falsehoodの校閲室
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 彼女は一度死んだ。
 あの日、僕らのいた児童養護施設は近くの火事に巻き込まれて、ほとんど燃え尽きた。その時、服に火が燃え移った彼女は、僕の目の前で焼け死んだんだ。
 苦しそうな目、叫びにならない声、伸ばした手、全部覚えている。僕には何も出来なかった事も。
 たくさんのマスコミも来てたから、きっと映像にも残っているだろう。やるせない気持ちのままに、頭の上を飛ぶテレビ局のヘリコプターを見上げた。あの人達は見に来てるだけで、助けてくれるつもりなんて無いんだって。
 もう一度視線を戻すと、彼女はそこに立っていた。燃え続けるスカート。黒くなった左腕。でも、彼女は立っていた。
 レスキュー隊が誰かを呼ぶ声が聞こえた時、彼女はとても困った顔をした。そして、声から逃げようともした。何と無く、見てはいけないモノを見てしまったと理解した僕は、気が付くと彼女の手を取って走っていた。
「逃げよう」
 どうしてそう思ったのかは今も分からない。でも、僕は彼女を引いて逃げ出した。
 大規模な火事と無駄に集まった人混みのおかげで、紛れ込むのは簡単だった。皆火の様子を見るのに必死で、足元の子供なんて見ちゃいなかったから。

 僕らは逃げた。帰る家なんて無い。行く所なんて決めない。とにかく、誰も僕らを知らない所まで逃げようとした。
 赤い星が眩しい、暑い夜だった。

 国道沿いの歩道を歩く。次の街まであと40km、最後に見た街から70km。陽炎が酷く、距離感が上手く掴めなくなっている。中学2年生の足では、連続して歩ける距離はたかが知れていて、僕はまた座り込んでしまった。
「大丈夫?」
 僕の顔を覗き込む彼女は唯という名前で、4年前から一緒の養護施設にいた。唯はまだ余裕がありそうな顔をしているけれど、僕に合わせて休憩してくれる。
 あれから5日、僕らはとっくに死んだ事になっているんだろう。炎に巻かれて、瓦礫に埋まって燃え尽きた。そう思われなきゃ困るんだ。ここまで歩いた意味が無い。
 首に下げた水筒から、呷る様に水を飲む。そろそろ、どこかで水道か、綺麗な清水を探さないといけない。さっき見かけた川は酷く濁っていたから、この辺りは駄目かも知れないけれど。この国の売りは綺麗な水じゃなかったのか。心の中で、いつか見たテレビ番組に文句を言う。
 今日は平日、こんな道を通る車はほとんどいなかった。さっきヘリコプターが飛んで行った以外、乗り物は見かけない。幼い子供が歩いているのを見咎められない分、好都合かも知れなかった。
 呼吸が完全に落ち着くのを見計らって、やおら立ち上がる。
「ごめん、もう大丈夫。行こっか」
「うん」
 僕達は同い年だけれど、唯は4年前に会った時から、少しも背が伸びていない。でも、初めから僕より体力があったし、今も追い着けないままだ。3年前に小学校で行った遠足では、皆が目的地の公園で一休みする中、一人だけ初めから走り回っていた。
 遠くから車の音が聞こえた。2人で茂みの中に隠れる。ここではまだ見付かっては駄目だろう、どこまで行けば見付かっても良いのかは知らないけれど。
 頭を上げて様子を伺うと、見えてきたのは大型のワゴン車。丸と矢印で出来たマークが描かれている。僕達に気付く事無く、目の前を通り過ぎた。
 と思ったら、少し行って停車した。そのまま扉が開き、中から数名のスーツの男。
「どうしたの?」
 唯が息を潜めて訊く。
「降りて来た」
 そのまま見続けていると、少し辺りを見回した後、道路脇の茂みに足を入れた。
「何か探してるみたい。移動しよう」
 あまりガサガサ音を立てない様気を付けながら、ゆっくりと動く。
 その時。
「何か動いた!」
 ビクッとして、動きを止める。
 男の1人が、こちらに向かって歩いて来た。草に隠れる様にその場に伏せる。男はそのままこちらに近付き、すぐ近くで立ち止まる。
「……」
 息を殺して見ていると、男は僕達のすぐ横の茂みを覗き込んだ。心臓が、周りに聞こえてバレるんじゃないかと心配になる程脈打っている。
「―――」
 男は、茂みを覗き込んだまま動かない。
「―――なんだ、蛇か」
 見ると、僕達の横を、1匹の蛇がスルスルと通っている。スーツの男は溜め息をついて、再び遠ざかった。

