キリュウ屋物置

ここまでのあらすじ:より複雑な知性と感情を獲得するまで肥え太らせた方が生き物の魂は美味しい!じっくり熟成されるの待つね!と美食に目覚めて数千年単位で人類を増えて育つに任せていた精神食いの鳥であったが、収穫時じゃないの!とわくわくしながら起きてきたらせっかく放置していた人類は全然知らんアレとかソレとかコレとかのヤバい奴らにめっちゃ減らされていた。緋色の鳥は激怒した。必ずかの邪知暴虐のオブジェクトたちの魂で埋め合わせをさせねばならぬと決意した。緋色の鳥にはKクラスシナリオがわからぬ。鳥は、星のKeterオブジェクトである。呪文を撒き散らし、人類の精神に侵入経路を結びつけて暮らしてきた。けれども食事の横取りに対しては、鳥一倍に敏感であった。その後の07兄弟との開戦の経緯については『喰らい合え厄災』を参照の事。
(という話をまともな文が思いついたらちゃんと書きます)


 喰われた。
 落下しながら、カインはそう認識する。視界の端に見える四肢は、別に傷など負っていない。だが確かにまたしても、あの緋色の鳥に後れを取った。
 赤い地面に激突する。跳ね上がり、また落ちて転げながら、喰われたのは三度目かと思考する。両手で地面を叩き、飛び上がった。そのまま高速上昇し、赤い空を裂いてこちらへ飛翔してくる緋色の鳥へと直進した。
 鳥が巨大な嘴を開く。獲物を一息に両断せんと鋭く噛み合わされたそれを紙一重でかわし、カインは鳥の上を取った。黒鉄の両手を握り合わせ、大きく振りかぶって赤い背へと叩き下ろす。手応えは霞を殴るよう。それでもある程度の効果はあったのか、鳥が耳障りな声を上げた。
 意識のみで存在し飛翔する世界で戦うのは、彼の万にも及ぶ放浪の歳月の中でもついぞ経験したことがない事態だった。古い時代より鋼の脊椎に蓄積され続けてきた莫大な知識を端から参照し、自らの精神を捕食者から守る魔術を、技をありったけ試して何とか抗し得ている。
 一つ幸いであるのは、彼の魂がその永い歳月の中で摩耗し、錆びついていることであった。緋色の鳥の猟場では、獲物となる人間は何度も喰われて何度も再生し、死の恐怖と苦痛を繰り返し味わうことになる。恐れれば恐れるほどに精神の結束は乱れてまばらになり、最後には自らの姿すら忘れて泣き叫びながら鳥の腹へと収まるのだ。
 カインは苦痛を覚えないわけではないが、それによって呼び起される恐怖は、近代の人間と比べて遥かに薄かった。赤い嘴に引き千切られても貫かれても、血臭に満ちた食道から燃え盛る臓腑へと嚥下されても、なお恐慌に捕らわれることなく緋色の鳥に相対できた。
 それでも、無傷というわけにはいかなかった。自分の魂に、少しずつ鳥の呪詛が混ざり始めているのがわかる。彼の肉体を長年あらゆる攻撃から守ってきた不可侵と反射の呪いでも、あらゆる魂を剥き出しにする赤い赤い光に対しては無力だった。
 ぎょろりと剥かれた深紅の目玉が、神代から現代に至る知識の集積所となっている男の青い瞳を射抜いた。声なき呪詛が、視線を伝わってカインの脳髄に響き渡る。

――お前は私を知っている。
(そうだ)
――お前は私がどのようなものか知っている。
(そうだ)
――お前は自分が私の餌に過ぎないことを、知っている。
(そうだ……違う、私はお前のものではない!)

