KowaretaRobotの工作室

書きかけ

ラウンジでノートパソコンを開いてコーヒーをすすりながら、昨日から所属先となった博士から読むように念押しされた報告書のコピーを読む。

先月から財団に入った俺は、新人エージェントが受けるオリエンテーションや、俺の配属先に指名されたSafeオブジェクトを主に取り扱っている博士と共に様々な博士やエージェントへの挨拶回りをやっとのことで終え、「財団で働くってもっとかっこいいことやるんじゃないのかよ」と内心思いながら毎日ベッドや床に倒れこむ日々を送っていた。反物質に関する研究を送っていた俺が財団に引き抜かれたのはもう1年前の話で、財団に所属するにあたってどのようなことを行い、これから何をしていくのか沢山話を聞かされた。その時の俺の瞳は、研究室でレポートを読むような濁った瞳ではなく、間違いなく光り輝いていたと思う。あの代わり映えしない世界はこの人たちによって守られてきたのだという憧れと、俺がこれからその一員になれるのだという嬉しさで内心年甲斐もなくはしゃいでいたのだから。それから、様々な手続きを行い、この手にセキュリティクリアランス1のカードが渡ったのがつい先月のこと。財団のロゴマークがついた封筒がポストに入っていたのを確認したとき、喜びで数ミリ空中に浮いていたかもしれない。喜び勇んでサイト-81██に向かって、いよいよ職員としての生活が始まるのだと意気込んでいたところで初めの部分に戻るのだった。

つまり財団に入る前の俺は、財団はもっと華々しい場所だと勘違いしていたのだ。誰かとは違う、特別な何かになれる場所なのだと。研究室にこもりきっていたあのころとは違う何か、的確にそれを示してくれる言葉が見当たらないが素晴らしいと誰もが称賛してくれるような何かに……。そう思っていても現実は非情で、単調な作業や人々の噂を基にしたフィールドワークばかりの活動を聞かされてうんざりするのだった。陰ながら世界を救う、ということすら出来なさそうだ。

報告書を読み終え、これから俺はSafe区分のオブジェクトを取り扱うことになるのだということを理解した。せっかくならEuclid区分のオブジェクトを扱いたかった、と今までやって来た研究とは全く違う方向を向いた内容の報告書を見つめる。報告書の最後にあった無機質なフォントの「このオブジェクトは危険ではないと思うかい?」という博士からの文字がやたら憎たらしく見えて、勢いよくノートパソコンを閉じようとした。

その時、どこからか「新聞でーす」という声が耳に届いた。

瞬きの間に、目の前のキーボード上には四つ折りの新聞が置かれていた。周りを見回しても新聞配達員のような姿はどこにも見えない。白衣を着た人間と、白衣を着た人間ではないような何かが楽しそうに談笑しているのが目に入っただけだった。いや、ありえない。日本支部では人間離れした者が多いと聞くが、流石にこんなことをできそうなのは……。昨日までの挨拶回りの中で見かけた博士やエージェントの顔は、もうぼんやりとしか思い出せなくなっていた。

考えることを諦め、改めて先ほど“届いた”新聞に目を向けた。「茜刺財団新聞 新人職員用」と書かれた熨斗紙がご丁寧に巻かれているごく普通の新聞だ。熨斗紙を剥がせば、新聞の一面見出しに「財団日本支部へようこそ!」と書かれていて、その下には財団の成り立ちや、これからの財団活動の指針になるような文章があった。得体の知れない財団製新聞に頭をひねっていると、「いやー、紙のやつって今でもあるんだね」と俺の配属先の博士が猫背を伸ばしもせずに現れた。

「博士……」
「それは茜刺財団新聞。まあ、見れば分かるんだけど。日本支部だけで発行してるメルマガみたいなものだよ」
「メルマガ」
「うん。現に私は電子版を定期購読してるし」

博士はそう言いながら、白衣のポケットから銀色のスマホを取り出して俺にメール画面を見せた。そこには確かに「茜刺財団新聞 セキュリティクリアランス3職員用」の文字があって、IDとパスワードの入力画面が表示されていた。

「私はね、少し不謹慎なんだけどこれの慶弔欄を読むのが好きでね」
「慶弔欄なんてあるんですか」
「あるよ。新聞だから」

話をよく聞いてみると、財団の外で配られている新聞の慶弔欄と同じように、慶弔に関しての情報を載せているらしい。財団ではあまり慶の部分が取りざたされることはないことから、誰が結婚したとか、誰が妊娠したとかいう情報を聞くと安心するのだという。どこのサイトが消失したとか、どこのサイトで収容違反が発生したとか、誰が死んだとかの情報も載っているから俺も確認した方がいいらしい。これだけ聞いても、思っていた以上にちゃんと情報媒体として新聞の機能を果たしている。

「そもそも財団に入ってから、いきなり目の前に届いたものを信じろって方が無理なんだよな。あれだけ目の前にあるものを疑えって言ってるのに。」

博士の目は俺のことをしっかりと見つめていた。
俺はその目を見ながら、博士から渡された報告書のことを思い出したのだった。本当にあれは安全なオブジェクト?俺は何か見落としをしていた?思い当たることはそればかりで、俺は強かに閉めたノートパソコンを激しく開くことになったのだった。