akaderaの温室

彼女を一目見たときから私は彼女がわかっていた。
季節は夏だというのに空調の効いた屋内は私にとって住みづらい物でしかなく、それ故この時期は自室を出ることが億劫であった。しかしここに職を就いている以上最低限の働きは必要だったし私の場合それは行動の上で成り立っていたのも事実だ。幾度目の夏、研究室とどこかを往復する生活の中で私は彼女と出会った。無機質な施設の壁に長いその髪はよく映えて、彼女をこの施設内で見つけることは容易だった。腰まで伸びたその髪は彼女がここにいる理由を体言していた。

「本日付けで勤務になりました朝夕です。よろしくお願いします。」

彼女のそばにいた男は続けた。

「そういうことです。博士なら彼女が雇用される理由も気持ちもよくわかるでしょう、気にかけてあげてください。」

男が話を続ける横で彼女は私の肩に乗る物を見つめては時折何かに納得したように頷く。蝉は室温のせいかすんとも鳴かない。

「要件はわかりました。職務上これからも関わることは多いでしょう、あとはその事態が起こった時に。」

厄介者同士、不要な関わりであろう。接触があるとすればそれこそ事案だ。

「仕事がありますので、これで」

これまでの関係だとこの日は場を終わらせ業務へと急いだ。やっとの思いで出た外は晴天で、嫌に彼女の顔が思い出された。

彼女は聡明だった。社交的で口もたつ彼女を受け入れた職員は日に日に増えているようだ。かくいう私は職務中彼女を見かけることはあれど、特別話をしたりなどはなかった。それは彼女に限った話ではなくこれが私の私たちの関わり方だという認識の上だった。だから彼女と次に会話をすることになったのは事故と言うほかなかった。

「ここ、いいですかね。」

たまたまフィールドワークを終えた時間が良く、何日ぶりかの食堂であった。目に入る青い髪を上に辿るとそこには彼女の姿があった。

「私、いろんな人とご飯を食べているんです。早くここに馴染みたくて。」

おそらくこの区画では私が最後の1人だったのだろう。彼女の顔には悲願とか、安堵とか、そういったものが見て取れる。

「かまいません。」

断るのも違和感があるように思えて彼女を向かいに座らせた。彼女は噂に聞く《お喋り》でそれでいながら私がどの話に食いつくのか、それを探るように話している節が見えた。なるほど、確かに彼女は賢い。しばらく抑揚もないとるに足らない会話が続くと彼女が突然静かになった。表情は変わらずとも先ほどまでの鮮明な青が少しくすんで見えた。

「私、ここに異動してから家族に会えてないんです。というかもう、前職の時の知り合いには一切会会っていません。」

以前は財団のフロント企業所属、オブジェクトの暴露後、異常性を持ち、現在に至る。私が知っている彼女についての全てだ。

「この髪になってしまってから、本当に驚くことばかりで、実はいうと最初はもう元みたいには戻れないんじゃないかって。周りの目も、良いものとは言えませんでしたから。」

「でも、ここの人たちはとても親しくしてくれて、私嬉しかったんです。また誰かと生活を送れるんだって、それに鳴蝉さんのように同じ境遇の人にも会えました。私、本当は一番にあなたと話をしたかったんです。」

献立のスープをかき混ぜながら寂しそうに、また少し恥ずかしそうに彼女は話した。私のお皿には、もう何もなかった。

「肩のその…蝉ですよね。初めてお会いしたときもびっくりしたんですけど、今日も…。多分鳴蝉さんがここにいる理由ってそれですよね。」

「それ、取れないんですか。私、まだよくは知らないですけど多分ここの技術なら鳴蝉さんのは治せると思うんです。私の髪はもう切っても切ってもこのままですけど、鳴蝉さんはまだ戻れるんじゃないかって」

顔をあげると彼女が私の肩に手を伸ばしているのがわかった。彼女の目は恐怖とか、怯えとかそのような感情ばかりだった。でもその奥には紛れもない好奇心が隠れている。

もう覚えていない。でも確かに夏の季節だった。アレに会って、ここを知って、暴露されそのままここにいる。それが私。私の全て。

手を払いのけ、彼女のネクタイを思い切り引っ張る。顔と顔が近づき数cmの所だ。混乱した彼女の荒い呼吸が顔に触れ、私には彼女が人間に思えた。でも違う。

「あなたはその髪のおかげで社会から断絶された。あなたは人目に触れられることが出来なくなり財団はそんな可哀想なあなたを壁で囲い職まで与えた、あなたはそう思っている。でも違う。彼らが守ったのはあなたではなく社会だ。社会からあなたという"異常"を取り除き社会を混乱から防いだ。考えなさい、何が隠されたのかを。私を恐れなさい。この壁が守るのは我々ではなく人類だ。この檻の中に必要な基準。….わかりますか。」

彼女の額に汗が浮かんでいる。水球に映る女の顔は光がなく、もう終わったものであった。彼女の口が必死に言葉を紡ごうとして微かに動いている。震えているだけかもしれない。
我ながら大人気ないことをした。

「お喋りが過ぎましたね。」

手を離すと彼女は後ろに傾き、またそのまま椅子に崩れ落ちた。彼女が私を睨んだ。

「相手を楽しませようとすればするほど相手には窮屈さを感じさせてしまいます。しかし本当の居心地のよさというのは互いの沈黙の上に成り立つものです。…それは私たちがそれを求めているかによりますがね。失礼します。」

食器を重ね食堂から出るまで彼女は私から視線を外さなかった。私は彼女の軽蔑を忘れないし彼女も私を軽蔑し続けるのであろう。外は残暑、カレンダーを見なければ忘れてしまうほど季節感のない場所だ。蝉はまだ鳴かずにここにいる。

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