夕暮れに、仰ぎ見る。
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皇紀弐千六百弐年 拾弐月五日 特別高等警察事件記録より抜粋

被疑者ハ大衆酒場に於ヒテ
以下の如キ発言ヲセリ
天皇陛下ヤテ俺ラト同ジ人間ヤ
血液ヤ細胞ニ於いテモ同ジデアル
ナドト不敬ノ言辞を弄ス


1944年3月10日 上野恩賜動物公園 大日本帝国元首 迪宮 裕仁さちのみや ひろひと

寒風が、私のコートを煽った。未だ肌寒く、春の兆しは未だ訪れないように思えた。
この寒々しさは、どこから来るものであろうか
おそらく、私の眼前にある空虚もまた、その一因に大きく資するものであろうと思われた、

それは、地面を大きく四辺形に掘り抜いた上にコンクリートを貼った、巨大な檻だった。
かつてここには3頭の、どの生物よりも大きな体躯をもつ、世にも美しい生物達が暮らしていた。

名はジョン、ワンリー、トンキー。否、ワンリーと呼ぶよりも、花子と呼ぶべきか。

3頭のインド象Elephas maximus indicus

今は全員、この世にはいない。この空っぽの檻が、私の心に寂寥感と無念を呼び込んだ。

檻の中の空隙はあまりに大きい。そもこれはゾウの檻だ。
ゾウを中に入れる以外、どうして空漠を埋められようか。

あまりにも巨大な空っぽの檻。私にはこれが、我が国の空虚と欠乏を絵姿のように思われてならなかった。

否、空虚を抱えた檻は、この巨大なゾウの檻に止まらぬ。

かつて、ここには様々な生命が蠢いていた。

私の婚礼の記念にと、東京の市民達に与えられた憩いの場は、もう見る影もない。
否、この上野に止まらぬ、この国における全ての動物園の動物達は、戦時の非常判断の名の下に殺された。

この動物園に於いて、生きている動物はもう一匹たりとて存在しない。人間を除いては。
全ての動物は飢えて死んだ。檻は空虚のみを抱き、園は墓場のように静まり返っていた。

戦時猛獣処分。

これは、空襲対策が講じられた際に生み出された副産物である。
ともなれば、かの巨獣が檻を破って逃げ出さないとも限らない。
ならば先手を打って殺処分すべし。官僚達はそのように考えた。

そして戦時体制に於ける殺処分が計画され、ついに実行された。

アメリカ水牛、ニシキヘビ、ガラガラヘビ、支那より渡って来た幼き豹のハチ、クロヒョウ、ホクマンヒグマとツキノワグマ。これら種々多様な獣たちは、愛されて死ぬはずだった。

ヘビ達は刃物で頭部を切断された、クマは投薬の上、体を槍で貫かれた、クロヒョウはワイヤーで絞め殺された。
それ以外の者達は餌を与えられず、最終的に餓死に至った。総勢14種・27頭、皆死に絶えた。

この動物園は、私の結婚と共に、東京市へと下賜したものだ。
かつては少年少女に止まらず、多くの人がここに訪れていた。

誰もが、檻の向こうにいる異国の獣を眺めては、恐れ、あるいは感嘆の声を上げた。

私もその一人だ。否、一人だった。
今私は、ほんのわずかな近衛と共に、園内にたどり着いた。
今はもう、誰も、誰もいない。もう、廃園に過ぎないのだ。

私はこの空の檻の前で、“ある人物”を待っていた。
この知らせを受けたのは数日ほど前だった。
私の侍従長を務める鈴木貫太郎が、私に一通の書簡を差し出した。

書簡にはこう記されていた。

突然ノ私信、サゾ驚キ遊バサレタコトト存ジマス。

主上ニオカレマシテハ大変ナ御無礼、御許シクダサリマスヨウ。

御用ト申シ上グルノハ、我ラ生物学徒ノ今後ニ関ワルコトニ御座イマス。
主上モ御存知ノトオリ、我ガ国ニ於イテ、生物、ヒイテハ鳥獣類ノ保護環境ハ絶望的デアリマス。
先年殺害サレタ恩賜公園ノ動物タチニツイテ、主上ガ御心ヲオ痛メニナラレテイル事ハ存ジ上ゲテオリマス。
ソレハ、ワレラトテ同ジ事。アレホドノ残虐無道ハ、地獄界ニ於イテモ行ワレヌ程ノ事デアリマス。

シカシ、此度ノ惨事ハワレラノ予期シテイタ事態デモアリマシタ。
故ニ、我々ハ今日ノ事態ニ備エ、周到ナ準備ヲシテ参リマシタ。
是非ソノ成果ヲ、主上に御上覧賜リタク、今時ノ抜キ差シナラヌ情勢、誠ニ御シキトコロ、一筆奉リマシタ。

