烏丸百九のサンドボックス
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[インシデントレポート:1970-JP-4 2001/09/██]

「様子は?」
「変わりませんね。周回ルートを外れた後、折からの太陽風で既に相当のダメージを受けているようです」

 私は研究員の肩を叩き、観測の労を犒った。
我が師である故・マローア博士が提唱した「オーバーライド・プロトコル」により、1970-JP-Dの弱体化は著しく、最早従来のような厳しい監視は必要ないと思われた。だから私は、プロトコルの一部改訂を上層部に提案したのだ。
 夙に無力化を待つばかりのKeterオブジェクト。我々研究チームの間に、弛緩した雰囲気が流れていた、その折だった。

「ヒューストン。ヒューストン、誰かいるのか」

 部下研究員たちの目が、驚きに見開かれた。

「博士!」
「実に3年ぶりの通信だな。ヒューム値の変動をチェックしろ」
「無視しますか?」
「馬鹿を言うな。いつも通りに回線を開ける」

「通じているのか知らないが、きっと聞こえていると信じるよ―今更だが言わせてほしい。一つ弁明をさせてくれ。こうなったことで、我々は君たちを恨んではいない」

 私は困惑を覚えた。長年にわたり、このように悪逆非道な仕打ちをされて、恨みを抱かない人間など存在するだろうか?

「あの日、スワイガートが消えてから、私は以前にも増して熱心に神に祈るようになった。この地獄の責め苦から、どうか解放してほしいとね。そして、とうとう我々の元に神の言葉が降りた―神は我々の魂を救い、新たな船を与えると仰ってくださったのだ」

 研究員たちの間に、どよめきが走った。新たな異常存在が1970-JPと接触した可能性があるかもしれない。私は部下に命じて、観測衛星の撮影範囲を1970-JP-Dの周囲数キロメートルまで広げた。

「『海は静まり、嵐は収まり、大洪水は引いた。そして全ての人間は粘土に変わっていた。天窓を開けると、光が私の顔に差した―』」

 それきり、通信は途絶した。
「そういえば、1970-JP-A……ラヴェルは熱心なクリスチャンだったな」
 霊体撮影モニターを見やると、1970-JP-Dは大気圏中で燃え尽きようとしていた。燃えさかる霊的実体の姿を目にすると、悪寒が私の背に走った。それが、神の恩寵とはあまりにかけ離れた、とてつもなく冒涜的な何かを表しているように思えてならなかったのだ。

「終わったな。各員、次の観測の準備を―」
「は、博士……この墜落ポイントは……まさか、これは」
「どうした? この場所が一体何だと……」
SCP-616が発進しています!」

 俄には信じがたい光景が、モニターの中に広がっていた。墜落した先はロシアの極秘サイト、SCP-616の収容地点だった。
「すぐに現地の機動部隊へ連絡しろ!」
「駄目です、通信が途絶しています!」
 私は、大空に飛び立つ禍々しい白翼を目で追った。その操縦席にいるであろう勇者たちは、帰るべき場所に戻るため、一路アメリカ大陸を目指していた