apple3のメモ帳

※ 下書き置き場

移転

忘れもしない、あの夜に 私はすべてを失った
 
 
尊い世界は手を離れ 行く術失い地におちた
 
 
思い出せない悲しみも たどり着けない苦しみも
 
 
全てくべよう火の中に それをちからに生きてゆこう
 
 
もしも希望があるのなら もしも願いが叶うなら
 
 
望みは一つ、ただ一つ 私は夢へとかえりたい


「もうそろそろこの場所で研究をすることは難しいだろう。続けるには移転するしかない」

 研究施設の一つ、とある一室で話は切り出された。困惑する研究員を尻目に資料を配布する責任者の手を眺めながら、一度、またもう一度とシルバーのシャープペンを回した。いつかこの土地で新しい”私たち”に出会うために頑張っていたのにと、皆が皆、声を小さく鳴く。しかし、みんなもうどこかで気が付いていたはずだ。この土地は限界を迎えていたことに目を瞑っていただけなのだ。

 オネイロイ、それは夢の世界の"私たち"。夢と私たちをつなぐ存在。ここはオネイロイを手に入れ世界に戻るという、たった一つの願いの為だけに日々研究を重ねる者たちの集う場所である。…はずであった。
 これまでは、この場所でのみ人々のオネイロイを自由に呼び出すことができていた。直接干渉はできずともそれを利用して研究をしてきた。それがいつの間にか呼び出しは困難になり、私たちの制御が効かなくなりつつあるのだ。ここを選んだのは勿論研究施設を設けるに丁度良かったという理由もあったが、それ以上夢を引き出すのに最適であったからだ。それなのに……まるで積み上げた塔を崩されてしまうかのような気分だ。まるで、私たちを夢へと帰還させまいとするかのような。
 
 
 …あぁ、話を全く聞いていなかった。まぁ、資料があるから良いか。
 いつのまにやら長い話は終わっていたようで、ちらほらと退出している様子が見えたので流れに乗って重い腰をあげた。研究室の扉を開くと同時に広がる、独特の苦みのある香ばしい香りに顔をしかめつつ、研究助手に目を向けた。左手に下手な文字が並んだ紙を持ち、右手でPCを操っている。どうやらもうすでに夢の解析を始めているらしい。

「えーっと、それはどの人?」

「被験者I、一か月前から使用を開始した成人男性です。そろそろ連続20日になるかと」

 また説明書を読まないやつが使っていたのだろう、最近は本当に多い。使ってくれるのは良いとしても、注意書きを守らないようじゃこちらの研究もはかどらない。販売部門から聞いた話だとどうやらこちらに探りを入れている輩もいるらしいとのことだし、そろそろこの実験も潮時かもしれない。

「んーと、それじゃいつも通り夢の内容と変異を記録しておいて。どうせ昨日と同じだろうけれど…あぁ、あともう一つ。近いうちに研究施設を移転するらしい。変異が終わって"彼"の所有者に夢を送り返したらもうこのあたりの機材を片付けて頂戴」

 了解です、と短く返事をした助手はすぐに自身のこなすべき仕事へと戻った。私も取り掛からないといけない。とは言え、機材なんて私ひとりじゃ運べないからせいぜい実験記録やなんかを箱に詰めるくらいだが。今時データなんてコンピュータ上で処理するわけだからほとんどやることなんてないが、やらなかったら上がキャンキャン煩いから致し方ない。
 開封済みのビニール袋を手に取ると、袋の中には説明書とともに一枚の桃色の封筒が残っていた。"A Farewell to Nightmare"の試作品である。使用者の悪夢を材料に吉夢を作り、提供する。夢の改変についての研究であり、使用者は大切な研究対象だ。勿論使用方法を守るならば誠心誠意使用者のために吉夢を提供する。ただ、中には各々のオネイロイを持っているにもかかわらずどぶに捨てるような真似をする者もいる。これはこの研究に限ったことではない。
 気が付けば、無意識に握りしめた袋越しに封筒に折り目が付いたのがわかった。…どうせ試作品だ、捨ててしまっても問題ないだろう。袋から封筒と説明書を取り出して、軽くしわを伸ばしてから二つに千切った。
 
 
 また、どこかで鳴く声が聞こえる。凡そ息抜きにと他の研究室から出てきた者たちだろう。馬鹿馬鹿しい。この土地でなくても、研究は続けられる。一度の障害で"私たち"に出会うことをあきらめるわけではないだろうに。私たちは"私たち"、オネイロイを追い求めている。いつかまた夢を見るために、私たちは突き進むしかないのだから。

 移転先は以前のこの土地ほどではないにせよ、夢界との結びつきが強く研究には向いているとのことだ。またそこで始めればよいだろう。駄々をこねて弱音を吐いて諦めるよりは良いだろう。いつかこの研究を成功させて人のオネイロイを手に入れる、それさえできればどこでもよいから。この土地に未練がないかといえばウソにはなるが、もう夢の慣れ果てが集う場所となったこの場にいても仕方がないのだ。私たちはこの土地を離れる。慣れ親しんだ研究室を捨て、新しい場所でまたやり直す。

 時に、風のうわさによるとここを誰かが嗅ぎまわっているらしい。近々実際にやってくるだろうと考えられる。ここで彼らは研究の跡と成れ果てを見つけることだろう。しかしそれは私たちがいなくなってからの事。私たちには関係のない話だ。


●SCP

 ●その他

●Anomalousアイテム


 
●投稿済み
 

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●実験