宇宙というのは素直ではない。
例えばほら、私達は宇宙からのスペクトルを観測しているのだけど。それがどれもこれもレッドシフトする。
赤方偏移というやつだ。宇宙からの情報は全て地上とはズレている。
だから、素直じゃない。
そんな素直じゃない宇宙に、私は親近感を抱き、同時に愛おしいとも思えるのだ。
サイト-██には200 m電波望遠鏡が存在する。これは直立する電波望遠鏡としては最大で、非常に高い分解能を誇る。例えば、日本最大の望遠鏡が45 mと言えばその規模がおおよそでも分かるのではないだろうか。
私はいくつかの書類を片手にサイトの電波望遠鏡管制室へ向かっている。高所に所在するここでは少し歩くのにも息が切れるが、好奇心をバネに小走り気味に進んんだ。
受け付けには無表情の女性がいた。構わず、書類を差し出す。
「これ」
「日本支部の知里弥生博士ですね。既に手続きは済んでおります」
「あ、そう。それで、PSR B0531+21の観測ってどこ行けば?」
「SCP-1548の観測であれば、特殊パルサー観測室です」
「パルサー。え、ミリ波の観測もしたいんだけど。申請したよね」
「重要性が低いという理由で却下されたと連絡を入れた筈ですが」
私は盛大に舌打ちをもらした。上層部の奴らは地球に高速で向かってくる天体光源が赤方偏移するにかにはまるで興味が無いらしい。もし解明されたら天文学全体の大いなる発見であるというのに。
まぁ、もし分かったとしても世間には公開できないのだが。
「…良いよ。パルスだけ観る。それじゃ」
PSR B0531+21はカニ座星雲に存在する中性子星の一種だと考えられている。こいつは不思議な事に、観測された場合にパルスを発生させる。しかもそのパルス、モールス信号になっていてロシア語から翻訳が可能であるという。回りくどい。
その信号は概して、観測者あるいは人類に対する脅迫や罵倒の類なのだが。
なおパルスが地球に届くまでに数千年以上掛かるため、その天体は実質的な未来予定をしている事になる。ただしそのような事実は天文学には関係がないので私には興味が無いが。
財団ではこの天体をSCP-1548として管理しているらしい。まぁそんな事はどうでも良い。
私は管制室の責任者と話し、現在制御用コンピュータの前で操作を行っている。対象の中性子星は確かにパルスを発しているようだ。それらはリアルタイムで記録され、別のディスプレイに英語翻訳で表記されている。
初めて見たがこれは酷い。『死スベシ』やら『滅ベ』やらと脅迫の嵐だ。まぁこうして率直なのは嫌いではない。過激派は案外好みである。
その後も私が観測を続ける間、延々と脅迫が続く。正直なところ遥か彼方からの罵倒など怖くもないのだが。
「てか、これ私宛? 薄汚い赤毛はなんたらって」
私は思った。随分律儀であると。
我々人類など塵にしか見えないような中性子星がわざわざ個人を特定して脅迫する仕事の細やかさ。
「こいつ、狙い何だろう。人類? 地球? 太陽系?」
普通に考えたら人類なのだろう。しかしやはり疑問が生じるのだ。気の遠くなる程遠方に脅迫を続ける意味について。もし私なら銀河系外に存在する知的な細菌にアプローチなど…
「いや、するかもしれない。うん」
ただし脅迫はしないだろう。少なくとも滅ぼそうなどとは考えない。
もっとも、それは自分の手が届かないことが前提ではあるが。
「手が届くなら滅ぼしたくなるものなのかね」
脅迫してまでも? わざわざ未来予知じみた方法を使って?