 思考を赤く染め上げようとする意志を否定する。中空にぼんやり止まっていた身体に活を入れ、叩きつけられようとしていた嘴から飛び下がった。
 鳥が啼き、追いすがってくる。しわがれた耳障りな鳴き声が、それを聞くカインには言語として認識される。

——あかしけやなげ、ひいろのとりよ。

 繰り返される言葉が、脳内を占めようとする。鳴き声が聴覚を破壊しようとする。

——あかしけやなげ、ひいろのとりよ、くさはみねはみ、けをのばせ。
——赤し毛矢薙げ、緋色の鳥よ、苦さ食み根食み、卦を伸ばせ。
——悪か死ケ夜凪ゲ、緋色の鳥よ、草羽見根葉見、気ヲ延ばせ。

 次々に羅列され、忙しなくランダムに表記を変える日本語のイメージが視覚も押し潰そうとする。同調し、同じ響きの言葉を復唱しかけ、カインは咄嗟に別の言葉を叫んだ。

「Sanctus, Sanctus, Sanctus Dominus. Deus Sabaoth!」聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主なる神!

 太古の昔に彼の一族を率いた最高指導者、後に人類には『神』と呼ばれる事になった存在を讃える言葉で、自分の在り方を定義し直そうと試みる。
 彼の在り方は従僕であった。いずれ一族の頭となるはずだった弟を殺したその日から、彼は荒ぶるその魂の自由を許されず、神の手駒となる生き方を定められた。
 凪いだ精神と精緻な動作の四肢を持つ生きた機械、老いず傷つかず無限に知識を集積し続ける最高の記録装置。後継者を失った最高指導者の手により、弟の代わりにその戦いを支える為の存在として彼は作り変えられた。
 断じて自分は無形の鳥の餌などではない。そのような末路は、己の罪に対して課された刑ではない。己の務めは今日こんにち『神』と呼び習わされる最高指導者を記録し続けること、かの者とその一族が去った後は地に残された現行人類の手助けをすることで償いとし続けること、そして悪鬼として甦った弟の番人であり続けること。
 否定に断定を重ねて、精神に染み入ってくる赤い呪詛を撥ね付ける。眼前を塗り潰して目まぐるしく形を変えていた真っ赤な漢字と仮名が崩れ、元の空間が拓けた。
 途端に、胸を狙って蹴り出されていた真っ赤な脚が視界に飛び込んできた。両腕を十字に重ねて受け止めるのは間に合ったが、到底威力は殺しきれず、カインは大幅に空中を吹っ飛ばされた。
 また地に落ちる。手と足をばたつかせる間、もっと飛翔に適した形へと己の姿を組み替えることを考えついた。今の自分は肉体に縛られない精神のみの存在、加えて半死の魂には大規模な変容も恐ろしくない。イメージさえ強固であれば、変えるも戻すも可能だろう。

「……我が岩なる主はほむべきかな。主は、いくさすることを我が手に教え、戦うことを我が指に教えられる」

 地を去った最高指導者をなお慕う人々が編んだ詩歌を口ずさみ、変容を行う手助けとする。黒い金属の手指がざわりと輪郭をぶれさせ、溶けるように形を変えた。次にそこにあったのは、金属質な光沢を放つ黒い翼だった。

「主は我が岩、我が城、我が高き櫓、我が救い主、我が盾、我が寄り頼む者」

 黒い大鷲に変身しつつあるカインは、人々の祈りを受けるべき者がとうの昔に存在しないことを、知っている。太古に発した星の覇権を巡る戦いの末、疲れ果てた神々はその武具やしもべを置き去りにして消えて行ってしまったことを、知っている。
 それでも彼は人々が神に祈る言葉には、ある種の敬意を払っていた。それは人々の周囲がまだ未知ゆえの混迷に覆われていた時代、その中で自らを保ち生き抜くために編み出された智恵のひとつであるからだ。
 地球上に遅れて誕生し、ただよたよたと強大な存在に付き従うばかりだった幼い人類は、大半の神々が共倒れのような形で消え去った後も、その置き土産に命を脅かされてきた。その中にあっても彼らは抗い続け、脅威を遠ざける方法を学び、平穏を勝ち取るべく足掻き続けた。その努力の歴史が結晶したひとつの形が、カインが長らくその身を預けていた『財団』だった。
 結局人類は膨大な異常オブジェクトの氾濫で混沌の中に沈み、今まさに消滅している最中であるが、彼らの払ってきた努力を克明に記録しているカインは、それを笑おうとはしなかった。