erenaの砂箱

子どもを宿している。酷く暴れん坊の子供で、きっといつか、私の腹を食い破って生まれてしまうのだろうと思う。それまでに逢いたい。薬漬けの体を引きずって、寒い日の朝、冷えた扉を開いて貴方の姿を確認したい。真夏のアスファルトの上、陽炎の中に立つ貴方の姿を確認したい。重い体を引きずって、貴方の元に私が逢いに行ってもいいのだ。この子供をどうにかしたい。貴方に逢って、話がしたい。そうすればきっと、何かがどうにかなると、不確かに思った。

数日前に会話をした友が死んだという話を聞いた。実際に友の実家に伺うと、友によく似たご両親が頭を下げながら出迎えてくれ、線香をあげさせてもらえた。ご両親が言うには、(当たり前だが財団の事は一切伏せられており)仕事帰りの不慮の事故で不幸にあってしまったと説明され、私はただ、気の毒な家族だと思った。
ふと家の中を見回すと、友がいた痕跡がない。すっかり片付けられてしまっているわけではなく、きっと自室等はまだ残っているのかもしれないが、自分が入った居間、廊下、玄関。まだ49日もたっていないというのに、そこに友の痕跡は見当たらなかった。友の居ない家が、そこには成立していた。友はこの家の事に、そもそも存在していなかったのではないかと思うくらいだ。
ご両親に友の墓の場所を聞き、友の墓場に向かう。途中の道で酒を一瓶購入し下駄を鳴らしながら墓場までの道を歩く。歩調は不思議といつもよりもゆっくりしていたくらいだ。まるで、墓場に向かうのを嫌がっているのだろうか?虫の知らせとでもいうのだろうか?ゆっくりと足は進んでいた。墓地の入り口で、菊の花と線香を購入し友の墓を探すと、その墓地にある墓の数は元から少なかったようで、すぐに見つかった。おそらく友の知人や家族が置いて行ったであろうその花は、きちりと手入れがされており、水をしっかりと含んでつややかな輝きを保っていた。自分の持ってきた菊の花が無駄になってしまったな、私はそう口元に笑みを浮かべ、菊の花を墓の横にそっと置いた。酒瓶のふたを開ける、荷物に入れていた御猪口を二つ取り出し、透明な酒をそこに注ぐ。とぷりと音をたて注いだ酒は少しこぼれてしまい、ああ、すまないと私は無意識に口に出した。いいえ、構いませんと友が返事した。

顔を上げるとそこには友がいた。自分が知らない姿の、財団職員ではない友がそこには立っていた。お久しぶりですと友は私に言った。私は驚き、言葉を失った。死んだはずの友は目の前で、私のなみなみと注いだ御猪口を飲もうとしていた。変装か、変質者か、それとも私が神経衰弱して、幻覚を見ているのか。そう問いかけると友はからり、と笑いこう答える。
貴方との責任を果たしに来たんです。
責任?私が首をかしげると友はそうですとも、と頷く。約束を覚えていないのですか、貴方がした約束ですけれど。貴方とした約束です。口約束ですが、約束は約束です。私は一切の心当たりがなかったものの、その幻覚とも思えない友の腕をがしりとつかんだ、つかめた。実在しているのだ、この幻覚は。
私の神経ももうおしまいだと嘆くと、いやいや貴方は大げさですよと友は言った。私が頭を抱えて云々唸っていると、友はこうも言った。ならば夢と思えばいいんです。今貴方は、俺の墓場で、夢を見ているんです。それならば安心できますよね。なるほどと私は何故だか納得した。夢だったからかもしれない。
そうして、ようやっと彼の姿を直視する事が出来た。財団にいたときのような、Yシャツにネクタイ、白衣などは着ておらず、青いセーターに黒のカーデガンをはおっていた。私は友の手を握り、ようやっと、久しぶりだなと言った。友も久しぶりですと言って笑った。からりといつものように、生前のように笑った。