恐怖を与えつつ絶滅させようと言うのなら分からないでもないが、私なんかはアレが辿り着く前にとっくに死んでいる。
それに気になるのは報告書の補遺。次はお前たちのちっぽけな世界。追い詰めているつもりなのか知らないが、それにしても冗長過ぎる。我々の大半は気付いていないのだ。
そこで、私は一つの仮説を立ててみた。
「PSR B0531+21に向けてラジオ波を飛ばすとどうなる?」
「既にO5からのメッセージを出していますが特には。5000光年近く離れていますからね、届くのは2500年くらいかかるかと」
「へぇ。それじゃさ、これ送っといて」
さらさらと報告書の裏に短い文章を書く。それを読んだ管制官は怪訝そうな目をしていたが、上に掛け合ってみますと応じてくれた。
「ところでスペルミスがありますが」
「わざと。そのままで頼むよ、私からのラブレターなんだから」
宇宙は素直ではない。伝えたい事は歪めてしまう。だがそれは宇宙に限った事ではないだろう。
離れているほど、湾曲するのである。遠回りしてしまう。人間だってそうだ。近付こうとして、伝えようとして、上手く伝わらない事も多々あるものだ。
「博士ー。これ報告書まとめといて」
「……」
潮海実験補佐に紙束を投げると、彼女は嫌そうに目を細めた。これだってそうだ。私が敢えて彼女を博士呼びをしたのは。
嫌がると知っていたのにわざとそう言ったのは、きっとあの星と同じ。
きっと何かに気付いて欲しいのだ。
「……知里研究員、いや、知里"博士"」
「仕返しか」
「ページ足りませんよこれ」
「あぁ、恋文書いたから」
「待ってください何ですか恋文って。かつてないぐらい似合わなくて吐き気がしそうなんですが。というか報告書を裏紙扱いしないで下さい」
本気で気持ち悪そうな顔をしている潮海実験補佐に、私は手にしていた土星のぬいぐるみをぶん投げた。
つまりは、こういうことなのだ。私はそう思いたい。都合が良過ぎるかもしれないが、考えるのは勝手だろう。
そしてもしそうならば、私達は期待に応えてやらなくてはならない。時間は十分にあるのだから。
遠い未来に想いを馳せて。あの日の言葉を現実とするために。
実験記録: 20██/██/██
実験対象: SPC-1548
方法: SCP-1548に向けて███MHzのラジオ波にメッセージを乗せて照射しました。内容は以下の通りです。
"We ware freed from our little world."
Dear "heartful" star
(私達はこのちっぽけな世界を飛び出したぞ。
親愛なる同類へ)
――ガラガラ、がちゃがちゃ。
頭の中に音が響く。何か複数の物がぶつかる音が聞こえる。それは硬い樹脂製の物体同士がかき混ぜられるような。私の幼い息子がレゴブロックを引っくり返した時のような。そんな音が。
耳障りだなと思った。普通に考えて、うるさい。息子がこの音を鳴らす時には毎回、「後でちゃんと片付けるんだぞ」と半ば嘆息混じりに言うのだ。その後片付けられずに、家内が怒鳴るのである。
――ガララ、ガラ、がちゃがちゃ。
音が気になって仕方がない。場所はどこだろうか。オブジェクトの収容室だろうか。何か不穏な動きでもされていたらたまらない。様子を見に行く。この音は、そうだ。泣きじゃくる息子をあやす時に使っていたものだ。ガラガラを鳴らすと、にっこり笑うのだ。それがたまらなく愛おしい。小さな手で掴んでは、私に振るように催促するのだ。
――ガラ、ガラガラ、がちゃがちゃ。
防音室から音がする。頭の中に音がする。監視窓から覘くとそこには、様々なおもちゃで構成された小さな恐竜がいた。
恐竜、と思わず口に出した。そうだ、私は恐竜が好きだった。大学院では生物学の研究をする傍ら、恐竜の化石に熱中していた。こんな生き物が本当に存在していたのか、どうして絶滅したのか。思いを馳せればキリがなかった。
――ガラガラ、がちゃがちゃ。
恐竜の鼻の先に、ロボットの模型が見える。いささか不自然に見えたそれは私の目を惹き、そして突き動かした。
