ブルーレヰの砂場

面倒くさい理由 (the-reason-that-is-bothersome)

「あだ名とかつけないんですか?」

ある新人職員が、書類作成中にふと浮かんだ疑問を口に出した。

「……籠池くん、いくら日本語が省略に寛容な言語だといってもねえ……」

自らの作業を続けながら答えたのは彼女の教育担当である井上博士。彼女の方を向こうとしない態度からも面倒くさそうに感じていることが見て取れる。

「えっと、SCP オブジェクトですよ。毎回 SCP うんぬん JP じゃ大変じゃないですか?」

籠池とよばれた研究員は、なかば独り言だった自らの発言に改めて説明を加えた。

「大変、とかいう問題じゃない。公式な文章に『ザ・ウォッチ』とか書くわけにいかないだろう」

「もう、報告書なんかで番号呼びが必須な理由は理解してますよ」

籠池研究員は頬をふくらませる。自分だって研究者としての能力を認められてここにいる。にもかかわらずその重要性を、まさか理解していないのではないかと思われていたのが心外だった。

「でも職員同士の会話も番号だったら円滑に会話できないですよ。日本支部だけでもたくさんのオブジェクトがあるのに、全部覚えておかないといけないなんて非合理的じゃないですか」

事実、新人である彼女は、都度「端末で財団のデータベースにアクセス」という工程が挟み込まれるせいで、番号で交わされる会話についていけないことが非常に多い。きっと誰もが通る道で、もしや皆が今なお「そう」なのではないか。

「ほら、生物学の分野だって研究者同士の会話まで学名でやり取りするわけじゃない……んじゃないですか?」

「憶測で引き合いに出すのはよくないよ、っと」

井上博士は自分の作業をいったん切り上げると、あらためて籠池研究員に向き直った。

「君の疑問への答えはいくつかあるが……まずは SCiP に対して必要以上の『情』を抱かないようにってことだな」

彼の表情は、それまでの面倒くさそうな態度とは打って変わってまじめなものだった。

「私たちが扱っているのは便利なアイテムでも不思議なキャラクターでもない。あくまで研究対象であり現行科学を揺るがす脅威。脅威にそんな親しみやすい名をつけるべきだろうかね」

「……そう、ですよね。すみません、思慮が足りていませんでした」

籠池研究員は頭を下げる。それを見て、井上博士はすこし表情を和らげた。

「まあ、気持ちはわかるよ。実際、わかりやすい名前をつけることのメリットは大きい。だから一時期は件のデメリットを背負ってでも、SCiP に『あだ名』をつけてみようという動きはあったんだ」

「あれ、そうなんですか」

「ああ。今ある SCiP のほとんどには誰がしかが『あだ名』をつけてる。今じゃ、あくまでも非公式ではあるがね」

じゃあ、と籠池研究員が口に出す前に、再び表情を引き締めて井上博士は続ける。

「じゃあなぜそれが使われないのか、これが 2 つ目にして最大の理由。結局そのプロジェクトは『あだ名』のせいで起きた『惨たらしい事故』で頓挫してしまったんだよ」

「む、『惨たらしい事故』……ですか?」

「そう。とくに日本支部はね、ダメなんだ」

籠池研究員の背筋が一瞬で冷えた。自らが所属する日本支部に、何があるというのだろう。

「ほら、事故の簡易報告書。検閲があるけど、だいたいわかるだろう?」

井上博士に手招きされ、籠池研究員はごくりと唾を飲みこむと彼の端末画面を覗きこんだ。

 


 

事故事例 504 - 19██/█/██

項目: 成熟した SCP-504 トマト 5 つ

対象: B████ 博士

事例: 対象が SCP-504 の実験準備中に、SCP オブジェクトに対する簡易識別語として SCP-504 に暫定的に割り当てられていた "Critical Tomatoes" を使用したため、SCP-504 は[編集済]で対象に衝突。対象は[編集済]。これをもって簡易識別語の割り当ては凍結された。

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