貴方と初めて面と向かって会った時の事を、今ふと思い出しました。友はそう言った。その時の事を覚えていますか?友はそうも聞いてきた。勿論憶えている。

友の存在は以前から認知しており、メール等で初めて会話は始まった。しかし、財団の電子機器の扱いに慣れない友との対話は困難を極め、電話での通話が開始された。電話で初めて聞いた友の声の感想は、思ったよりも落ちついていたという一言に尽きる。
この年で財団の職員になったのだから、性格に難はあるのだろうという偏見を打ち砕くほどの、真っ当な人間であった友ではあるが、如何せん周囲の職員に比べると、意思の伝達が上手くいかないところは多かった。
そんな時、友の方から一度会って話をしませんかと相談をされた。勿論断る理由もなく了承した。
が、初めて私と顔を合わせた友は私の衣服を見て5分程その場から動けないほど声をあげて笑った。その時、私は私服でその対話に向かったのだが、友はその服を指差して息も絶え絶えに、そりゃあもう死ぬほど笑ってくれたのだ。いいじゃないかクロスワード。面白いじゃないか。私の表情をようやく読み取れるほど回復した友は、私にきちんと謝罪してくれた。
友は若い男であった。傷の多い、壊れそうな男でもあった。
コーヒーを頼み、席に着く。電話やメールでは何度か対話したが、こうやって面と向かうのは初めてなのだ。私は若干の緊張を覚えた。そんな私の様子を見てか、友も緊張をし始めた。友はコーヒーの中に大量のミルクと大量の砂糖を入れる。ぐちゃぐちゃと掻き混ぜ全てを一気に飲み込んだ。そうして勢いよくカップを起き、こちらを向いた顔には今飲みこんだ物の残滓が大量に付着していた。私は先ほどの友のようにはち切れて笑った。そうして、緊張もはち切れてしまった。
友と面と向かっての対話は、非常に有意義なものだった。友の体はジェスチャーをふんだんに使い、情景までも全てを伝えようとして来てくれる。そのドラマのような語り口調は、人によって不快に感じるものではあったが、私にとっては非常に愉快で、好ましいものだった。

懐かしいですね、憶えていますよと答えると、友はからりと笑った。あの時のシャツを、今の貴方が着ていなくてよかったです。死んでからも腹筋を痛くしたくないので。友がそう言うので、私も持ってきたのが酒でよかったですね、砂糖もミルクも入れなくて平気ですから、と返事をした。そうしてまた二人で目を合わせて、からりからりと笑った。笑いあった。

貴方、痩せましたねと友が言う。痩せたのだろうか、友が死んでから数日間、私は一人で友の影を追い続けていた。いつまでも机にはりついていても不思議に思われるだろうと、仕事はしていたものの、頭の中ではいつも友の事ばかりを考えていた。死んだ友の事を考えていた。友の出した記録類の全てを読んでいた。友の記す世界全てを、自身の体内に吸収しようと、延々と、そうやって空で音読できるほど、友の記録類、書籍類を読み漁った。仕事に行き、知人と談話し、それ以外全てを友の為に使っていた。

いつしか、自分が友の世界に入っているように感じた。小さな世界に一人で立っているように感じた。そこで一つのなにかを見つけたのだ。どうにかなりたいと思いそれを、その世界から私は持ち帰ってきてしまったのだ。

そう、きっと私は友にきっと情を抱いていた。

今一度墓の前にいる友の手をつかむ、つかめた。本当につかめているのだろうか。この友の洋服は、どこか見覚えがあった、これは、先ほど友の家でみた、遺影の姿のままではないだろうか、これはやはり、私の、私の、精神衰弱の起こす幻覚なのだろうか。そう思うと目から涙がぼろぼろとこぼれ落ちそうになった。目の前の友はそんな私を見て、おろおろと慌てている。私は泣いている場合ではないと涙をぐいと飲みこんだ。
しかし飲み下してしまったその涙を感じたのか、腹のなにかが暴れ出す。私の子が、暴れ出す。外に出たい出たい、と訴えるかのような暴れは、次第に手からふつふつと浮かぶ泡になる。その泡は地面に落ち、石畳に染みいったと思えば、そこから蛆が湧いてくる。死体にたかる蛆は、友の死体を食い漁ろうと墓場のふたを開け始める。がたがたと音を立てる墓場のふたをみて、私はあわてて蛆を追い払う。すると墓場のふたはもう半分ほど空いている。手からこぼれる泡は止まらない。その泡はとうとう、泡ではなく硬くて丸い石になっていく、形は研ぎ澄まされ、それは人間の肋骨に見えてくる。私は肋骨をこぼしている。誰かの肋骨をこぼしている。肋骨は積み重なり形を変え、背骨となりいずれ人の形となっていく。ああ、産まれるのだ。墓場のふたはもうほとんど開き切っている。私はそれに手を伸ばす。墓場のふたはもう完全に開いている。

どさり、と音が堕ちた。
後は何も産まれなかった。