そうだ、そうだよ。あんなに好きだったじゃないか。毎週アニメを見ていたじゃないか。躍動感溢れる戦闘シーンに興奮して、友人たちと語り合い、時には意見が衝突してけんかもしていたじゃないか。
久し振りに触れたい、と衝動的に思った。思ってしまった。
鍵はあった。持っていた。偶然か必然か分からないけれど、きっと必然なんだと思った。
――ガララララ、がちゃ、がちゃ。
鍵を開けて、収容室の中へ。おもちゃの恐竜は大人しい。良い子だ。
恐竜を作っている部品は、どれもこれもおもちゃだった。そう、僕もこれを持っていた。まとめておもちゃ箱にほうりこんでいたはずだ。お母さんからどなられて、おもちゃを箱にかたづけていた。
どれもこれも、僕のたからものだった。
――ガラ。ガララ。
おもちゃを手にとる。これじゃない。もっと好きなのがあった。そう、赤いロボット。テレビで見ていた戦隊ヒーローの変形ロボット。ある。きっとある。あるにちがいない。また見たい。またふれたい。あのころのたからもの。私の、僕の、ボクの。
おもちゃ箱をかき分けて、もうまわりのことは見えなくて。ぼくはただ、大事にしまいこんだおもちゃでまたあそびたくて。
それで、おもちゃをひっくりかえしたんだ。
――ガラガラ、がちゃがちゃ。がちゃ。
みつけた。
ふれたしゅんかん、おもちゃであふれた。おもちゃはキョウリュウになった。キョウリュウが大きくなった。おもちゃがいっぱいになった。
おもちゃが、おもちゃが、おもちゃが。おもちゃ箱が、いっぱいに。
もう一どひっくりかえしたい。ひっくりかえして、ゆかにいっぱいひろげて、めいいっぱいあそびたい。
ぼくだけじゃおもかったから、ともだちをよぼう。ガラガラならそう。あそぼう、あそぼう、あそぼう、あそぼう、あそぼう――。
――ガラガラ、がちゃがちゃ、ガラガラ、がちゃがちゃ
俺は鈩場、エージェント・鈩場。何を隠そう、財団のフィールドエージェントだ。いや隠すけど。
現在俺はフリーである。要するに休暇中だ。よって財団フロント企業の作業着じゃなく、普通のジャンパーを着ている。ズボンは擦り切れたジーンズだ。持ってる鞄にも装備なんかは入ってない。一応、カバンの二重底に財団用の端末は用意してあるが。
それで、俺が何をしているか。それは食べ歩きだ。俺はラーメンには目が無いんだ。以前長期休暇が取れた際には本場博多で豚骨ラーメンを食い尽くしたほどだ。財布の中身も食い尽くされたがね。
今日はどこか新店舗を発掘したいと考えている。出会いを求めているんだ、俺の舌がな。
数刻ほど歩き回り、良さげな店舗をいくつかピックアップする。クク、オブジェクトを探す時よりも真剣なんじゃないか? 何たってそうさ、オブジェクトと違ってどいつもこいつも主張してくるからな。店構え、行列具合、漂う臭いと看板メニュー。総合して決めなければ。
そして、ターゲットは決定した。木造風の外観なラーメン屋だ。看板メニューは豚骨ラーメン。客足は現在16時なので判断し辛いが、そこは賭けである。
暖簾を潜り、カウンター席を陣取る。店の中は清潔そうである。水はセルフのようなので、注文してから取りに行こう。メニューは、どうやら壁掛けのお品書きのみのようだ。特殊なものを頼む気は毛頭ないが、取り敢えずざっと見渡す。ラーメン、チャーシューメン、ワンタンメン……
と、ここで気付いてしまった。
「……が、頑固親父のバリカタラーメン」
報告書を見た事がある。間違いない、アレはそうだ。
SCP-254-JPだ。
何でも注文するととんでもない化物ラーメンを食わされるとか何とか。水銀ラーメンなんか冗談じゃないぞ。食い物ですらないじゃねぇか。
しかし妙だ。アレは現在財団が管理している筈。収容こそできていないが、特定の地域に限定されている。この店舗はその領域の範囲外の筈だ。まさかKeterクラス故の拡散力でまた勢力拡大なんて事じゃないだろうな。
落ち着け、取り敢えずアレを頼まなければ良い。その後で報告だ。全く、休暇だというのにこんな事になるとはな。
……ちょっと待て。
俺は大変な事実を思い出してしまった。そうだ、あの報告書に書かれていた。憶えている、俺は憶えているぞ。