「はい、私の水、ちょっとあげる」
「ありがと」
 男達は広い範囲で、しつこく何かを探していた。僕達は何とか逃げ出したけれど、どんどん森に入った結果、ここがどこだか分からなくなってしまった。
 もう日が傾いている、このまま夜を越した方が良いかも知れない。幸い、この辺りの森には肉食獣は住んでいないし、致命的な毒を持つ生き物もいない。
「じゃあ、火付けて待ってて」
「うん」
 ある程度乾いた枝を集めて、拾ったライターで火を着ける。いつもは道路から少し森に入るか、誰もいなそうな廃倉庫の中でやるけれど、今回は近くに道路があるとも思えないので気にしない。
 僕はサバイバル系のテレビや本が好きだったから、食べられるきのこや野草に少しばかり詳しい。だから明るい内に集めるのだけれど、それだとタンパク質が摂れない。川がある時なんかは頑張って魚や貝を獲るのだけど、それが出来ない時、唯はいつも僕の見えない所に行き、何かの肉を確保してくる。何の肉か訊いたけれど「訊かない方が良いよ。食欲無くすから」と言われた。小型の哺乳類か、それとも蛇や蛙の類いだろうか。
「お待たせ」
 唯はまた肉を手に戻って来た。いつも瑞々しくて血が滴っている肉を持ってくるし、両手が赤く汚れているから、やっぱり何か手頃な動物を解体してるんだろう。
 拾ったブリキの箱の底で食べ物を焼く。へばりついてしまうけれど、ある程度は仕方無い。
 僕はきのこや肉類を頬張るけれど、唯はいつも少し木の実を食べるだけで済ませてしまう。魚なんかを獲った時にはそれも食べるけれど、自分で持ってきた肉は食べない。本当に食欲が無くなる様な正体なのだろうか。
 食べ終わると、僕達は火が消えるまで必ず起きている。もう炎に包まれるのはご免だから。火が消えたら、屋内なら床に寝そべって、屋外なら木に寄りかかって寝る。真夏とは言え屋外の夜は冷えるから、僕が右、唯が左になって寄り添って眠る。どうしてか、僕が左になった事は無い。
 ふと上を見ると、晴れ渡った空に星が輝いている。どうりで冷える訳だ。夜晴れていると、地面の暖かさが空に逃げると聞いた。好きな子の腕を抱いて見る星空は格別だけれど、流石に5夜連続となると飽きる。

 今日は街に着いた。真っ暗になっても住宅街から出られないと怪しまれて最悪だけれど、今回は大丈夫だった。明るい時間なら怪しまれやしないから、少し中を歩く。
 小さなショッピングセンターの100円ショップ。唯はそこに入ると、なけなしのお小遣いで、画鋲と風船を買った。フードコートに給水機があったから、椅子で休憩しながらがぶ飲みする。
 夜までに住宅街を抜けるのは無理だと判断し、公園の蛸足滑り台で夜を明かす事に決めた。公園で焚き火をした所で、花火でもやってるんだろうと思われるから意外と問題にならないけれど、念の為今日は火を焚かないでおく。
 食事はショッピングセンターの裏手でくすねた賞味期限切れの弁当。僕は物心付いた時には養護施設だったから初めてだけど、唯は食べた事があると言う。濃い味付けが疲れた舌に美味しい。正直言うと、逃げ始めてからずっと半分旅でもしている様な気分だから、味付けなんか無くても美味しいと感じていた。けれど、改めてちゃんとした料理を食べてみると、如何に味気無かったかが思い起こされる。

