されました。1939年、ヨーロッパ全土で活動するオブスクラ軍団に対抗するために、テンプル騎士団と英国オカルトサービスの主導のもと連合国オカルトイニシアチブ(AOI)が結成され、3月にはプラハの戦いにより、第七次オカルト大戦が勃発しました。プラハの戦いの勝利の後、ドイツのヨーロッパ大陸における勢力拡大にもかかわらず、より多くのオカルト団体の参加によって、AOIは拡大を続けました。

1944年9月1日、オブスクラ軍団の考古学および研究部門の長官コンラード・ヴァイスが財団によって捕縛され、オブスクラ軍団がソロモンの儀式を実行する意図を持っていることが明らかになりました。それまで中立を保っていた財団は、儀式を阻止するために第七次オカルト大戦に参戦します。1945年1月、財団とAOIのオブスクラ軍団による共同作戦によって儀式の実行は阻止され、オブスクラ軍団は敗走し、第七次オカルト大戦は終結しました。

正常性の黄金時代と冷戦

財団とAOIとの間でソロモンの儀式の共同収容のためのケルン協定が結ばれた後、オブスクラ軍団との戦いのなかで成長を続けたAOIは国際連合の指揮下に置かれ、世界オカルト連合として再編成されました。第二次世界大戦の再発を防ぐ意図のもと生まれた国連と同様に、第七次オカルト大戦を繰り返さないようにするため、より国際的で公平な体制にすることが求められたのです。ここに財団に匹敵する国際的正常性維持機関が誕生しました。

核兵器の登場は、正常性維持機関にとっての大規模な異常への最終的な解決策と共に、異常とは関係なしに世界を滅亡に追いやる懸念すら生み出しました。また、加速する核兵器開発競争は、大規模な超常的軍拡競争にも発展しました。超常ルネッサンスと第七次オカルト大戦によって発達した超常技術により、本格的に超常兵器を開発することが可能になったのです。この軍拡競争は、大規模な超常兵器である固有兵器(Eigenweapon)が登場するまでに至り、場合によっては人類の存続を脅かしかねない危険性を生み出します。

これらの危険性を回避するため、キューバ危機の後の1963年、核戦争を回避する目的で結ばれた部分的核実験禁止条約、ホットライン協定等と共に、超常兵器の開発と配備に制限を課す超常兵器休止条約が秘密裏に結ばれました。

人口増加と通常の技術発展により、正常性維持機関は、ヴェールを維持するために新たな手段を必要とし、本来規制をかけなければならない超常技術供給者にしばしば依存することになります。

その中でも特にプロメテウス・ラボは、第七次オカルト大戦でAOI側に技術供給を行っており、その結果として戦後GOC、各国家超常機関との間に超常技術の研究・供給の契約を結ぶことが可能となりました。白熱化する冷戦、そしてヴェール強化の必要性が生み出したパラテック・バブルの波に乗ったプロメテウス・ラボは、競争相手を買収しつつ、拡大を続けます。最終的には、主要持ち株会社である株式会社プロメテウス研究所を筆頭に、数多くの子会社を抱え、約30万人を雇用する、純収入約750億ドルのコングロマリットへと成長しました。

このような少数の超常技術供給者による供給の独占は、ついには、通常世界向け製品にそれとわからない形で超常技術を使用することにすら許可を得ることを可能としました。