そう、あのオブジェクト。条件が良ければ絶品ラーメンを食わせてくれると書いてあったのだ。
条件とは値段。大慌てで店のお品書きを確認する。書かれていた値段は800円。
報告書の絶品ラーメンも、確か800円。
思わず唾を飲んだ。これは、チャンスだ。オブジェクトなんか一介のエージェントである俺には扱えない代物である。ここで食わなければ二度とチャンスは訪れないと思っていいだろう。しかし、危険は伴う。まともな値段だから安心できるなんて保証はどこにもない。何よりこのオブジェクト、食い終ったら消失する。
気付けば、店の親父が怪訝そうな目で俺を見ていた。いかん、悩みすぎているか。ここは決断せねばなるまい。財団エージェントとして、やらなければならない時もある。そう男ならスパッと。
「頑固親父のバリカタラーメンを。大盛りで」
201█/██/██にエージェント・鈩場よりSCP-254-JPが新たに発見されたと報告されましたが、誤りであったことが分かりました。
報告を受けた機動部隊が店舗を調査した所、お品書きは「頑固"オヤジ"のバリカタラーメン」ではなく「頑固"親父"のバリカタラーメン」であり、元々この店のメニューに存在することが明らかとなりました。
エージェント・鈩場は「オブジェクトじゃなくて残念……いや何よりだ。絶品だったよ」と報告しており、個人の独断により収容違反を招く恐れのある行動をとったため、懲戒処分が為されました。
アイテム番号: SCP-XXX-JP
オブジェクトクラス: Euclid
特別収容プロトコル: SCP-XXX-JPの各個体は生物サイト-8102に存在する窓の無い防音室内で、鳥類育成用ゲージに収容しています。1日に2回、一般的な鳥類用の餌を与えて下さい。実験以外でSCP-XXX-JPと1時間以上接触することは禁止されています。未収用のSCP-XXX-JPに曝露して失明したと思われる人間が発見された場合、カバーストーリー「網膜動脈閉塞症による失明」を適用して下さい。更に現地へ機動部隊を派遣してSCP-XXX-JPの捜索を行って下さい。回収したSCP-XXX-JPは研究に必要な場合を除き処分して下さい。
説明: SCP-XXX-JPは異常な特性を持つ鳥類です。DNA解析の結果よりハシブトガラス(学名:Corvus macrorhynchos)と全く同一であると判明しています。外見の特徴もハシブトガラスと同一で、特異性の有無以外での判別は不可能です。SCP-XXX-JPは鳴き声を聴いた、または鳴いている様子を視認した人間に認識災害を引き起こします。10分以上SCP-XXX-JPの鳴く様子を認識した対象は、一様に「視界が夕焼けのような薄暗い赤色に変化した」と報告します。この症状は鳴いているSCP-XXX-JPの存在を認識している時間に比例して進行し、視界は徐々に暗くなります。認識し続けて最短4時間、最長7時間程度で対象は失明します。この症状の進行は対象がSCP-XXX-JPを認識しなくなった、あるいはSCP-XXX-JPが鳴くのを止めた場合に停止し、進行の程度に比例した時間経過で回復します。失明した場合は回復することはありません。
SCP-XXX-JPは19██/05/29に長野県松代町で原因不明の失明により複数人が救急搬送されたという報告があり、財団が調査を行い、収容しました。被害者に統一性が無く原因究明は難航していましたが、エージェントの一人が「まだ昼なのに視界が夕焼けのようになった」と証言し、その周辺を調査した結果発見されました。捕獲したカラスの█%が異常性を持つことが確認され、機動部隊み-7("七つの子")による大規模な捜索が行われました。この捜索により██羽のSCP-XXX-JPが収容されました。未収用のSCP-XXX-JPが存在している可能性があるため、現在も定期的に捜索が行われています。
実験記録XXX-JP-01 - 日付19██/06/08
対象:D-811923