 よく覚えている。唯が施設に来てから、来客が増えた。施設長と真剣に話し込んでいる人もいれば、ビジネス的な雰囲気の人、下卑た笑顔を浮かべる嫌な大人まで様々な人が来たけれど、誰も彼もチラチラと唯の方を見ていた。
 そんなに唯が人気なのかと思っていたけれど、今ならその理由が分かる。きっと、学者先生か金持ちか、全員そのどちらかだったんだろう。
 唯が明言した訳ではないけれど、唯の身体は普通じゃない。唯は交通事故で両親を失くしたと言っていた。両親は個人の判別は愚か、人かどうか分からない程の損傷だったそうだ。でも唯は生き残った。この間の火傷はもう全部治って、痕も少しずつ小さくなり始めた。昨日の擦り傷は影も形も見えない。それに、唯は十分な栄養を摂っているとは思えない。水も。つまり、そういう事なんだろう。来客達は、皆唯の身体が目的だったのだろう。もしかしたら研究目的かも知れないし、都合の良いドナーとしてかも知れない。
 だから僕達は逃げているんだ。唯が誰かに捕まったら。考えるだけで恐ろしい。僕らを知っている人間のいない所へ、そんな甘い考えでは駄目だ。誰もいない所へ。僕はそう決めた。

 あれから何日経ったか分からない。僕達は今公園のベンチに座り、非常に難しい決断をしようとしていた。
 ここ数日、随分と狙われている。誰かの待ち伏せを避けた事もあるし、市街地でハイエースに追い回されたりもした。その時は何とか渋滞で撒いたけれど、危なかった。物陰から視線を感じた回数は数え切れない。
 ここは住宅街の中。大きめの公園で東屋もあるけれど、ここで野宿するのは危険かも知れない。寝ている間に狙われるかも知れないし、誰かに見付かって補導されるかも知れない。色々と考えた結果、公園の公衆トイレで夜を明かすのが確実だという結論に辿り着いた。問題は、男子トイレと女子トイレ、どちらに入るか。バラバラに寝るなんて考えられない、心配で僕が死んでしまう。そして、生まれて初めて女子トイレに入ろうと決意してから、広い多目的トイレが設置されている事にやっと気付いた。
 2人で足を伸ばして寝る事が出来る密室は、随分と久々な気がする。たとえ簡易であっても、鍵のかかる空間がこんなに落ち着くとは知らなかった。芳香剤の匂いが強過ぎるのは気になるけれど、廃屋の謎の腐臭に比べればマシだ。
 隣の寝息を聞きながら、見知った情報をまとめる。この所の経験から、警戒すべきポイントを幾つか学んだ。丸と矢印3つを合わせたマーク。青い星形のマーク。頭文字がSCPの会社。警官、販売員、ゲーム好きを名乗る人間。
 この内、ゲーム好きだけは暴力的な意思を感じさせなかった。ゲーム好きの人間が集まる組織の末端であり、自分達もまたまともな人間ではないと名乗った。そして、一緒に来れば保護してあげられる、何かがあれば助け出せるだけの力があるとも言っていた。回答を猶予すると伝えられたからひとまずお引き取り願ったけれど、それはつまり、僕達の動向を常に把握しているという事でもある。気分の良い話じゃない。順番に撒けていれば良いのだけれど、どれだけの人間が唯を追い続ける事が出来ているのか、分からない。
 唯一幸いなのは、白昼堂々と拉致を敢行する強硬派がまだ現れていない事。

 よく眠れていない。この所、追い回し方が段々過激になってきてる。ヘリコプターから身を隠すのは当たり前、