3月10日 正午 上野恩賜公園 ゾウノ檻ノ前ニテ御待チクダサリマスヨウ。
サスレバ、オ迎エニ参上申シ上ゲマス。

凍霧家・家長男爵
服部広太郎


差出人は連名だった。その一人は、服部広太郎教授。
彼は帝大の教授であり、また東宮御学問所時代恩師でもあった。

そしていま一人は、 凍霧 天いてぎりてん男爵。
彼は名医であり、日露戦争で多くの人々の命を救った。その勲功を讃えられ、男爵の地位を得た名士でもある。

この二人の共通点は、どちらも生物学に於いて広範な知見を有するという点だ。
私はこの二人から、多くの事を学んだ。

しかし、彼らもまた動物たちに同情を寄せていたのかと思うと、寒々しい心もほんの少し暖かくなった。
だが、私は形の上と言えども帝国の元首だ。前線では今も、多くの将兵が傷つき、死んでいる。

このような情勢下で、人以外のものに心を向けるのは、それこそお門違いではないのか。
私の心の中は若干の混乱をきたしていた。これも、戦局が不明瞭なせいだ。

3年前に始まった英米との全面戦争。だが私には、これが勝っているのか、負けているのかすら分からなかった。
否、むしろ敗勢に近い、敗勢そのものなのではないか。何も分からない。誰も本当の事を言わない。
私の名の下に始められた大戦は軍人たちの手で進められ、今や英米との講話の時期すら見えない。

この虚ろの檻は、まるで我が国の表象だ。
形だけは大きく立派だが、その実態はどうだ。
その檻によっての保護を必要とするものは、既に皆死んでいるではないか────

「陛下」

一人黙思に耽っていた私を、近衛が呼びかけた。

「はい」

私は振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
長い黒髪に、スーツの上に白衣を纏った女性がいた。

その黒髪は両肩に届くほどの長さで、髪を前まで降ろしているため、表情が見えなかった。
国芳の描いた亡霊用のような女性だった。彼女からは、何か奇妙な香気が漂っている。
それは、ラベンダーともバラともつかぬ、奇妙に甘やかな、夢心地めいた香りだった。

さようなら。 お初にお目にかかります、兎歌八千代うかやちよと申します」
女は小さく頭を下げた、私は被っていたハットを取り、頭を下げた。

もう会うことはないでしょう、お内裏様。でも私は、あなたの事を忘れることはないでしょう。 車をご用意しておりますので──────

それから後の事は、茫として思い出せない。気がつくと、私は車に乗っていた。
このエンジンの振動とシートの感触から、察するにこれは御料車ではない。
サイドガラスからは木々の列が、私の視界を通り過ぎてゆくのが見えた。

どうやらここは、どこかの山奥らしい。

しかし、道路はしっかりとアスファルトで舗装されているようであった。
本当の山道ならば、車のサスペンションが振動を吸収し、それが少しでもシートに伝播するはずだ。

私は傍に近衛のものが居ないことに気付いた。

いや、私は、この車は、そもそもどこをどう通ってここに来たと言うのか。
だが、何も思い出せぬ。もしや私はどことも知れぬ山奥に拉致されたのだろうか。

ふと木々が開けて、アスファルトで舗装された10坪ほどの広場に出た。

背の高い木々がや竹が並ぶ中、ここだけがぽっかりと円状に開けている。
樹木は異様なまでに成長しており、建物の背丈を悠々と追い越している。
そしてこれらの木々は奇妙に湾曲して育ち建物を半円に覆い、一種の丸屋根のような役割を果たしている。

私は本能的に、これが爆撃を避けるために設えられた防空設備であると悟った。

そこで、車が止まった。運転手は奇妙なことに、一切微動だにしなくなった。

駐車場には、あちらこちらに幌付きの荷台をつけたトラックが駐車している。
ならばここは、陸軍の研究所か。私の脳裏に嫌なものが浮かんだ。

満州及び北支・南支に於いて、彼らが“何か”をしている事は、私も知っていた。
事実、守衛は陸軍の軍服を着ているように思えた。

フロントガラスから、鉄筋コンクリート製の、全高5メートルほどの大きな建物が見える。
その建物の前には、白衣を来た研究者と思しき人々─が10人程並んでいた。
彼らのような服装は、東宮生物学研究所で研究を行なっている私としては、非常に親しみのあるものだった。

その中のうち二人が、車に駆け寄って来た。

一人は、スーツの上に白衣を着た男、服部教授だ。
そして今一人は、灰色の着物に紺の鳶外套を纏い、好々爺のごとき笑みを浮かべた凍霧男爵。
男爵は、車のドアを開けてくれた。私は車から出る、周囲には木々と土の匂い。

男爵は私に深々とお辞儀をした、服部教授もそれに続き、また研究員らしき人々もそれに続いた。

「陛下、お足元の悪い中おいでいただき感謝に耐えませぬ」

男爵は顔を上げると、いつもにも増して和かな表情で私を出迎えてくれた。
服部教授も、どこか晴れがましいような顔をしている。

「どうぞ、こちらへ」

教授と男爵は、コンクリートの建物へと私を誘った。

入口の前には4段ほどの階段に、ギリシヤ風の柱と屋根がある。

柱には「定礎1944/03/01」の文字が刻まれている。
奇妙なのはその下に、生、奉、幣の三つの文字が刻まれているところだった。

鋼鉄製の頑丈な扉の上には、真鍮の看板があった。そこにはこう刻まれていた。

日本生類総合研究所