実施方法: 3羽のSCP-XXX-JPと被験者を同じ防音チャンバーに入れ、その様子を録画する。被験者には無線通信を用いて状況報告を行わせる。SCP-XXX-JPの鳥かごと被験者の間にはアクリル製の衝立を設置し、オブジェクトと被験者の接触を防止している。
<録画開始>
██研究員: 部屋に入ったらSCP-XXX-JPが存在しているのを確認して下さい。
D-811923: SCPなんとかって、このカラスか? 3羽いるよ。カァカァ鳴いてる。
██研究員: では、何か変わったことが起きた場合には報告して下さい。
(10分経過)
D-811923: ん、夕方になったのか? 部屋が赤いな。
██研究員: D-811923、今は13時です。それに、この部屋に窓はありません。
D-811923: じゃあなんだ、俺の目が変になったってことか。
██研究員: 何か感じる事などはありませんか。
D-811923: いや特に。まぁ、咄嗟に夕焼けなのかとは感じたけど。割と綺麗だと思うな、何というか、ちょっと走りたい気分だ。
(1時間12分経過)
D-811923: なぁ、そろそろ終わらないのかこれ。段々暗くなってきたんだけど。
██研究員: 暗くなるとは、どのようにですか。
D-811923: いや、何と言うか日が沈むというか薄暗いというか。おい、もう良いだろ。終わろうぜ。
██研究員: 実験は継続します。
(1時間40分経過)
D-811923: な、なぁ。早く、早くしてくれよ。もう暗いんだよ。
██研究員: D-811923、今の視界はどうなっていますか。
D-811923: 薄暗い、もうほとんど見えない。な、何だよ、あのカラス共がこっち見てる。目が光ってる。な、なぁ早く帰してくれよ。暗いんだ、帰らないとまずい気がする、帰りたいんだ。
██研究員: 帰りたい、とはどこへですか。
D-811923: い、家? し、知らねぇ。とにかく何か、帰りたいんだよ。おい、早く帰してくれ、頼むよ……。
(2時間48分経過)
(D-811923は部屋の隅で膝を抱え、動かない)
██研究員: D-811923、意識はありますか。
D-811923: ……帰りたい。
██研究員: D-811923、聞こえていますか。目は見えますか。
D-811923: 目……真っ暗だ。カラスが鳴いてる。もう夜なのか? 何も見えない。これじゃ迷っちまう……。
██研究員: 実験を終了します。
<録画終了>
結果: 実験開始から5時間50分時点で、被験者が失明したことが確認されました。その後の観察で被験者には軽度の鬱症状がみられました。
実験記録XXX-JP-07 - 日付19██/07/17
対象:D-810017
実施方法: 3羽のSCP-XXX-JPと被験者を同じ防音チャンバーに入れ、その様子を録画する。なお被験者であるD-810017は事故により後天性の失明を患っている。被験者には無線通信を用いて状況報告を行わせる。SCP-XXX-JPの鳥かごと被験者の間にはアクリル製の衝立を設置し、オブジェクトと被験者の接触を防止している。
<録画開始>
██研究員: 部屋に入ったらSCP-XXX-JPが鳴いているのを確認して下さい。
D-810017: カラスだな。何匹かいるようだが、襲ってきたりはしないな?
██研究員: えぇ、かごに入れて、衝立で仕切りをしてあります。では、何か変化があれば報告して下さい。
(10分経過)
D-810017: む。
██研究員: D-811923、何かありましたか。
D-810017: あぁ、驚いた。風景が見える。河川敷だ。あと山と……山の上に建物が見えるな。夕方になる前なのか日が傾いてる。それにしては赤過ぎる気もするが。それにぼんやりしてて、気を抜いたら消えてしまいそうだ。
██研究員: ふむ。他には何かありませんか。
D-810017: えっと、遠くに人がいる。和服を着た子供かな。頭は坊主だ。川に石投げて遊んでる。何か見覚えがある気もするが……だめだ、思い出せない。他に気になる事はないな。
██研究員: なるほど、子供に話しかけることは可能ですか?
D-810017: いや、近づけない。映画を見てるような感じだ。声を掛けてみるが……聞こえてないみたいだ。
██研究員: 分かりました。何か動きがあれば報告して下さい。
(1時間51分経過)
D-810017: 日が沈んできた。随分ゆっくりだな。半分ぐらい。
██研究員: それは、視界が暗くなったということですか。
D-810017: そうだな。そんな感じかもしれん。それと、何か音が聞こえる気がする。
██研究員: どのような音か分かりますか。
D-810017: 低すぎて聞き取り辛いんだが、鐘? そう思うとあの建物は寺のように見えてきたな。ただどっから鳴ってるかは分からないが。
(2時間2分経過)
D-810017: 日が沈んだ。地平線がまだほんのり赤いが。子供は……いや、移動してる。川から離れてるな。こっちに来た。
██研究員: 子供を観察することは可能ですか。
D-810017: いや、正直暗くてあまり。顔もはっきり分からない。……おい、こいつ手を伸ばしてきたぞ。なんだろう、差しだしてる感じか。
██研究員: 手を?
D-810017: 掴めそうだ。ちょっと掴んでみるぞ。
(直後、D-810017の手の上に一羽のカラスが出現する。D-810017の様子に変化は見られない)
D-810017: 何だ。何も見えなくなったぞ。
██研究員: 実験を終了します。おい、早くあのカラスを回収するんだ。
<録画終了>
結果: 実験開始から10分で被験者は幻覚と思われる現象が発生し、開始から4時間4分後に幻覚が消失したと報告しました。またその後の観察で、被験者に異常や変化は見られませんでした。出現したカラスは調査の結果、SCP-XXX-JPであることが確認されました。
分析: このSCP-XXX-JPはどこから出てきたのだろうか。少なくとも私にはD-810017の手の上に忽然と現れたように見えた。もしかしたら、人間の内部にでも存在しているのか? ──██研究員
付記: 後日再びD-810017を用いて同様の実験を行いましたが、特に異常性は見られませんでした。また、追加実験で別の失明している被験者を用いて実験を行いましたが、同様の現象は確認できませんでした。この実験によって判明したSCP-XXX-JPの異常性が確認できたのはこの1件のみです。
補遺1: 19██年から20██年現在までの██年間に長野県松代町で3名、東京都八王子市で2名、荒川区で2名、渋谷区で1名の原因不明の失明者が確認されました。機動部隊による捜索が行われ、█羽のSCP-XXX-JPが回収、処分されました。長野県から東京都までSCP-XXX-JPが自発的に移動したとは考えにくく、何者かが移動させた、または自然発生した可能性があります。
補遺2: 調書を読んだ職員の報告により、失明者の発生場所が童謡の"夕焼け小焼け"に縁のある地であることが判明しました。SCP-XXX-JPの起源に関係する可能性が示唆されています。
夕焼けにカラスが鳴くのではなく、カラスが鳴くから夕焼けになるのかもしれないな。おっと、カラスが鳴いたからそろそろ帰らないと。 ──██研究員
人間は死んだら消えてしまうのだろう。
今日まで私はそう思っていた。いや、或いは思わされていた。
もちろん私は無学な幼子ではもうないし、そんな事が有り得ないとは科学的に理解しているつもりである。現実的に考えて、死者は忽然と消える筈がないと。
しかし、しかしだ。実際に死に直面して、それが現実味を伴っていなかった場合には、一体どうすれば良いのだろう。
もしかしたら、消えてしまう方が自然なのではないか?
違うのだ。死んで消えるなどあり得ない。今目の前に繰り広げられている惨劇こそが、まさしく現実なのだ。
だがしかし、何かがそれを否定する。現実など認めさせないと、何者かが囁いてくる。
そう、"こんな異常なものは、ここには存在しない"、と。
遠い昔から、誰かがそう囁き続けている気がしてならないのだ。
小学生の時、学校で爆発事故が起きた。
私は当時の事を良く憶えていないが、先生からそう聞かされた。家庭科室のガス管が破裂したんだと。酷い事故だったようで、一週間学校が休みになった程だ。学校が楽しかった私にとってはなかなかにショックな出来事だった。
その爆発事故で、親友だった██ちゃんが死んだ。本当に仲が良かったから、聞いたときは愕然としたものだ。確か、事故の次の日に██ちゃんの家に行った時に、お母さんから聞いたような気がする。
葬式にも行ったけど、██ちゃんには会えなかった。棺桶の中には花が敷き詰められてただけだった。
今思えばそれはきっと、爆発で既に焼けてしまっていたのだろう。しかし当時の私はまだまだ無知で、
「██ちゃん消えちゃったの?」
と、両親にずっと問いかけていた。
中学生の時、祖父母が亡くなった。祖父母は遠方に住んでいたけど、どうやら事故にあったようだった。
葬儀の為に赴いたが、死体は無かった。警察が検死の為に回収したらしい。どのような事故だったかは、確か自動車による轢き逃げだった気がする。両親が犯人を捜すよう警察に詰め寄っていたのを憶えている。
死に目に会えなかった影響か、葬儀では全く泣かなかった。実はどこかに隠れているんじゃないか、そう思えてならなかったから。それほどまでに実感が湧かなかった。
結局、犯人は今も捕まっていないようだ。
高校の頃にも悲報があった。私の叔父さんが亡くなったらしい。叔父さんとは仲が良くて、よくラーメンを奢ってもらっていた。
亡くなった理由は、詳しく教えてはもらえなかった。病気だとかなんとか。持病持ちだとは聞いていなかったが、不摂生な生活が祟ったのだろうか。
そして、相変わらず棺桶には死体がなかった。
私にはもう見慣れた光景だった。花だけが敷き詰められた棺桶を覗き込んで、どこか現実味のない死を考えて。その葬儀でも、わたしはさっぱり泣けなかった。
そして大学院時代にまで、事件が起きた。どうやら私の周りでは惨事が流行らしい。
今度は大学で研究されていた細菌か何かが流出したとのことである。事件当日のことは何も憶えていないのだが、恐らく必死で逃げたのだろう。次の日大学に来てみれば、何か物々しい雰囲気になっていた。建物は立ち入り禁止のテープが張られ、警察だか消防だかよく分からない人間が、慌ただしく作業を続けていた。
大学の理学部棟は一週間も封鎖されて、更には実験停止処分。これには私も参ってしまった。折角培養した細胞が台無しである。
そして、やはりと言うべきか。友人が数人亡くなっていたようだ。何を研究していたかも思い出せないその人は、きっとよく分からない細菌の犠牲になってしまったのだろう。
当然のように死体は無かった。棺桶の中を覗いて、失礼ながら思わず笑ってしまった位だ。
そうだ、笑える位に何かがおかしかった。
そして今。私の目の前には高校生がある。突然細切れになって死んだ、高校生だったものが。
それは余りにも唐突すぎた。本当に目と鼻の先で、彼は虚空に引き裂かれたのだ。
繁華街の片隅で起きたそれは小さな悲鳴を引き起こし、波打つように恐怖と混沌を広げていった。
電話を始める人、倒れこみ嘔吐する人、おもむろに写真を撮る人。そんな中、私は何もできずに立ち尽くしている。
初めて、人が死ぬのを見る。強烈な血の臭い。悍ましい中身が飛散し、飛び出した目がじっとこちらを見据えている。
本物の人の死だった。それが初めて、私に現実を突き付けてきた。ほら、これが真実だと言わんばかりに。
しかし、それでも、私は確信していた。疑いようがなかった。これは私が知るべき現実ではないと。だってこんな事ある筈がないから。有り得てはいけない事なのだから。そう何かが囁いているのだから。
「きっと、これも消えるかな」
淡泊に呟いて遠くを見やれば、そこには何処かで見たようで、しかし見た事のない者達がやって来ている所だった。